日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

表情のエンコードとデコード

最近の日記、「手塚マンガと漢字のあやしい関係」「欧米人と東アジア人の表情知覚は本能的に異なるのか」の続き。
医療の現場では、描かれた顔の記号(Face scale)を用ゐて気分や痛みの度合ひを尋ねることがあるらしい。
子供向けのFace scale例*1と、C. D. Lorish及びR. Maisiakによる「The face scale: A brief, nonverbal method for assessing patient mood」といふ記事*2中の図版が、春日武彦『顔面考』河出文庫版23頁さ掲げられてゐる。

顔面考 (河出文庫)

顔面考 (河出文庫)

かうした「表情分析」について、医療の現場には、メッセージの記号化(encode)とメッセージの解読・解釈(decode)の双方に関して、それを言語化しツール化したいといふ切実なニーズがあるのだらう。
『Current Biology』の「Cultural Confusions Show that Facial Expressions Are Not Universal」は、ウェブで非会員も眺められる小さい図版を見る限り、髪を除外した顔写真を用ゐて表情のdecodeに関する実験を行った模様なんだども、メッセージのencodeにもculture-specific strategyが在り得ることへの注意は払はれたんだらうか。
また、Face scaleのように抽象化・記号化された「表情」の読み取り実験を行った場合、Western Caucasian observersとEast Asian observersの間で、写真使用時と同様の結果が得られるだらうか。
注目する箇所に若干の違ひは出るかもしれねぇんだども、メッセージのencodeとdecodeに関しては、西洋人と東洋人の間で共通のものになるんぢゃないだらうか(だからこそ西洋で開発されたFace scaleが日本でも通用し得る)。
――てなことを、ティエリ・グルンステン著、古永真一訳『線が顔になるとき』(asin:4409100254)、春日武彦『顔面考』(asin:9784309409696)ば併読しながらつらつらと。『顔面考』は、同書に集められた“マンガにおける狂気イメージ”を眺めるだけでもスゴイことになってゐる。
夏目先生のブログにおいて「グルンステン『線が顔になるとき』以降のゼミ」近辺の記事で言及されてる論文・ブログ・書籍も興味深い論考ばかり。8月17日付の記事「小形克宏「絵文字と日本マンガの親密な関係」 」で暗示的に言及されてると思はれる中澤潤「マンガ読解力の規定因としてのマンガの読みリテラシー」(『マンガ研究』vol.5 asin:9784843325001 所収)は、読んでみなくちゃなーと覚へ書き。
ちなみに、『線が顔になるとき』第三章「情念の表現」中の「表情の豊かさを表すコードとその解釈」といふ節に、テプフェールの後継者として手塚治虫の名が挙げられ、夏目房之介『マンガの力』(asin:479496403x)でも引用された例の顔チャートの図版が載ってゐる。