日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

ローマン体欧字活字の歴史と明朝体漢字活字の歴史

@i_mediator 様
バート・モリソンの『五車韻府』が、オンラインで参照できてしまうとは、ありがたくも恐ろしい世の中になったものであります。
1820年版: http://books.google.co.jp/books?id=6zkOAAAAIAAJ&ots=c-EQnG9uX-&dq=Morrison%20Chinese%20Dictionary&pg=PP2#v=onepage&q&f=false
1865年版: http://www.archive.org/stream/dictionaryofchin00morr#page/n11/mode/2up
さて、Robert Morrison『A Dictionary of the Chinese Language: Chinese and English arranged according to alphabetically』中の漢字と欧字について、「あえていうなら、何という書体なのでしょう」とお尋ねいただきましたが(https://twitter.com/i_mediator/status/14210928660)、先日つぶやきました通り(https://twitter.com/uakira2/status/14062195933)、あえていうなら、明朝体の漢字とローマン体の欧字であると、申し上げたく存じます。
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18-19世紀のヨーロッパ人宣教師が、当時の彼らの欧文活字との「混植に違和感が少ない書体として、数多い中国刊本字様(木版印刷用の書体)から」明朝体と我々が呼ぶ様式を漢字活字の書体として選んだ――という見方が存在すること(http://www.robundo.com/adana-press-club/column/column012.html)は、私も存じております。そこでは「18-19世紀に東洋に押し寄せたキリスト教宣教師らが持参した欧文活字」のことが「モダンスタイル・ローマン」と呼ばれています。
ダズリング・イフェクト云々という部分も含め、これは片塩二朗『秀英体研究』(2004、大日本印刷)第八章に書かれた意見そのものですが、それはさておき。
リンク先から更に引用すると、『「宋体・宋体字、明朝体」とは、文芸復興の気運が強かった中国明王朝中期(17世紀)に形成され、のちの清王朝時代はもとより、現代中国でも「明匠体字──明朝の職人字様」とか、「膚郭宋体──宋朝体字様のアウトラインをなぞっただけの字様」、「印刷体」などとして、中国においては昔も今も決して評価は芳しくはない字様であり、書体である。』とのことですが、本当でしょうか。
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国立故宮博物院で2007年に開かれた「皇城聚珍 清代殿本図書特展」のサイトから「印刷技術の多様性」のページ(http://www.npm.gov.tw/exh96/forbiddencity/6_jp.htm)を眺めると、康煕字典明朝体である(http://www.npm.gov.tw/exh96/forbiddencity/jpbig19.html)のはもちろんのこと、武英殿の銅活字で印刷された『古今図書集成』(http://www.npm.gov.tw/exh96/forbiddencity/jpbig34.html)、武英殿の木活字で印刷された『農書』(http://www.npm.gov.tw/exh96/forbiddencity/jpbig35.html)もまた明朝体で刷られています。「宋体・宋体字、明朝体」という印刷書体は、少なくとも清代においては、美醜好悪とは異なる評価軸でかもしれませんが、それなりに高い評価を与えられていたのではないでしょうか。
小宮山博史氏、鈴木広光氏らが『歴史と文字』(1996、東京大学総合研究博物館asin:4130202030)『本と活字の歴史事典』(2000、柏書房asin:4760118918)などで報告して来られたヨーロッパでの漢字活字開発の長い歴史のうち、1805年の帝室印刷所版『主の祈り』など、教皇や皇帝の権威を高らしめる目的で印刷されるテキストの漢字活字について、東洋の皇帝の文字である武英殿の活字書体が参照されるのは当然の心理ではないでしょうか。
……
さて、小宮山博史「イギリス東インド会社印刷所の活字書体」(『歴史の文字』所収)は、モリソンの『字典』第一巻に四種類の彫刻漢字活字が出現することと、『五車韻府』にはそのうちの16フルニエポイント長体彫刻活字が使われていると記しています。また鈴木広光「ヨーロッパ人による漢字活字の開発 その歴史と背景」(『本と活字の歴史事典』所収)によると、これはイギリス東インド会社の印刷物や、マカオで印刷されたさまざまな書物に使われたということです。
ロンドン伝道会からイギリス東インド会社に至ったモリソンは、会社の活字と印刷機を利用し東インド会社が派遣した印刷技術者のトムズ(P.P. Thoms)の協力によって1815-1823年に中英辞書全6冊を印刷したということですから、彼の辞書に使われた欧字はイギリス系のものだろうと推察しますが、その欧字が後に「Scotch Roman」と呼称されることになる Miller & Richard による「ローマン体」であるかどうか(http://typefoundry.blogspot.com/2007/02/scotch-roman.html)といったことは、残念ながら私には分かりません。
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なお、当時の欧字書体であるローマン体と調和する漢字書体として明朝体が選ばれたという考え方については、上記の鈴木2000にも、宣教師以前にヨーロッパ製漢字活字開発を推進した1715-1838年フランスアカデミズムの流れをまとめた、次の記述があります。

いくつかの例外を除けば、フランスの王室印刷所で制作された漢字活字のほとんどが、おそらく欧文の基本書体であるローマン体との関係を考慮して採用されたのではないかと考えられる明朝体であった。それは、一八世紀から一九世紀にかけてのフランスにおける中国学の発展を背景に、漢字という文字が図像的な興味の対象(中国趣味)から体系的な言語研究の対象(中国学)として認識されるようになったのと平行して、漢字活字の機能も、形そのものの図示から「言語」としての中国語の表示(具体的にいえば文章を組むことができるということ)への移行を果たしたことの表われであったといえるだろう。

これについても、歴史的に先行しあるいは平行して刷られた『康煕字典』『四庫全書』『古今図書集成』といった中国の権威ある印刷物に倣ったという見方でいいのではないかと、私は思います。
……
ところで、欧字のローマン体は、誕生した時期によって、現在、ヴェネチアン・ローマン、オールド・ローマン、トランジショナル・ローマン、モダン・ローマンの4種類に分類されているようです。
ヴェネチアン・ローマンは、15世紀後半にルネサンスのイタリアで生まれたローマン体で、Nicolas Jensonに代表されます(http://en.wikipedia.org/wiki/File:Jenson_1475_venice_laertius.png)。
オールド・ローマンは、16-18世紀のヨーロッパで作られたものを言うようです。16世紀フランス産のGaramond、18世紀イギリス産のCaslonなどが、ここに分類されます。
トランジショナル・ローマンは、オールド・ローマンとモダン・ローマンの過渡期・移行期のものとされ、イギリス産Baskerville、フランス産Fournierなどが、ここに分類されます。
モダン・ローマンは、18世紀後半に生まれていて、イタリア産Bodoni、フランス産Didotなどが、ここに分類されます。
印刷局活版部の明治18年『活字文様見本』(国会図書館所蔵)などに見られる通り、明治初期に日本に招来された欧文活字のローマン体は、活字サイズだけを呼び名とする標準スタイルがモダン・ローマンでしたが(http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/853858/26)同じ見本帖に「オールド・スタイル」と名付けられたローマン体も載っているように(http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/853858/22)マシンエイジにおけるローマン体活字は全くのモダン・ローマン一辺倒だったわけではないようです。
また、ヨーロッパでの漢字活字開発が本格的に始まったころのローマン体はオールド・ローマンからトランジショナル・ローマンの時期ですから、モダン・ローマンに合うよう明朝体を選ぶ/作るという言い方は、全く失当と私は思います。
……
以上のような訳で、Robert Morrison『A Dictionary of the Chinese Language: Chinese and English arranged according to alphabetically』中の漢字と欧字について、繰り返しますが、私は、あえていうなら、明朝体の漢字とローマン体の欧字であると申し上げたく存じます。
一般的な呼称である「欧文活字」を使わず「欧字」で通したため、検索エンジンに拾われないのもシャクなので、最後に「ローマン体欧文活字の歴史と明朝体漢字活字の歴史」と、表現を変えた表題をあえて繰り返しておきます。