日本語練習虫

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造兵廠における技術研究と技術導入-飛翔体は?

佐藤昌一郎『陸軍工廠の研究』(asin:4938571765)ば借覧。
第五章「管理機構と技術研究」のII「造兵廠における技術研究と技術導入」の中、とりわけ226-277頁の「航空機の機体・素材・発動機」の項に強く興味を惹かれる。
大正末期の話なんだども、陸軍の主導で中島飛行機と三菱(神戸三菱造船所〜三菱内燃機製造三菱航空機製造)がフランス企業から発動機の製造権を獲得し軍に納入し、また同じく陸軍の「関知セズ」といふことになってゐる関与を通じて川崎造船所がドイツ製の金属航空機に携はるのだといふ。
その頃、1927年(昭和2年)に結成されたドイツ宇宙旅行協会が液体ロケットの研究を重ねるうちに軍事技術化し1934年(昭和9年)A2ロケットへ結実し、後に弾道ミサイル「V2」を飛ばすこととなってゐる。
大正末からの十年間の航空機関連技術導入のありかたが、いはゆるミサイルのことを三菱重工が「飛昇体」、川崎重工が「飛翔体」と呼称するといふ飛翔体・飛昇体の原語と飛昇体の初出に深く関係するんぢゃないかと想像せずにはゐられない己なんだども、残念ながら同書のスコープはミサイル技術には及んでゐない。
1931年(昭和6年)に開始されたといふ日本の「飛翔体・飛昇体」関連技術が独逸経由でなく米国直輸入で、米国民が冷笑を浴びせたロバート・ゴダードには独逸のフォン・ブラウンだけでなく日本人も深い関心を持ってましたよ、といふことだったりすると、ちょっとイイ話?