日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

昭和十八年のミサイル(ロケット弾)研究

今岡和彦『東京大学第二工学部』(asin:4062033801)ばやっと借覧。
第四章147頁から、「さて、戦時研究について、糸川英夫が一つの“秘話”を語ってくれた。当時、糸川は二工航空機体学科の助教授であったが、自分の研究室でミサイル爆弾の開発を手がけていたというのである」といふ話が始まる。

「昭和十八年頃に戦局が危うくなって、軍から特攻隊用の飛行機をつくってくれという依頼があった。陸軍参謀本部と、海軍司令部の両方からきたが、私はノーと返事しました。特攻機に人間を乗せて攻撃に向かっても、途中で打ち落とされる可能性が高く、ただ人間の犠牲を増やすだけです。それよりは、エレクトロニクス技術を使って、向こうの艦船が出す赤外線をキャッチし、そこに誘導してやって命中させる爆弾をつくれば効果的ではないか。いまのミサイルと原理的にはまったく同じものだが、当時は誘導弾と呼んでいました。目標がアメリカの第五十八機動部隊二百隻とすれば、誘導弾を二百個つくれば全滅できるわけです。そう話したところ、それでいこうということになって、糸川のイをとってイ号爆弾と名付けて開発に入ったわけです。」

残念ながら同書においては、このミサイル技術に関連する筈の「飛翔体」の語は出て来ない模様。
三菱重工の航空機エンジン工場に動員された山内一郎氏の学徒動員中の挿話に、興味深い箇所が(164頁)。

「作業服を着て働くのは別にどうってことはないけど、本がむしょうに読みたくなりましてね。僕はタバコを吸わないので、タバコが配給されると本屋に持っていって、航空技術の本と交換してもらったものです。どういうわけか、アメリカの文献なんかがけっこうあったんですよ。」

さて、典拠が判らないので困るんだども、同じ記事を使ひまはしあってゐる複数のサイトによると、イ号爆弾については、イ号一型甲といふ大型の無線誘導弾を三菱重工が製作し、四式重爆撃機「飛龍」に搭載して使用したらしい。
さしあたり、『東京大学第二工学部』末尾の参考文献のうち、『太平洋戦争 日本の秘密兵器(陸軍編)』(asin:4059011428)『同(海軍編)』(asin:4059011436)と『日本科学技術史大系 第四巻通史4』(S41日本科学史学会編)ば眺めてみっぺと心覚。
これらに密接に関連するところで、宇宙科学研究所所長が2001年に書いた「戦前の日本のロケット研究」といふ記事があることも知った。そこに出てくる参考文献『日本ロケット物語』(asin:4895831507)も見ておかねば。