日本語練習虫

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『大阪印刷界』大正二年六月号に記された神戸の金子印刷所

大正二年十月に『日本印刷界』へと誌名を変えることとなった『大阪印刷界』、大正二年一月号(通巻三九号)から同九月号、そして『日本印刷界』であるところの大正二年十月号(通巻四八号)から大正三年九月号(通巻五九号)までを大阪府中之島図書館が所蔵してゐて、マイクロフィルムで閲覧することができる。
短信欄で大阪印刷工組合の他、京都印刷工組合と岡山印刷工組合の状況は記されてゐるんだども、神戸印刷工組合の様子は伝って来ない。
そんな中、大正二年六月の『大阪印刷界 第四拾四號』に、(神戸)海員協会庶務課長久野義亮氏の記事「神戸印刷界の一般」といふ記事があった。
その中に、三谷幸吉が明治三十六年に差替係長として働いてゐたといふ金子印刷所の話が出てくる箇所がある。

開港地としての神戸印刷界の状態は實に不備であると思ふ、我邦第一の貿易港たる此の神戸市には種々雜多の人種が澤山住んで居る、隨つて種々の印刷物が必要である、本協會の如きも其の印刷物は常に佛文と邦文の組合せものか、或は英文と邦文の組合せものかで、單に邦文なかりの印刷物は滅多にないのである、故に邦文もあり歐文もある所でなければ注文は出來ぬのである、神戸には大抵の印刷所には歐文の設備はあるが極く僅か宛であるから大したものは出來ない、外字新聞社の印刷部には歐文の設備は豐かであるが邦文がないから、歐文ものばかりでないと注文が出來ぬ、若し當方に歐文ものばかりの印刷物があつてそれを注文すると、乃公(おれ)ところで遣つてやるといふお慈悲的態度を採つて更に親切心がないから、つい癪に障つて注文するのがいやになる、今はないが、彼の金子印刷所には餘程歐文が澤山あつて、どんなものを注文しても出來ないと云ふものはなかつたが、社に統一がなかつた爲めに皆のものが威張り合ひをしたものだから得意先にも自然不親切であつた、それなどが重な原因となつてとう/\解散してしまつたので、誠に惜しいことをしたものだ、今では先づ明輝社が一番歐文物の印刷が上手だと思ふ、其他にもシツカリしたのが二三軒はあるが、神戸の歐文印刷の需要を滿すには足らないと思ふ。

三谷幸吉が海軍に入隊するまでの間、金子印刷所に勤め続けたのかどうか等、現時点では全く不明。
上記記事から察するところ、大正五年に除隊して来た際に金子印刷所が既に解散してしまってゐたことは確かだらう。