明治大正期における号数制の金属活字について、それが未知の活字書体である場合、刷られたインクの跡を見て「三号」なのか「四号」なのかを決定するのは意外に難しい。活字尺を当ててみても、小ぶりな字面の三号活字をあまり字間を空けずに組んだのか四号活字を空けて組んだのかが判別できない場合があり得るのだ。
数年前に言及した、印刷局の明治十八年型三号活字によく似た書風の仮名書体。『聚珍録』第三篇が当該書体について「図は痩々亭骨皮道人変輯『滑稽記事論説戯範』の自序で、仮名は和様、築地、更に印刷局などのものが混植されている。三号活字。」と記してゐるため判断に困りつつ、己は仮称博聞四号と呼ぶことにしてゐたんだども、このたび、その最初期用例である埼玉県『小学生徒教草』(明治十一年博聞社)を、埼玉県立浦和図書館の埼玉資料室で実見する機会に恵まれた。
写真は、左が表紙で右が自作のマルチ活字尺。この自作マルチ活字尺の特徴は、朗文堂の「和文金属活字号数・ポイント体系基準スケール」とは考へ方が異なり、写真に見える通り例へばひとくちに三号と言っても実寸が様々であった金属活字の寸法を早見出来るところにある。朗文堂スケールの場合はごく短いテキストであっても四分アキか二分アキかを判別できるところに特徴があるが、己の尺はある程度の行長を前提にベタ四文字分に三文字だったら二分アキでベタ六文字分に五文字だったら四分アキなどと暗算でアキを判断する。
さて、板倉雅宣『号数活字サイズの謎』(asin:4947613726)の実測表が三号活字を5.48mmから5.85mmとし、四号活字を4.51mmから4.92mmとしてゐるやうに、かうしたマルチ活字尺を当てても、原テキストの条件に恵まれなければ、例へば「小ぶりな字面の実寸5.69mm三号活字を二分アキで組んだもの」と「実寸4.87mm四号活字を二分四分アキで組んだもの」を区別することは不可能である。
幸ひ、埼玉県『小学生徒教草』は近デジ資料でも判る通り両側ルビのテキストであるため、「小ぶりな字面の実寸5.69mm三号活字を二分アキで組んだもの」ではあり得ず「実寸4.87mm四号活字を二分四分アキで組んだもの」と判断できた。
そんなわけで、今ではマイクロ資料(およびそれに基づく近デジ資料)しか閲覧できない国会図書館の原資料と並び、埼玉県立浦和図書館所蔵の『小学生徒教草』は活字印刷史の資料として初期「本様仮名」の在り様や博聞社の印刷会社としての業容を知る上で貴重なものであると指摘しておく。