日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

独立研究者連盟を旗揚げする日

過日ツイートした通り、研究者番号を持っていなくとも論文(あるいはそれに類する著作物等)があれば登録できる研究者ポータル・研究者データベースであるresearchmap(の中の人)が、我々「在野研究者」「日曜研究者」「野良研究者」「独立研究者」「フリー」等を統合する「所属」属性ラベルに関する意見を募集中だ。

事の経緯はtwitter/@naka3_3dsukiさんによるTogetterまとめ「リサーチマップ(researchmap)の登録者の新しい区分について」や、同氏のブログ記事「【ニュース】researchmap登録者の新しい区分に図書館司書・学芸員ほか色々と検討開始」に記されている。


ところで、《我々「在野研究者」「日曜研究者」「野良研究者」「独立研究者」》のうち、英語でいう「Independent Scholar(またはIndependent Researcher)」の訳語として相応しいものは、どういうものだろうか。

2017年4月21日現在、「Independent Scholar」で検索すると第1位がWikipedia英語版の当該項目である。

第2位が「independent scholar の訳語 - TOEFL・TOEIC・英語検定 解決済 | 教えてGoo」になっており、「独立研究者、在野の研究者、など言い方はいくつかあるかと思うのですが、新聞などで表記する際independent scholar をどう訳しているのか知っていたら教えてもらえると嬉しいです。」という質問に対するベストアンサーとして、次の回答が掲げられている。

在野研究者

在野学者

独立系研究者

など

使用例:

http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY201109190083.html

http://mainichi.jp/s/it/news/20110608k0000m030084000c.html

回答中で示されているURLはどちらもリンク切れになっているが、前者(2011年9月19日付朝日新聞「週刊アジア」コーナーの記事)はインターネットアーカイブに蓄積されており、「交易の島、共通語生む インドネシア ことばを訪ねて(1)」と題する、「在野研究者」用例の記事であることが判る。後者はインターネットアーカイブにも残されていないが、2011年6月8日付毎日新聞の「Independent Scholar」関連記事であることから、G-Searchにより、同日付の東京朝刊国際面に掲載された「米グーグル:Gメール攻撃「単純だが大胆な手口」専門家。2月に警告」と題する「独立系研究者」用例記事であることが判る。

このように例示されると、「在野研究者」はどちらかというと「Scholar out of power」などだろうから「Independent Scholar(Researcher)」は「独立系研究者」だな――と思ってしまいがちだが、この「回答」は2017年の我々にはふさわしくない。

「我々」の自称で(も)あり得る「フリー研究者」「在野学者」「在野研究者」「自主研究者」「自由研究者」「自立研究者」「独立系研究者」「独立研究者」「日曜研究者」「無所属研究者」「野良研究者」のキーワードでG-Searchしてみたところ、次のような結果を得た*1

グラフに掲出していない「自主研究者」「無所属研究者」「野良研究者」は0件。「自由研究者」は1997年6月18日付日本工業新聞の「動燃改革検討委員会 座長試案」1件のみ。「自立研究者」も、2014年6月23日付日刊工業新聞の「13年度版の科学技術白書、高度研究人材の流動性・多様性の向上を重視」1件のみ。

「独立系研究者」は1990年〜2016年の期間に3件しか使われておらず、5件使われた「日曜研究者」や10件使われた「在野学者」、17件使われた「フリー研究者」よりも少ない(上記〈Gメール攻撃〉の記事は、希少用例を一種の典型例として示してしまった、不幸な回答である)。

2016年に荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために/在野研究者の生と心得』(asin:9784487809752)が刊行されるなど本命と目される「在野研究者」はこの期間に73件、対抗となる「独立研究者」は110件使われている。

「独立研究者」は、グラフに表れている通り、2000年代に入って急速に世間に浸透してきた言葉といえる。一方の「在野研究者」はこの期間コンスタントに使用されているだけでなく、例えば「本務校をもたない非常勤講師の問題・在野研究者の問題(婦人研究者問題全国シンポジウム)」(1975年11月『日本の科学者』)のような今日的問題を含む40年前の用例があったりするように、古くから「我々」のことを指し示す言葉として使われ続けている(《これからのエリック・ホッファーのために》が「在野研究者」の語を選んでいるのも、同書が歴史に学ぼうとする本だからであろう)*2

ともあれ、「フリーランス・独立系」という形で「独立系」という文字列を目にすると、「政府系シンクタンク」「独立系シンクタンク」などと言う時の「独立系××」に所属しているかのように感じてしまうし、「独立系研究者」の省略形だとするなら、実は前述のように「独立系研究者」の語は「Independent Scholar/Researcher」の訳語として今採用するべきではない。仮に〈フリーランスや独立研究者などに類する系統の方々〉の意味であるとしても「フリーランス・独立」「フリー・独立」「フリーランス・独立研究者」などに改めていただいた方がいいように思われる。


ここまでお読みいただいたあなたは、例えば中学校や高校で教鞭を執る傍らで研究活動を行う、しかも科研費を取得した研究活動まで行い成果を挙げている、そのような研究活動の中で「あなたは研究者では無い」という理由で資料へのアクセスを拒まれた経験をお持ちであったりしないだろうか。

また別のあなたは、建前上申請できるはずの科研費について、研究者ではなく教員として雇用される非常勤だからと、「所属先」から手続きを拒まれるような経験をお持ちであったりしないだろうか。

更に別のあなたは、「所属先」から定年退職して以降も自分自身の研究活動を継続している、そのような研究者であったりしないだろうか。

あなたがたもまた、我々Independent Scholarの仲間に他ならない。

Wikipedia英語版のIndependent Scholarの項を見ると、アメリ「National Coalition of Independent Scholars」、カナダ「Canadian Academy of Independent Scholars」、オーストラリア「Independent Scholars Association of Australia」等、諸外国では我々「独立研究者」をサポートする組織が活動しているのだという*3

「有所属研究者」が研究活動を寡占している「異常な」時代は、おそらく少子高齢化と情報化によって緩やかに終わりつつあり、我々Independent Scholarもまた(歴史的には常に既に)「裾野」とは限らない学術の担い手であることが社会的に認知されつつある、そのような時代に世界が変わりつつあるのだろう。

《これからのエリック・ホッファーのために》が示すような形で、個々人の努力と根性と幸運に頼って研究を進めざるを得ない「在野研究者」の時代を、2016年で終わらせてもよいのではないか。

researchmapに登録することで「独立研究者」という研究者であることがオーソライズされる、そしてそのような「独立研究者」の研究活動がNCISのような組織によってサポートされる、――そのように「社会の仕組み」によって「独立研究者」の研究活動が行われるような未来が、この日本でも今まさに切り開かれて、良いのではないか。


吾輩は「独立研究者連盟」所属である。連盟はまだ無い。

*1:2017年4月20日に「全期間」「全媒体」で検索した結果から、2017年の用例を省いた。

*2:「在野研究者」と「独立研究者」について、ざっさくプラスでより長期間の展開を追跡したい気持ちもあるが、非会員なので叶わない。どなたかお教えいただきたい

*3:カナダの組織は、「生涯学習」をキーワードに掲げていたり、大学がバックアップしている模様であるなどの点が興味深いが、各組織について、まだ十分に観察できていない。

陸前港駅北東「昭和大震嘯碑」の(記憶)ポータル化を望む

2016年春、Ingress「Initio Tohoku Mission」に向けて新規ポータル申請が「岩手県宮城県福島県の沿岸部エリア限定」で復活していた

申請可否の処理もたいへん素早く、陸前港駅のすぐ北東、国道沿いに建てられていた「昭和大震嘯碑」の新規申請を2016年4月20日に登録していたところ、同5月22日には下記のように却下の返信が届いていた。

We've reviewed your Portal submission and given the information you've provided in your submission, we have decided not to accept this candidate.

At this time, we’re not able to provide specific rejection reasons for each submission we review; however, the following are common reasons for rejection:

  • The candidate is on our PLEASE DON'T SUBMIT list
  • We couldn't find evidence that the candidate meets any of our ACCEPTANCE CRITERIA
  • The candidate was submitted in an incorrect location, and we weren't able to find the right location

なぜ今頃そんな話を思い出したかというと、2017年4月14日に現地を再訪したところ、この「昭和大震嘯碑」が無くなっていたからだ。

この陸前港駅北東にあった「昭和大震嘯碑」は、2011年の「大震災」で倒れたものが2014-2015年に再建され、2016年度中あるいは2017年度に入ってから付近の国道関連工事のために(一時的に?)撤去されてしまったようである。

ストリートビュー2012年12月撮影:

ストリートビュー2015年8月撮影:

現況写真2017年4月14日撮影:

最近、ここ2年ほどの間に宮城県内で申請したポータルの登録可否判断処理が進んでいるようで、たびたびメールが届いている。

可能ならば、この陸前港駅北東「昭和大震嘯碑」も、一種の「記憶ポータル」として登録して欲しい(国道関連工事が終了した後、この石碑は現地に復元されるはず)。宮城県在住エージェントからのお願い。

高木元「『浮雲』 書誌」の〈組版書誌〉に寄せて

去る3月31日付での印刷・発行扱いで、立命館大学国文学研究資料館「明治大正文化研究」プロジェクト編『研究成果報告 近代文献調査研究論集 第二輯』(asin:9784875921851)が刊行された。前半に作品研究が4本、後半に書誌研究が3本収録されているのだけれど、書誌研究のうちの1本として「近代日本の活字サイズ――活字規格の歴史性(付・近代書誌と活字研究)」という表題のテキストを掲載していただいている。
このテキストは、昨年12月23日に開催された立命館明治大正文化研究会において発表した近代日本の活字サイズ 神話的・「伝統的」・歴史的」を改題し独立した文章として纏めたもので、近代日本語活字の歴史研究というフィールドで、板倉雅宣『号数活字サイズの謎』(2004年、asin:4947613726)や山本太郎タイポグラフィにおける文字の大きさに関する考察」(2007年、『タイポグラフィ学会誌01』)などからの進展を目指している。大学図書館などにあてて配布されることとなる模様で、もしも身近に接せられるようであれば、ご高覧ご批正を賜りたい。



副題の末尾に括弧書きしている「近代書誌と活字研究」は、本論のあとに滑り込ませた断章形式のメモあるいは手紙のようなテキストで、このうちの1つは敬愛する高木元先生にあてたレスポンスとなっている。
このところ、近代書誌あるいは分析書誌が扱う事項のうち活字・組版の記述を取り出して「組版書誌」と(暫定的に)呼んでいるけれど、この「組版書誌」に関して(可能ならば高木先生も交えて)読者諸賢と共に議論を深めたい事柄であるため、注釈フォーマット・番号と図版番号を論集から〈はてダ〉用に改め、またWebエディションとしてリンクを増強したものを、下記に掲げておく。

青葉ことばの会編『日本語研究法〔近代語編〕』(おうふう、二〇一六、asin:9784273037833)に、高木元氏による「『浮雲』 書誌」という極めて詳細な書誌が掲載されている*1
高木氏の「そもそも書物とは本文テキスト(文字列)だけが問題なのではなく、表紙の色や使われている材質、その装訂の意匠、手に取った時に感じる重みや感触、使用されている紙の質感や厚み、板面の字詰めや行間の空き、使われている活字の美しさ、インクの匂い、印圧に拠って生じた凹み等々、まさに五感を駆使してモノとして書物と対峙することなしに〈読書〉という行為は成立しないのである。」という動機に支えられて記された「『新編浮雲』 第一篇 」書誌の「組版」の項目に、「二葉亭四迷浮雲はしがき」は東京国文社楷書四号活字、23字詰×9行、字間ベタ、総ルビ。春の屋主人「浮雲第一篇序」は弘道軒清朝四号と東京国文社五号仮名との組み合わせ、30字詰×11行、字間ベタ。目録・本文は東京国文社四号明朝活字、23字詰×11行、字間二分アキ、総ルビ。広告は東京国文社五号明朝活字、36字詰×23行、ベタ組み。」とある。
国会図書館デジタルコレクションでは、国会図書館「特52-703」本に広告が見当たらないので、他の部分の活字について気がかりな事柄を、志を同じくする者の間での相談のために記す。「浮雲はしがき」に使われた活字のボディー寸法は弘道軒清朝四号*2相当(六・一四ミリ)で、漢字活字の「書体」は弘道軒清朝四号。仮名の「書体」は複数系統が混在するように思われるが、筆者の知見では未詳とせざるを得ない。また春の屋主人「浮雲第一篇序」の序文本体に使われている活字のボディー寸法は弘道軒清朝五号相当(四・六三ミリ)で、漢字活字の「書体」は弘道軒清朝五号。仮名の「書体」は(紙幣局‐印刷局の古い五号活字の流れを汲む)国文社の五号仮名で、「活字」としてはこれを清朝五号サイズのボディーに鋳込んだものであろう。本文については高木氏の記載通りと思われる。
大正から昭和初期にかけて、新聞活字が次々に小さくなっていくことに対応するため、例えば秀英舎の場合「小振りな字面で作った六号活字」の活字母型で「六号ボディー(七・七五ポイント相当)」の活字と七・五ポイントボディーの活字、七ポイントボディー活字の三通りの活字を鋳造したようである。また、関東大震災以後昭和一桁半ばまでの築地活版が用いた五号活字には、十ポイント活字と共通の母型――筆者はこの仮名書体をいわゆる「後期五号」の次の世代のものとして暫定的に「復興五号」と呼んでいる*3――を使っていた模様である。
この「秀英六号母型」活字や「築地復興五号母型」活字、あるいは『新編浮雲』や、吉岡書籍店の「新著百種」シリーズ第一号および第二号などに見られる国文社/田口高朗印刷の清朝五号サイズの活字のように、活字ボディーと活字「書体」が一体化していないような活字を用いた印刷物の書誌を、どのように記すのが良いだろう。高木氏の「『浮雲』 書誌」のように「弘道軒清朝四号と東京国文社五号仮名との組み合わせ」という書き方では、【図】右側の「博聞本社」広告のように異なるサイズの活字が組み合わされている本文組の状態を記したように思われないだろうか。

このようなケースでは、複数サイズ混在の本文組と区別するため、従来から「組版」の情報を記載する際に使われていた、「明朝N号活字、M字詰×L行、字間○○」のように「活字サイズ、文字組」の順に記した上で補足的に「書体」について言及する方が好ましいのではないだろうか。つまり、「『新編浮雲』 第一篇 」書誌を例にとると「二葉亭四迷浮雲はしがき」は清朝四号活字、23字詰×9行、字間ベタ、総ルビ、活字書体は東京国文社楷書四号。春の屋主人「浮雲第一篇序」は清朝五号活字、30字詰×11行、字間ベタ、本文活字書体は弘道軒清朝五号と東京国文社五号仮名との組み合わせ。目録・本文は四号活字、23字詰×11行、字間二分アキ、総ルビ、活字書体は東京国文社四号明朝。広告は五号活字、36字詰×23行、ベタ組み、本文活字書体は東京国文社五号明朝。」という具合になるのだが、如何だろうか。

*1:例によって高木元氏のサイト「ふみくら」にGNUフリー文書としてアーカイブされている。〈http://www.fumikura.net/other/ukigumo.html

*2:東京国文社が独自規格の「楷書活字」を作っていたとは思われず、弘道軒清朝の号数で示すべきと考える。

*3:内田明「大正・昭和期の築地系本文活字書体」(『タイポグラフィ学会誌08』〈二〇一五〉所収)

正体不明な大正初期9ポイント活字

大正4年から6年にかけて新潮社が発行した出版物を見ていると、正体不明な9ポイント活字が使われているのを目にする。

NDLデジコレインターネット公開資料のうち、大正3年に発行された27点中、本文に9ポイント活字を使っているのは『子の見たる父トルストイ』1点のみで、博文館印刷所が7月6日付で印刷した「築地電胎9ポイント」型活字の使用例である。

新潮社の出版物では、大正4年に発行された24点のうち次の5点において、問題の正体未詳9ポイント活字の使用が開始されている。

下記はNDLデジコレによる、中沢臨川タゴールと生の実現』の冒頭ページ。

過日吹囀した通り、去る3月10日付で発行された『アイデア377号パイロット版が収録されている白井敬尚組版造形』が取り上げる和書に関する、活字書体や字間・行間の「リヴァース・エンジニアリング」を「組版書誌」という名称で担当させていただいていて、このパイロット版で取り上げられている竹久夢二『小夜曲《せれなあど》』(大正4年12月20日発行)の本文もまた、この正体不明な9ポイント活字で刷られている

この9ポイント活字、仮名の骨格は明治末までに作られていた秀英舎製文堂の三号太仮名に似たスタイルとなっていて、確かに秀英体らしさを感じる書体ではあるのだけれども、大正5年頃の新聞各紙に秀英舎が提供した9ポイント/9ポイント仮名つき活字の書体は我々が「秀英電胎9ポイント」型と呼ぶスタイルであって、『せれなあど』タイプのものではない。

以後、大正5年に「新潮社印刷部」高橋治一名義での本文9ポイントの活字は全て『せれなあど』型。

大正6年4月2日印刷(「新潮社印刷部」高橋治一)の『トルストイ叢書 第6』からは「秀英電胎9ポイント」活字との混植が始まり、10月14日印刷(「新潮社印刷部」高橋治一)の『有島武郎著作集 第一輯』からは全て秀英電胎9ポイントになるようだ。

秀英体研究』に掲載されている、秀英舎製文堂の大正3年版総数見本『活版見本帖 Type Specimens』に掲載されているポイント系活字が「19ポイント」「9ポイント半」「9ポイント半仮名付」のみであるように、大正3年の段階では「秀英電胎9ポイント」は未完成である。

過去の観察に基づく限り、「新潮社印刷部」高橋治一名義での印刷物の大半は、秀英舎の活字を用いた印刷物になっているのだが、「秀英電胎9ポイント」以前に、ごく短期間だけ「初期型」の秀英9ポイント活字が短期間使われていたというようなことなのだろうか。

あるいは、勇文堂などこの時期にポイント活字を供給していたと見られる他の活字製造業者による9ポイント活字を、中正社/新潮社印刷部が一時的に使用していたということなのだろうか。

手がかりを得たいと考えているが、今のところ、NDLデジコレインターネット公開資料の大正3年〜6年発行出版物のうちNDC91類1586点を十分に調査できておらず、中正社/新潮社印刷部以外でこの正体不明の9ポイント活字を使っているように見える資料も、秀英舎が9ポイントで刷った資料も、どちらも見つけることができないでいる。

9月の刊行が予定されている白井敬尚組版造形』(誠文堂新光社)の原稿締め切りまでに、この9ポイント活字の素性を明らかにすることができるかどうか。諸賢のご教示を希う次第。

候文のアレ

先日 id:karpa さんにお教えいただいていた、『漢字講座』8「近代日本語と漢字」と、ついでに同7「近世の漢字とことば」、同9「近代文学と漢字」を眺めてみていた。
この中では、「近代日本語と漢字」isbn:4625520886 に収録されている貝美代子「書簡文の漢字」が最もこの話題に近いのだけれど、根本的な問題意識が全く異なっているので、お互いにうまく話が通じない感じの内容だった。
例えば、「みんなで翻刻」の対象資料にもなっている、東大地震研「安政二乙卯年十月二日大地震之事」の十月十六日のあたりのように、極力漢字を崩さないで書かれているところにおける「候」「之」「而」なんかの崩しっぷり(と小書きっぷり)は、これらの文字が「使用率上位の漢字」としてではなく〈候文に特徴的な、仮名に準ずる一種の記号〉として書かれているんじゃないかと思えてならない。



同じく id:karpa さんにお教えいただいていた矢田勉『国語文字・表記史の研究』isbn:9784762936029 第三章「候文の特質Ⅰ」の「六 候文における「候」字の機能」465頁には、「候」字が草書の《非常に崩された字形》で書かれたり更に《「ゝ」によるような表記さえ可能であった》ことについて、《「候」にはもはや語彙的意味はなく、したがって視覚上、漢字「候」が字形として明確に示される必要が全くといっていいほどなかった、ということなのである》と記されている。
やはり、〈仮名に準ずる一種の記号〉と言ってしまった方がスッキリするんじゃないだろうか。

国語×活字問題としての樋口一葉『暁月夜』の「文」

2016年度立命館明治大正文化研究会の“放課後”に、面白い宿題を頂いた。

青空文庫樋口一葉『暁月夜』は初出誌である金港堂『都の花』第百一号を底本としているのだけれど、この校正を担当されたJuki氏によると、「ぶん」と読むべき「文」は全て通常の漢字活字が使われていて、「ふみ」と読ませる「文」に関しては第四回「首尾よく文は」の例外を除き全て《くずし字的な文字》活字で刷られているというのだ。

青空文庫の底本である『都の花』第百一号は、国文学研究資料館の近代書誌・近代画像データベースが高知市民図書館・近森文庫所蔵本を画像化したデータを「CC・BY・SA」で公開してくれているので、同DBから当該箇所を抜き出してみよう当該ページへのリンクを示しておこう

まず、第1回2頁(http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR/CKMRT-00486.html#31)右から5行目中ほどにある「文學書生《ぶんがくしよせい》」の「文」は、通常の明朝活字の漢字「文」である。

一方、第3回12頁(http://school.nijl.ac.jp/kindai/CKMR/CKMRT-00486.html#36)左から2行目冒頭「文《ふみ》か有《あ》らぬか書《か》き紛《まぎ》らはし」の「文」は、仮にこれが活字でないとすれば〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきものになっている。

この『都の花』第百一号の本文は基本的に「前期型」の「築地五号」で組まれていて――ごく一部に「乱雑混植」も見られるが今回の課題には関係が無い――、この《通常の明朝活字の漢字「文」》と《〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきもの》のどちらも、例えば明治27年6月に発行された東京築地活版製造所『五號明朝活字書體見本』中に標準キャラクタセットに含まれる活字として掲載されているものである。

小宮山コレクションから、《〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきもの》が含まれる個所「平仮名及び附属物」を含む、当該見本帳47頁の画像を掲げておく(「平仮名ぼ」の左隣に問題の《〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきもの》が掲載されている)。

明治期の築地活版の活字見本帳で「平仮名の附属物」という扱いになっているキャラクタのうち、「こと」「より」などは「合略仮名」という呼称でくくられるキャラクタ群ということになる筈だけれど、明治期の活版印刷物のうち候文や手紙文が活字化されたもので見かけることが多いキャラクタ群について、活字クラスタではなく国語国文クラスタの方々の間で既に何か呼び名がつけられているのだろうか。不勉強で全く判らない。「文文字(ふみもじ)」とでもいうような、具合のいい呼び名がつけられていないものだろうか。ぜひとも御教示被下度候*1

また、上記活字見本のうち、当方の残念な国語力では「こと」「ごと」以下、一部のキャラクタしか何というキャラクタであるかが判らない。併せて御教示賜度候也。


……というわけで、この《〈草書で書かれた漢字の「文」〉と呼ぶべきもの》は樋口一葉『暁月夜』という作品のために特注された活字ではなく、少なくともこの掲載誌『都の花』第百一号の本文活字「築地五号」における標準キャラクタセットに含まれる活字であったため、使用者側の意志さえあれば(通常の漢字の「文」と)容易に使い分けることができるキャラクタである。

この使い分けは、一葉が意図したものだろうか、編集者の手によるものだろうか。それは原稿が残っていたりして確認できるものなのだろうか。第四回16頁左から6行目中ほど「首尾よく文は」の「文《ふみ》」は、このページを組んだ職人の誤植だろうか。

「文《ぶん》」と「文《ふみ》」の使い分け、一葉の他の作品ではどうか。『都の花』に掲載されている他の作家の作品ではどうだったか。

――等々を、山下浩『本文の生態学』のように細かく丁寧に追求した方はいらっしゃるだろうか。別に異なるスタイルでの追及でも構わないのだけれど、既知のテーマなのか未知のテーマなのかといった事柄をご存知の方がいらしたら、お知らせください。



2016年12月26日追記国文学研究資料館の「近代書誌・近代画像データベース」で公開されている全ての画像データが「CC・BY・SA」扱いであるかのように記載しておりましたが、この条件下で公開されているのは国文研所蔵本に限られ、他館のものはその限りでないとお教えいただきました。取り急ぎ「高知市民図書館・近森文庫所蔵本を画像化したデータ」を削除し、「近代書誌・近代画像データベース」の当該箇所へのリンクのみ残します。関係各位様、申し訳ありませんでした。



2016年12月26日追記の2。このブログ記事の公開を知らせるツイートに「近森本」の画像データを使用していたため、当該ツイートを削除しました。
そのツイートに繋がる形で、下記のようなスレッドが続いていました。


*1:「かしく」「かしこ」などは(合略仮名ではなく)「合字仮名」と呼ばれるだろうか、また「こと」「より」をも併せて「合字仮名」グループとするのだろうか。

モリサワ『たて組・ヨコ組』あるいは『たて組ヨコ組』一覧

年頭から掲げ始めていたモリサワ『たて組・ヨコ組』(あるいは『たて組ヨコ組』)の書影と目次などのメモですが、手持ちの不足分について@mashabow氏および@bxjp氏のご協力をいただき、創刊号から第57号までの情報を揃えることができました。

全号揃いの記念に、創刊号から57号までを一覧表にしておきます。それぞれの「No.」のところが、各号の書影・目次・書誌の記録へのリンクになっています。

発行年 No. 特集 表紙 AD デザイン 編集
1983年 1(夏) 広告文字 大竹伸朗 勝井三雄 勝井三雄デザイン研究室 麹町企画
2(秋) 創刊雑誌 山崎英介 田中一光 田中一光デザイン室 麹町企画
1984 3(冬) ベルエポック・オーサカ 早川良雄 田中一光 木下勝弘 麹町企画
4(春) CGとヴイジュアル表現 秋山育 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
5(夏) 身近になったデザインの国際舞台+国際タイプフェイスコンテスト審査結果発表 五十嵐威暢 田中一光 木下勝弘+秋田寛 アルシーヴ社
6(秋) カウンターカルチャー&デザイン'60s 宇野亜喜良 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
1985年 7(冬) デザイナー志望のための185項目 安西水丸 田中一光 木下勝弘+秋田寛 アルシーヴ社
8(春) デザインにおけるポスト・モダン現象 松永真 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
9(夏) 日暮真三のデザイン学校・たて糸ヨコ糸 佐藤晃一 田中一光 木下勝弘 アルシーヴ社
10(秋) THE STYLED BOOK 黒田征太郎 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
1986年 11(冬) ことばで語れるかデザイン 浅葉克己坂田栄一郎 田中一光 木下勝弘 アルシーヴ社
12(春) FASHION MASSAGE ハルオ宮内 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
13(夏) 明朝活字 田中一光 田中一光 秋田寛 アルシーヴ社
14(秋) デザイン雑誌 戸田正寿 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
1987年 15(冬) 日暮真三のデザイン・プロダクションたて道ヨコ道 勝井三雄+高橋宣之 田中一光 秋田寛+堀川有二 アルシーヴ社
16(春) COMPUTER IMAGING 粟津潔 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
17(夏) シルクスクリーン+国際タイプフェイスコンテスト サイトウマコト 田中一光 秋田寛+堀川有二 アルシーヴ社
18(秋) 特別号〈組見本〉 安西水丸伊藤秀雄 田中一光 秋田寛 アルシーヴ社
1988年 19(冬) デザイン賞 井上嗣也+久留幸子 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
20(春) 派/イズム 永井一正 田中一光 秋田寛 アルシーヴ社
21(夏) アジアのグラフィックデザイン 吉田カツ 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
22(秋) 関西デザイン事情 福田繁雄 田中一光 秋田寛+鈴木政紀 アルシーヴ社
1989年 23(冬) HEISEIのクリエーターたち 藤幡正樹 田中一光 秋田寛 アルシーヴ社
24(春) ブックデザインの形態学 石元泰博 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
25(夏) 25号記念特集〈From Morisawa With Love To Art〉 田中一光 田中一光 秋田寛+鈴木政紀+橋本和 アルシーヴ社
26(秋) たてヨコLIVE 東京/大阪 松井桂三 田中一光 田中一光デザイン室 アルシーヴ社
1990年 27(冬) グラフィックデザインの新たなフィールド 横尾忠則 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
28(春) クライアントの時代 仲條正義 田中一光 鈴木政紀 アルシーヴ社
29(夏) モノとグラフィズム 細谷巖+秋山晶 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
30(秋) 特別号〈文字とコミュニケーション〉 田中一光 田中一光 秋田寛 アルシーヴ社
1991年 31(冬) モリサワ賞+プリンティングとデザインの接点 葛西薫 田中一光 秋田寛 アルシーヴ社
32(春) 1990年代DESIGN GRAPUS 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
33(夏) DTP 河原敏文 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
34(秋) デザインは地球にやさしくなれるか 青葉益輝 田中一光 鈴木政紀 アルシーヴ社
1992年 35 漢字の世界 I 田中一光 田中一光 鈴木政紀 アルシーヴ社
36 漢字の世界 II 勝井三雄 田中一光 鈴木政紀 アルシーヴ社
1993年 37 東ヨーロッパとロシアのデザイン 舟橋全二 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
38 GRAPHIC DESIGN in OSAKA 山城隆一 田中一光 鈴木政紀 アルシーヴ社
39 ケルムスコット・プレス 奥村昭夫 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
40 10周年記念号〈文字からのイマジネーション〉 亀倉雄策 田中一光 田中一光+福田秀之 アルシーヴ社
41 伝達の原基(メディア)+第4回国際タイプフェイスコンテスト・モリサワ 遠藤享 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
1994年 42 TRAFFIC SIGN 木田安彦 田中一光 太田徹也+鈴木政紀 アルシーヴ社
43 Nano-Tech TYPO 麹谷宏 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
1995年 44 NY Design Spirit Henry Wolf 田中一光 松吉太郎 アルシーヴ社
45 不況でデザインはどう変わるか 日比野克彦 田中一光 松吉太郎 アルシーヴ社
1996年 46 キュレーションの世界 矢萩喜従郎 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
47 DTPの現在 戸田ツトム 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
48 マヤ文字の謎 田中一光、畠山崇 田中一光 松吉太郎 アルシーヴ社
1997年 49 揺籃期本―インキュナブラ+第5回国際タイプフェイスコンテスト・モリサワ 奥村靫正 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
50 21世紀をのぞむデザインの位置 前田ジョン 田中一光 福田秀之+山本寛 アルシーヴ社
1998年 51 漢字その将来 アラン・チャン 田中一光 田中一光+大内修 アルシーヴ社
1999年 52 海外に打ち出されたニッポン そのイメージとグラフィズム 平野敬子 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
53 スラヴ文字 ポーラ・シェア 田中一光 田中一光+大内修 アルシーヴ社
2000年 54 digital notation 変容する空間・モノ+第6回モリサワ賞国際タイプフェイスデザインコンテスト 原研哉 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
55 聞き書きデザイン史 灘本唯人 田中一光 田中一光+大内修 アルシーヴ社
2001年 56 地図―イメージと数値のグラフィズム 佐藤卓 勝井三雄 杉本浩 アルシーヴ社
2002年 57 田中一光・その仕事とデザイン 勝井三雄 勝井三雄 勝井三雄中野豪 アルシーヴ社