日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

「佐藤タイポグラフィ研究所」の小宮山先生

一昨年来、収集資料を(横浜市ふるさと歴史財団が管理する)横浜開港資料館を経て(同じく財団管理の)横浜市歴史博物館へ寄贈されていた小宮山博史先生から、8月7日付で佐藤タイポグラフィ研究所を無事閉所した旨の挨拶を先般頂戴していた。

Googleでいま眺められるストリートビュー画像は2019年5月に撮影されたものと記されているので、研究所の外観に関する最後の佇まいと言って良いだろう。

https://goo.gl/maps/foVnGWUHpNPJ2fcAA

残念ながら、ここ15年ほどの交流の中で、研究所にお邪魔する機会を得ることは出来なかった。

自分の記憶が確かならば、小宮山先生に初めてお目にかかったのは、2004年6月26日に印刷博物館で開催されたセミナー「築地体の百二十年」だった(セミナーを聴講したことについては、これまでブログ等に書いて来なかった)。

2002年の晩秋から近代デジタルライブラリーを漁りまわるようになり、後に「明治31年築地体後期五号仮名のはじまり」として公表することになるような基礎調査――近デジ総当り作戦――を積み重ねる中で、最初期和文アンチック活字・ゴシック活字に関する資料を集めようとしていた頃だ。

セミナーで小宮山先生が築地活版の「アンチック形文字」について少し触れていらしたので、セミナー終了後に「アンチック形文字」の初出と思われる資料(『印刷雑誌』掲載の広告)について質問させて頂いたところ、近日確認して郵便で知らせるという返事を頂戴し、連絡先をお渡しした。

驚いたことに、6月27日付の消印で、「明治24年11月28日 第一巻 第十号」というメモが付された東京築地活版製造所の『印刷雑誌』掲載広告の複写をお送りいただいた。

小宮山先生は、資料は活用されなきゃいけないという信念を持っていらしたので、その後の15年で数多くの貴重な資料に触れさせていただいた。また『在野研究ビギナーズ』でも簡単に触れた通り、オーガナイザーとしての小宮山先生には、講演をさせていただく機会や小さく濃密な勉強会に参加する機会などを作っていただいた。小宮山先生から「お願い一件」という表題のメールが届くこと――小宮山先生からの「お願い」であれば、原則としてお断りという選択肢は無い――は、恐ろしくもあり楽しみでもあった。

これから先、蒙った学恩に釣り合うほどの仕事を果たせるかどうか定かではないけれど、僅かでも「恩送り」が出来るよう努めたい。