2016年度立命館明治大正文化研究会の“放課後”に、面白い宿題を頂いた。
青空文庫の樋口一葉『暁月夜』は初出誌である金港堂『都の花』第百一号を底本としているのだけれど、この校正を担当されたJuki氏によると、「ぶん」と読むべき「文」は全て通常の漢字活字が使われていて、「ふみ」と読ませる「文」に関しては第四回「首尾よく文は」の例外を除き全て《くずし字的な文字》活字で刷られているというのだ。
青空文庫の底本である『都の花』第百一号は、国文学研究資料館の近代書誌・近代画像データベースが高知市民図書館・近森文庫所蔵本を画像化したデータを「CC・BY・SA」で公開してくれているので、同DBから当該箇所を抜き出してみよう当該ページへのリンクを示しておこう。
まず、第1回2頁(http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR/CKMRT-00486.html#31)右から5行目中ほどにある「文學書生《ぶんがくしよせい》」の「文」は、通常の明朝活字の漢字「文」である。
一方、第3回12頁(http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR/CKMRT-00486.html#36)左から2行目冒頭「文《ふみ》か有《あ》らぬか書《か》き紛《まぎ》らはし」の「文」は、仮にこれが活字でないとすれば〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきものになっている。
この『都の花』第百一号の本文は基本的に「前期型」の「築地五号」で組まれていて――ごく一部に「乱雑混植」も見られるが今回の課題には関係が無い――、この《通常の明朝活字の漢字「文」》と《〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきもの》のどちらも、例えば明治27年6月に発行された東京築地活版製造所『五號明朝活字書體見本』中に標準キャラクタセットに含まれる活字として掲載されているものである。
小宮山コレクションから、《〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきもの》が含まれる個所「平仮名及び附属物」を含む、当該見本帳47頁の画像を掲げておく(「平仮名ぼ」の左隣に問題の《〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきもの》が掲載されている)。
明治期の築地活版の活字見本帳で「平仮名の附属物」という扱いになっているキャラクタのうち、「こと」「より」などは「合略仮名」という呼称でくくられるキャラクタ群ということになる筈だけれど、明治期の活版印刷物のうち候文や手紙文が活字化されたもので見かけることが多いキャラクタ群について、活字クラスタではなく国語国文クラスタの方々の間で既に何か呼び名がつけられているのだろうか。不勉強で全く判らない。「文文字(ふみもじ)」とでもいうような、具合のいい呼び名がつけられていないものだろうか。ぜひとも御教示被下度候*1。
また、上記活字見本のうち、当方の残念な国語力では「こと」「ごと」以下、一部のキャラクタしか何というキャラクタであるかが判らない。併せて御教示賜度候也。
……というわけで、この《〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきもの》は樋口一葉『暁月夜』という作品のために特注された活字ではなく、少なくともこの掲載誌『都の花』第百一号の本文活字「築地五号」における標準キャラクタセットに含まれる活字であったため、使用者側の意志さえあれば(通常の漢字の「文」と)容易に使い分けることができるキャラクタである。
この使い分けは、一葉が意図したものだろうか、編集者の手によるものだろうか。それは原稿が残っていたりして確認できるものなのだろうか。第四回16頁左から6行目中ほど「首尾よく文は」の「文《ふみ》」は、このページを組んだ職人の誤植だろうか。
「文《ぶん》」と「文《ふみ》」の使い分け、一葉の他の作品ではどうか。『都の花』に掲載されている他の作家の作品ではどうだったか。
――等々を、山下浩『本文の生態学』のように細かく丁寧に追求した方はいらっしゃるだろうか。別に異なるスタイルでの追及でも構わないのだけれど、既知のテーマなのか未知のテーマなのかといった事柄をご存知の方がいらしたら、お知らせください。
2016年12月26日追記。国文学研究資料館の「近代書誌・近代画像データベース」で公開されている全ての画像データが「CC・BY・SA」扱いであるかのように記載しておりましたが、この条件下で公開されているのは国文研所蔵本に限られ、他館のものはその限りでないとお教えいただきました。取り急ぎ「高知市民図書館・近森文庫所蔵本を画像化したデータ」を削除し、「近代書誌・近代画像データベース」の当該箇所へのリンクのみ残します。関係各位様、申し訳ありませんでした。
2016年12月26日追記の2。このブログ記事の公開を知らせるツイートに「近森本」の画像データを使用していたため、当該ツイートを削除しました。
そのツイートに繋がる形で、下記のようなスレッドが続いていました。
.@uakira2 「明治三十一年四月改正 五号明朝活字総数見本」https://t.co/9rXxghKmoL では、「文して」合字まで用意してありますが、実際の使用例ってご存知ですか?女性手紙仮名合字や申・御・也・候の草書体活字は見ますが、他のはどの程度使われたのでしょうね。
— 2SC1815J (@2SC1815J) 2016年12月25日
.@2SC1815J 「文して」を見た記憶はありません。仰る通り、「かしこ」「まいらせそろ」・申・御・也・候・被(及び、よりポピュラーな「こと」「より」「〆」)など、限られた字種しか実用例を見ていないような気がします。
— UCHIDA Akira (5.0) (@uakira2) 2016年12月25日
.@uakira2 申・候などのくずし字は、明治10年の和様三号にも、写研のKH-A(変体かな)にも、活字/文字盤が用意されていて、それだけよく使われたのでしょうけれど、その他の「活字になっているわりに実用例を見かけていない草書体活字」については、実用例を見つけてみたいですね。
— 2SC1815J (@2SC1815J) 2016年12月25日
@uakira2 @monokano @2SC1815J @hatenadiary 素人推量なのですが、<草書で書かれた「文」>のほうは、「彣」のくずしではないでしょうか。「彡」の部分を送り仮名に見立てるとうまい具合に「彣」が「文ミ」と訓めるので書き分けに利用されていたのでは。
— 尾花 健一郎 (@kenichiro_obana) 2016年12月26日
@kenichiro_obana @uakira2 東京大学史料編纂所「電子くずし字字典」で検索すると、「文」のくずし字として https://t.co/9SOVCmcUDr のような例が示されますが、なるほど、そのように考えることもできるのですね! ご教示ありがとうございます。
— 2SC1815J (@2SC1815J) 2016年12月26日
@2SC1815J @uakira2 仮名の書き分けは表音という性質上あくまでも「書芸的」なものでしょうが、漢字の書き分けにはひょっとしたら字義的なものに加えてこの「文」「彣」のような「訓ませ」のための工夫があったのかもしれないと考えると、かなり興味深いですね。
— 尾花 健一郎 (@kenichiro_obana) 2016年12月26日
*1:「かしく」「かしこ」などは(合略仮名ではなく)「合字仮名」と呼ばれるだろうか、また「こと」「より」をも併せて「合字仮名」グループとするのだろうか。