日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

海野十三が見た世田谷の空襲

さて、過日中野重治『敗戦前日記』(asin:4120022714)で眺めた東京の空爆については、世田谷区若林に住んだ海野十三もまた、『海野十三敗戦日記』(asin:4122045614)さ書き残してゐる。
前半が、「空襲都日記」と名づけられた、空爆の記録である。帝都への空襲だけでなく、海野が知り得た限りの日本全体の状況が書かれてゐる。
……
月刊『地理』の最新号(2010年1月号)が「米軍がつくった戦争時の日本地図」を特集してゐて、大量のAMS地図を保有されてゐる赤城祥彦氏による、「(太平洋戦争勝利のために)米軍がつくった日本地図」についての概説となってゐる。
http://www.kokon.co.jp/chiri.htm
カラーの「東京被爆図」なども含まれる。
http://www.kokon.co.jp/5501-2.pdf
倫敦・伯林相互の都市爆撃が総力戦の有効な戦ひ方だと認識されて以後、米軍は日本の都市をどう潰していくか、周到に準備を進めてゐた。
……
海野十三が記した昭和二十年五月二十五日の一部。

◯初めは房総東方からきて、品川あたりへ投弾したので、「ハハア、また品川が狙われたか」と思っていると、その数十機が過ぎたとたん、西方からぞくぞく侵入し来たB29の大群。それが今夜は、まさにわが家上空を飛んで東方・渋谷方面へ殺到し、やるなと思う間もなく同方面に焼夷弾の集中投下を見る。例のとおり華やかな火の子はオーロラの如く空中に乱舞し、はらはらと舞い落ちる。従来より最も近いところに落下する。
 そうするうちに、南の方へもぞくぞく落ち出したが、また北方・中野方面にもひんぴんと落下し、かなり近い。これは警戒を要すると思っているうちに西の方へもばらばら落ち出し、東西南北すっかり焼夷弾の火幕で囲まれてしまった。
 が幸いにも、若林附近はまだ一弾も落ちない。敵は百五十機位もう侵入したことになった。西方の田中さんの畑に晴彦と共に出て空を見ていると、二子玉川あたりの上空を越えてぞくぞく後続機が一機宛こっちへ侵入してくる。其の方向はすべてこっちへ向いているのだ。これはいよいよ来るわいと思った。
 すると果して轟音を発して、山崎や若林のお稲荷さんの方が燃え出し、つづいて萩原さんの竹藪の向こうに真赤な火の幕が出来、三軒茶屋方面へ落下したことが確実となった。
 わが夜間戦闘機も盛んに攻撃している。たいがいわが家の西方で邀撃(ようげき)。
 晴彦に「あれは危いぞ!」とこっちへ向いた一機を指した折しも、ぱらぱらと火の子がB29の機体の下から離れたのがわが家よりやや西よりの上空。「いかんぞ!」と言うのと、ゴーッと怪音が頭上に迫ったのと同時だった。晴彦に待避を命じて小さくなった。焼夷弾の落下地点に耳をそばだてていると、佐伯さんのあたりに轟然と落下し、あたりに太い火柱が立った。婦人たちの悲鳴、金切声など同時に起きる。

続きは青空文庫で。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000160/card1255.html