日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

秀英四号全キャラデビュー満120年

近代デジタルライブラリーを深堀りして築地体後期五号仮名のデビュー年を確定する作業を行っていたのと同時期、本文系活字のもう一方の花形である秀英四号のデビュー時期についても並行して探していた。
その頃の観察からは、築地後期四号と後期五号が相前後してデビューしているように(四号が若干先行し五号が後に続く)、秀英三号と四号もほぼ同じ頃に実用例が見つかっている。
三号仮名の最初期の用例は明治26年1893年)12月刊行の環翠子『女の死骸』巻末広告や翌27年1月刊行の饗庭篁村『有馬筆』序文あたりと思われ、四号仮名は明治27年(1894年)半ばまでは青山堂版『教科適用 徒然草本文のように従来型の混合四号が殆どであり、例えば同年8月刊の末広鉄腸政治小説 大海原』序文あたりが秀英四号仮名の最初期用例と見られた。



2012年頃までの間、片塩二朗『秀英体研究』(DNP特設サイト)などで紹介されている〈推定明治29年〉『活版見本帖』に関する年代推定をどの程度妥当と見て良いのか日本語活字史研究者間で疑問が無いわけではなかったのだけれども、自分の手元には、近デジ2万点の観察を通じた実用例の裏付けが揃いつつあった。
そのあたりの観察状況を踏まえ、『アイデア358号掲載の「日本語活字の文化誌」第3回〈うたう活字書体〉に掲出したのが、明治28年(1985年)9月刊行の外山正一『新体詩歌集』本文頁になる(題字が三号、本文が四号)。
358号発売当日の朝に〈K先生から活字史研究上のマニアックな感想を頂戴〉したというのは、この〈推定明治29年〉『活版見本帖』に関する年代推定の妥当性に関する話だ。


さて、秀英体「三号仮名」と「四号仮名」に関しては、実用例から上記のようなデビュー時期を確認することができ、また『一〇〇年目の書体づくり』119頁に掲げられている『印刷雑誌』四巻三号(明治27年4月)掲載〈活字改良〉広告のようにこれを補強する材料もあるのだけれども。
今般、〈秀英舎製文堂の(和文)四号活字〉というくくりで見た場合の秀英四号の完成時期を記した資料を見つけることができた。『印刷雑誌』五巻十一号(明治28年12月)掲載の製文堂「改正四号」広告である。

曰く:

「謹啓本年中は不一方御愛顧を蒙むり奉深謝候明年も猶一層の御引立を願度候扨又弊店は是迄引続活字の改良に従事致居所今般四号活字の改良完結致候間不取敢本文にて広告致候元来弊店は字体角及高低の厳格を保ち活字地金の堅緻なるを重んぢ売価を低廉にして得意の眷顧に乖かさるを期し勉めて諸君の御便利を相図り特に定価も今般表面の通り引下け訂正致候間何卒不拘多少陸続御注文被下度候願上候」
「今般四号活字の改良完結」というのはつまり、明治27年半ば頃に四号仮名から実用供給がスタートしたものと見られる〈仮名+漢字=和文活字〉の全ての字種に関する「改良」が完結したという意味合いだろう。表題に「秀英四号全キャラデビュー満120年」と記した所以である(今年=2015年の12月で、1895年=明治28年12月の上記広告掲載から満120年ということになる)。

ちなみに、この広告文中に「定価も今般表面の通り引下け」とある「表面」の価格表は、府川充男『聚珍録』第二篇293頁に掲載の「図三-百三十八」、「明治二十八年十二月改正 活字類定価表」のことを指す(『印刷雑誌』五巻十一号の306頁と307頁の間に挟み込まれた一枚広告で、定価表と「改正四号」広告が表面と裏面に印刷されている)。