日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

フランス国立印刷局の漢字木活字調査報告に驚く

国立印刷局の漢字木活字(Printing Chinese Characters, Engraving Chinese Types: Wooden Chinese Movable Type at the Imprimerie Nationale (1715-1819)」https://brill.com/view/journals/eaps/10/1/article-p1_1.xml というヤバい調査報告が2020年3月『East Asian Publishing and Society』10巻1号に出てた模様。

著者は、Michela Bussotti(フランス国立極東学院の中国文化史研究主任 https://www.efeo.fr/chercheurs.php?code=305&l=EN&ch=8 )と、Isabelle Landry-Deron(フランス社会科学高等研究院・近現代中国研究センター http://cecmc.ehess.fr/index.php?2624 )の二人。

Abstract

The collection of Chinese wooden movable types is among the oldest treasures of the Imprimerie Nationale. The types were carved in Paris between 1715 and 1819, and they are a legacy of the first French attempts to master the expertise necessary to print Chinese alongside Western alphabetic scripts. This article, which is the result of research conducted at the Imprimerie Nationale, combined with a study of historical and literary sources from various periods kept at the Bibliothèque nationale de France and at Italian libraries, provides a description of the types’ physical characteristics and relates how they were created, designed, organized, engraved, employed, classified and stored.

Our research focuses on the attempts to include Chinese characters in publications in Western languages which were made in Europe and particularly in France from the beginning of the eighteenth century onwards. At a time when Europeans were beginning to expand their range of activities in Asia, printing in Asian scripts was a technical as well as a commercial, political and intellectual challenge. With no Chinese typographer to help, the French team modelled the types on characters found in a Chinese dictionary imported into France by missionaries, and at the beginning of the nineteenth century they published two dictionaries which included Chinese characters printed with wooden type.

上記概要を拙訳:
「漢字木活字コレクションは、フランス国立印刷局の最も古い宝の一つである。1715年から1819年にかけてパリで彫刻されたこの活字は、西洋のアルファベットと中国の漢字を並べて印刷するために必要な技術を、(西洋世界において)フランス人が初めて習得しようとしたことを物語っている。この記事は、フランス国立図書館Italian libraries(訳者注:イタリアの複数の図書館を指すのか、フランスの図書館内にある「イタリア文庫」的なものを指すのか、本文未読のため未詳)イタリアの幾つかの図書館(訳者注:「国立リンチェイ学会図書館 https://www.lincei.it/it/biblioteca-dellaccademia-nazionale-dei-lincei-e-corsiniana」など)に所蔵されている様々な時代の歴史的・文学的資料――活字の物理的特徴、どのように作られたのか、どのように組織され保存されてきたか――についての調査研究成果である。
我々の研究は、ヨーロッパ、とりわけフランスにおいて18世紀初頭以降に作られた、西洋語に漢字を混植することを試みた印刷物に焦点を当てている。ヨーロッパ人がアジアに活動の場を広げつつあった時代において、アジア諸語による印刷は技術的、商業的、政治的、また知的な挑戦だった。中国人印刷技術者の助けが無い中で、フランス人チームは、宣教師たちによってフランスに持ち込まれた漢字字書に出現する漢字を手本とし、19世紀初めには漢字木活字を用いた2つの中国語辞典を出版するに至っている。」

『歴史の文字』(http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DPastExh/Publish_db/1996Moji/05/5901.html)や『本と活字の歴史字典』(http://www.kashiwashobo.co.jp/book/b227765.html)、『文字の母たち』(http://www.dnp.co.jp/shueitai/event/LeVoyageTypographique/)などを通じて断片的に知っていた「フランス王立印刷局40ポイント漢字木活字」について、少なくとも日本語でアクセスできる範囲では全く知らなかった情報が満載ということになるっぽい。

そんな本調査研究のヤバさを端的に示している(と思われる)図が、67-68ページに掲載されている、図7A、7B、7C、7Dということになりそうだ。

f:id:uakira:20200709093754p:plain
Bussotti, Landry-deron「フランス国立印刷局の漢字木活字」(2020)図7

左側(図7A)は、BnF所蔵の、フールモンの書き込みがある漢字辞書『諧聲品字箋(Pinzijian)』。西洋人が使いやすいよう、フールモンがバラして再構成したものという。右上(図7B)も同じで、フールモンがペンで付したノンブルは「145」。右下(図7Cおよび図7D)は切断しきっていない半分繋がったままの状態の木活字6字分(椷銒監(石監)奸姦)を文字面側(正面)から見た写真とネッキ側(側面)から見た写真。側面に、各文字の発音と、漢字検索番号、そして図7Bのノンブル「145」が記されている(図7Bに示されている145ページの後半と、文字の並びが完全に一致している点に注目!)。

実は7年ほど前、大曲都市さんがEdmund Fry『Pantographia』の写真をツイッターで開陳してくださった際(https://togetter.com/li/586752)、次のような妄想をツイッターに流したことがある。

欧米人が明朝体漢字活字を彫り始めていたのは、欧文ローマン体活字とのつりあいがいいからだろう――という一般的な見解に対して、いやいや単に「(手本にされるような)権威ある中文印刷文字が明朝体だった」ってことでしょという斜に構えた(ように見えて、たぶん的を射ている)発想だ。

ちなみに、Fry『Pantographia』から話題が発展した「西洋人の目から見た漢字 - Togetter」の流れで、Fry『Pantographia』に掲げられた漢字見本の参照先である『百科全書』が依拠した漢字字書は、部首の扱いから考えて『康煕字典』ではなく『正字通』あるいは『字彙』だと思われる、という指摘があった。

フールモンが進めた王立印刷所(当時)の「40ポイント漢字木活字」に関しては、具体的に依拠した資料(と、その利用状況)まで、今回のBussottiとLandry-deronによる調査報告によって判明してしまったわけだ。

フールモン関連の資料は、日本語で「近代活字史」を追っている者が知らなかっただけで、「中国学」や「東洋学」といった方面では既に明らかだったのだろうか。7年前の段階で「後で読む」と思っていた石崎博志「宣教師たちはどのような字書をみていたか」https://kaken.nii.ac.jp/en/grant/KAKENHI-PROJECT-17720089/(2007年『琉大アジア研究』 第8号2021年2月18日追記:左記の科研費情報には第8号1-16頁と書かれているが第7号3-19頁が正しい)を、まだ目にしていない……。


2020年7月13日追記:

フランス国立図書館BnFのデジタル資源アーカイブGallicaで、2種類の『諧聲品字箋 Xie sheng pin zi jian』を閲覧することができる。

1つは、書誌データに「Chinois 4657」と書かれているもの。画像データではラベルに「4656」と書かれていて、BussottiとLandry-deronが指摘する「フールモンのメモ」が見える。

gallica.bnf.fr

もう1つは、書誌にコレクション番号の記載は無いが、詳述のところに「Exemplaire relié en désordre, portant la mention : A Fourmontio in novum ordinem digestum.」つまりBussottiとLandry-deronが言及する、フールモンがバラしてメモを書き入れたもの、とされるものだ。

gallica.bnf.fr

実際に異なる原本を異なるデジタル資源にしたものなのか、異なる原本が存在するがデジタル資源としては一方のみを見せているという格好になっているのか、気になるところである。


2020年7月19日追記:

Abstractに「Italian libraries」と書かれていたのは、「国立リンチェイ学会コルシニアーナ図書館 https://www.lincei.it/it/biblioteca-dellaccademia-nazionale-dei-lincei-e-corsiniana」など、「イタリアの複数の図書館」の意味だったことが判りました。例えば第2.3節「イタリアの中羅辞書と未刊行プロジェクト(Chinese-Latin Dictionaries and Unfinished Publishing Projects in Italy)」に曰く。中羅辞書の1つであるBasilio Brollo手稿(コルシニアーナ図書館蔵)の初巻(1726年に広東で作られたもの)について20世紀初頭にGiovanni Vaccaが記したところによると「文字が印刷された紙片と文字が彫られた木片の存在に言及があった」といい、「著者らが2015年5月にコルシニアーナ図書館を訪問したが見つからず、その後行われた図書館のcuratorらによる調査によってもVaccaが言及した〈小さな木片〉を発見するには至っていない」由。


2020年7月30日追記:

Bussotti・Landry-Deron「国立印刷局の漢字木活字(Printing Chinese Characters, Engraving Chinese Types: Wooden Chinese Movable Type at the Imprimerie Nationale (1715-1819)」を一通り読んでみた結果、特に3章本文および関連注釈の要点をピックアップ。

  • 王立印刷所で40ポイント漢字木活字を制作するために(フールモン以来)お手本として『諧聲品字箋(Pinzijian)』を使っていたというのは、Joseph De Guignes『Essai historique sur la typographie orientale et grecque de l'imprimerie royale』75頁(https://books.google.co.jp/books?id=JxcCAAAAQAAJ&pg=PA75#v=onepage&q&f=false)の記述によって既知だった模様。
  • 更に、フールモン『Catalogue des ouvrages de m. Fourmont, l'aîné』71頁(https://books.google.co.jp/books?id=0IcUAAAAQAAJ&pg=PA70#v=twopage&q&f=false)に、40ポ漢字木活字の製作に携わった製図工 ‘Mr. Gautier, painter’ および6人の彫刻師Reisacherライザッハ、Chambonneauシャンボノー、 Blandinブランダン、 Vassautヴァソー、 Tessierテシエ、Saint-Loupサンルーの名が記されている。

曰く:

  1. 辞書全体に番号を振る
  2. 何を描くべきか印をつける
  3. 木材に写された図を確認する
  4. 適切な順序で彫刻師に渡す
  5. 彫刻済み木片の校正刷りを行う
  6. 校正刷りの番号が最初の番号と対応していることを確認
  7. 木片を鋸で切り分ける
  8. 辞書順に従い文字を引き出しに整理する

こうした、当時の当事者たちが書き残していた「〈王の漢字〉こと40ポイント漢字木活字製作に関する記録」が存在したということ自体や、そこに書かれている内容が(少なくとも)自分が見聞できた範囲の日本語情報には見当たらない新資料だったわけだが。

王立印刷所に現在保存されている40ポ漢字木活字を著者らが調査したところ、繋がっている状態の木活字バーや、元々一連の状態で制作されたであろう切り離し済み活字を原状通りに並べてみると、彫刻師のサインを見つけることが出来、TessierテシエとVassautヴァソーのサインが最も多かったという。

フランス国立印刷所の40ポ漢字木活字と、フランス国立図書館所蔵の(フールモン旧蔵)『諧聲品字箋(Pinzijian)』を精査することで、ギーニュとフールモンが書き残していた40ポ漢字木活字開発事情が物的に裏付けられたということになるわけだ。

「近代日本語活字・書体史研究上の話題」(『ユリイカ』2020年2月号)注釈リンク集

1月29日付で青土社から刊行(http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3392)の『ユリイカ』2020年2月号(特集「書体の世界」)に「近代日本語活字・書体史研究上の話題」という小文を書きました。

自分が誠文堂新光社『アイデア』誌上で最初に書いた原稿が「来るべきマンガタイポグラフィ研究のために」(2009年、336号)だったようにマンガの文字については人並みの関心を持っていますが、当初頂戴した「タイポグラフィ研究とは何か」というテーマは余りにも荷が重く、「近代日本語活字(活字書体)」の歴史を研究するとはどういうことかという内容で、ざっくりレポートしたものです*1

「活字・書体史研究の方法について」「近頃気になっている話題数点」という2章で綴った「400字詰め原稿用紙20枚程度」の本文に対して全部で70個ある注釈のうち、印刷されたテキストのままでは辿り辛いもの(ウェブ資源のURI)が幾つも含まれているので、ハイパーリンクでの提示が適した注釈を以下に抜粋・再掲して、この記事からリンクを辿れるようにしておきます*2。副読本としてご活用ください。

誌上では注釈が全て末注になっていますが、この記事では節ごとに再構成しました。内容見本の一種としてご利用ください。

なお、「活字・書体史研究の方法について」の構成は、とある本をそっくり借用しています。その「とある本」が何であるかを知りたい方は、ぜひ『ユリイカ』2月号を手に取ってご覧ください(「はじめに」で答えが明示してあります)。


一、活字・書体史研究の方法について

一・一、近代日本語活字・書体の歴史に触れた資料、及び既往の論及

一・二、活字見本帖と活版印刷

一・三、Fact source=客観的事実のみを伝える資料

一・四、当時の新聞・雑誌の記事

一・五、その他の周辺資料

二、近頃気になっている話題数点

二・一、候文に用いられる「準仮名記号」や女性の手紙文に現れる「消息文字」のこと

二・二、平野活版製造所『活字摘要録 全』(一八七七)の現存文字数など

二・三、大日本印刷所蔵、大正一五年刊「仮称『明朝六号活字見本帳』」の名称

二・四、『和獨對譯字林』の活字書体

二・五、号数活字サイズの謎と英米系分析書誌学


1月30日追記:『ユリイカ』2020年2月号76頁の図1〈桑山書体デザイン室KD文庫所蔵、東京築地活版製造所『大正十四年三月改正 五號明朝活字總數見本 全』31頁より「平假名及び附屬物」〉は、縮小であることの注釈がありませんが、約83%に縮小されています。同様に77頁の図2〈筆者蔵、東京築地活版製造所『昭和十一年五月 改正五號活字總數見本 全』35頁より「平假名」〉も、約85%に縮小されています。原寸表示をすることも、縮小率の記載をすることも、縮小率を揃えることも、出来ませんでした。申し訳ありません。


*1:近代日本語活字・書体というものは、技術・産業史と美術領域の中間にあり、また日本語表記を背負うものであり、タイポグラフィの素材でもあるものだ――と思っているのですが、本稿を書き上げてみて、全体像を描き出すには自分の力が大いに不足しているという事実を改めて突きつけられた思いです。

*2:例えば「注13」のようにデッドリンクであることを知っていながら敢てそのまま記載しているものも含まれている点、ご寛容ください。

KmViewでのインターネット公開資料群はどうなるのだろう

以前から予告されていた通り、2020年は1月14日付のWindows 7サポート終了で始まって、12月末でのFlash終了で終わる年となっている。

後者については、FlashアニメやFlashゲームなどと結び付けて「平成のインターネット文化」を懐かしむ話題ばかり目にして、電子化された貴重書のインターネット公開が現在も「KmView」というFlashベースのビューワで実施されていることに着目した「世の中の大きな問題」として扱う話題を見た記憶がない。

例えば、山形大学附属博物館「三島県令道路改修記念画帖」新潟青陵大学図書館「貴重書コレクション」の『Life and Death of Athena, an Owlet from the Parthenon』のように、実質的に一つの資料のみを扱うようなものであれば、仮にKmView経由での閲覧を廃止してPDF等での閲覧に切り替えるということも、そう大げさな話にはならないだろう。

ところが、東京地学協会の「ウェブ図書室」国立天文台暦計算室「貴重資料展示室」のように、単独の画像ファイルやPDF形式に交じって、それなりの数量をKmView経由で公開しているようなケースはどうだろう。

あるいは、学習院大学図書館「学習院コレクション」や、明治大学図書館「貴重書画像データベース」お茶の水女子大学附属図書館所蔵「和算資料コレクション」、そして東京学芸大学附属図書館「特別コレクション」のように、大規模資料群がKmViewを前提に公開されているケース。学芸大の望月文庫が見られなくなると困る人も多いんじゃないだろうか。

この方面に国内では飛び抜けて大きな予算と人手を割ける(と想像される)東京大学情報システム部情報基盤課学術情報チームによる「電子版貴重書」ですら、過去2年間を費やしてKmViewからIIIFでの公開に切り替え中(「2018/1/23リニューアル」や「2019/11/21リニューアル」など)という状態になっているようだ。

HTML5ベースでのKmViewが提供される――というようなソリューションが、年末までに実現するのだろうか。


明治初期の平仮名活字資料群である可能性があるのか無いのかということを知るための予備調査として、一時期、広島大学図書館「教科書コレクション」(おそらく全てPDF)や、筑波大学附属図書館貴重書コレクションの「乙竹文庫」(これも概ねPDFだったか)と並んで、学芸大の望月文庫を夢中で眺めていたように記憶している。もう10年以上も前の話。かつて先進的なビューワだったKmViewの採用が、ここに来て悪いレガシーになってしまっていることが切ない……。

2020年の抱負

文字通りの意味で、日々、歩き続けること。

SH-M03の発熱があまりにひどく、HTC-J butterflyの頃にやっていたIngressから4年ほど離れていたのだけれど、先月SH-M12に乗り換えたところバッテリー容量的にもROM/RAM容量的にもDQWの使用に耐えられるようになった。

ちなみに、仙台市天文台は「月までの距離」を「約38万km」と仮定した上で時速4kmで24時間365日休まず歩き続けて約11年を要する道のりだとしているのだけれど、比叡山千日回峰行が最初の3年間を1日30kmで年に100日間、4年目と5年目を1日30kmを年に200日としていることを考えると、このくらいのペースでないと体が保たないのだろう。「月に行くほど遠く長い道」を38万4400kmとして、仮に最初の3年間で9000km(30km×100日×3年)進み、以後、年間30km×200日ペースの近似値であるところの毎日平均16.5kmペースで進むものとすれば、スタートしてから65年3ヶ月ほどで「歩いて行けるさ」という距離感だ。

ラソン選手が月間1000km走っていることを考えると、そのレベルなら32年間で走りきってしまう道のりでもある。

東京 中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)第20回特別展講演会

2019年10月19日から12月15日の日程で開催の、東京都中央区立郷土天文館(タイムドーム明石)第20回特別展「築地の魅力 再発見」関連講演会の第1回として、11月16日に「日本語活字ものがたり ~築地体を中心に~」というお話をさせていただきました。
https://www.city.chuo.lg.jp/event/culture/20tokubetuten.html

天一閣博物館✗上海美術学院

上海美術学院が企画している「美哉漢字」という国際シンポジウムが、9月17日に寧波の天一閣論壇(美哉漢字 偉哉文明)として開催され、第2分科会「數字時代的漢字字體設計(デジタル時代の漢字書体設計)」に参加してきました。
https://kknews.cc/culture/y3oezqk.html
「19世紀の日本語印刷文字――从手写到印刷字体」という大きな題で小さな話をさせていただきました。

「佐藤タイポグラフィ研究所」の小宮山先生

一昨年来、収集資料を(横浜市ふるさと歴史財団が管理する)横浜開港資料館を経て(同じく財団管理の)横浜市歴史博物館へ寄贈されていた小宮山博史先生から、8月7日付で佐藤タイポグラフィ研究所を無事閉所した旨の挨拶を先般頂戴していた。

Googleでいま眺められるストリートビュー画像は2019年5月に撮影されたものと記されているので、研究所の外観に関する最後の佇まいと言って良いだろう。

https://goo.gl/maps/foVnGWUHpNPJ2fcAA

残念ながら、ここ15年ほどの交流の中で、研究所にお邪魔する機会を得ることは出来なかった。

自分の記憶が確かならば、小宮山先生に初めてお目にかかったのは、2004年6月26日に印刷博物館で開催されたセミナー「築地体の百二十年」だった(セミナーを聴講したことについては、これまでブログ等に書いて来なかった)。

2002年の晩秋から近代デジタルライブラリーを漁りまわるようになり、後に「明治31年築地体後期五号仮名のはじまり」として公表することになるような基礎調査――近デジ総当り作戦――を積み重ねる中で、最初期和文アンチック活字・ゴシック活字に関する資料を集めようとしていた頃だ。

セミナーで小宮山先生が築地活版の「アンチック形文字」について少し触れていらしたので、セミナー終了後に「アンチック形文字」の初出と思われる資料(『印刷雑誌』掲載の広告)について質問させて頂いたところ、近日確認して郵便で知らせるという返事を頂戴し、連絡先をお渡しした。

驚いたことに、6月27日付の消印で、「明治24年11月28日 第一巻 第十号」というメモが付された東京築地活版製造所の『印刷雑誌』掲載広告の複写をお送りいただいた。

小宮山先生は、資料は活用されなきゃいけないという信念を持っていらしたので、その後の15年で数多くの貴重な資料に触れさせていただいた。また『在野研究ビギナーズ』でも簡単に触れた通り、オーガナイザーとしての小宮山先生には、講演をさせていただく機会や小さく濃密な勉強会に参加する機会などを作っていただいた。小宮山先生から「お願い一件」という表題のメールが届くこと――小宮山先生からの「お願い」であれば、原則としてお断りという選択肢は無い――は、恐ろしくもあり楽しみでもあった。

これから先、蒙った学恩に釣り合うほどの仕事を果たせるかどうか定かではないけれど、僅かでも「恩送り」が出来るよう努めたい。