日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

新聞活字サイズの変遷史戦前編暫定版

時折ツイートしてみたり、発表会の資料として配布してみたりしている、『東京朝日新聞』本文活字サイズの変遷を示す図がある。

このような図まで作っているのは現時点では東京朝日だけなのだけれども、大手紙や地方紙を可能な限り多数集めた「新聞活字の事典」というような参考資料を作りたいと思って、色々な資料を参照し、ノートを取り続けている。

作業過程で気づいたのだけれど、大手紙の社史にせよ、地方紙の社史にせよ、紙面の変遷について、判型、段数、行数、活字サイズを漏れなくまた間違いなく記した資料は、絶無とは言わないものの非常に少ない。

いつか書き直されるべき近代日本語活字史ハンドブックのために取り続けているこのノートは、そう遠くない将来に企画されるであろう大手紙の150年史における「組版書誌」データの適正化にも直接役立つはずなのだけれども、それ以上に、複数紙のデータがハンドブックにまとまることで、新聞活字の歴史をちゃんと知るための近隣諸学からの参照先として役立ってほしいという思いが強い。

新聞活字の歴史について知りたい、そのように考えた時、きちんと当てに出来る資料は全く無いと言ってよい。例えば日本新聞製作技術懇話会の会報『CONPT』38巻5号(2014年、通巻227号)に掲載されている立花敏明「新聞製作技術の軌跡(第2回)」のように類例より優れたまとめ記事ですら、「都式活字」の実寸について、「9.75ポ」とする誤伝をそのまま引用しているために正確性に欠けるところがある。

そんなわけで、特に活字サイズに関しては原紙で確認していない段階の推定を含み、また現時点までに調べている内容のごく一部に留めるが、「新聞活字サイズの変遷史戦前編暫定版」として、各紙の本文が五号活字からポイント活字に切り替わっていく明治末を起点とし、戦時統制による統一活字の使用が始まる昭和15年までの期間を概観する表を作成しておくことにした。

大阪毎日 東京日日 大阪朝日 東京朝日 中外商業 西日本新聞
1908明41 11/3から10ポ 12/20から9.5ポ
1909明42 2/11から9.5ポ 5/1から9.5ポ 2/1から都式
1910明43
1911明44 1/1から9.5ポ
1912明45
1913大2
1914大3 4/1から9ポ 4/15から9ポ 3/10から9ポ 4/10から9ポ 12/1から9ポ
1915大4 11/9から9ポか
1916大5
1917大6 9/11から8.5ポ 9/1から8.5ポ 8/1から8/.5ポ 9/1から8.5ポ 12/14から8.5ポ
1918大7 9/1から8ポ 9/1から8ポ 7/1から8ポ 7/1から8ポ 7/1から8ポか 4/4から8.5ポ
1919大8 1/1から7.75ポ 3/1から7.75ポ 1/1から7.75ポか 3/1から7.75ポか 5/19から7.75ポ 2/1から8ポ
1920大9 2/11から7.75ポ
1921大10
1922大11 4/4から7.5ポ 4/4から7.5ポか
1923大12 1/1から7.5ポか 1/1から7.5ポか 10/29から7.5ポ
1924大13
1925大14
1926大15 3/30から7.5ポ
1927昭2
1928昭3 4/1から7ポ 4/1から7ポ 4/1から7ポ 4/1から7ポ
1929昭4 7/1から7ポ
1930昭5 9/1から7ポ
1931昭6
1932昭7
1933昭8
1934昭9
1935昭10
1936昭11
1937昭12 8/1から6.75ポ 8/1から6.75ポ 8/1から6.75ポ 8/1から6.75ポ 9/1から6.65ポ?
1938昭13
1939昭14
  • 表中、「か」としている個所は、原紙による確認を経ていないため他の条件からの推定による数値で、「?」は社史の記述が不自然と思われるが原紙の確認ができないため疑問を示すにとどめたもの。
  • 大阪毎日・東京日日については、『大阪毎日新聞社史』『毎日新聞七十年』『毎日新聞百年史』『「毎日」の3世紀〜新聞が見つめた激流130年』の記述を、東京日日のマイクロフィルムによって修訂している途中。例えば、歴史的に大阪毎日が本流であるという意識が強いためか東京日日が明治42年に採用した活字を10ポとしているが9.5ポのようだ、といった塩梅。
  • 大阪朝日・東京朝日については、『朝日新聞社史』『村山龍平伝』の記述を、縮刷版によって修訂している途中。例えば、「資料編」が「段数・字数・建てページの変遷」という観点しか持っていないため無視されている大正11年12月31日付社告が「正月一日紙上より本紙一段の行数左の如く改正致候/一段百四十行(但し五号活字十五字詰)」と記しているように、「12段15字詰」に違いはなくとも大正12年1月1日付から活字サイズが一回り小さくなっている(のでなければ紙のサイズが大きくなっている)、といった塩梅。なお、冒頭の図で「推定7ポ875」としている時期について、表では「7.75ポか」とした。
  • 中外商業新報については、『日本経済新聞社80年史』『日本経済新聞社120年史』の記述を他の状況や縮刷版から修訂している途中。五号活字からいきなり9ポイントに切り替わるのでなく、10ポまたは9.5ポの時期があったのではないかと疑っているが、未確認。なお、120年史は明治41年6月2日から商況欄が「6ポ19字8段」とする80年史の誤りを正せていないが、これは「6号」活字の誤り。商況欄の活字が6ポイント台になるのは、大正6年末「中外型新活字」採用からであろう。
  • 西日本新聞については、『西日本新聞社史』『西日本新聞百年史』『西日本新聞百三十年史』の記述をメモ。なお、「都式活字」は、東京築地活版製造所の野村宗十郎が(おそらく自らをポイント活字実用化の創始者と権威づけたいために)「9.75ポイント相当の、ポイント体系ではない活字」と呼んだものが都式活字の寸法として土方正巳『都新聞史』等に至るまで伝承され続けている――立花敏明「新聞製作技術の軌跡(第2回)」も同書を参照している――が、実寸を測定した限りでは9.5アメリカンポイント相当の大きさである。