日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

石井「『九ポイント假名附活字見本帳』に見るルビ付き活字」に寄す

*1

印刷博物館所蔵の活字見本帳を活用した「国語×活字問題」――活字で刷られるところの日本語表記に関する問題――の研究成果として、石井久美子「『九ポイント假名附活字見本帳』に見るルビ付き活字 ―外来語定着の一側面―」という論考が書かれていたことを先日知った。

http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/60851/1/06+%E7%9F%B3%E4%BA%95.pdf

仮名付活字というのは、新聞・雑誌が本文を総ルビとしていた時期に、組版の効率化を図るために親文字とルビを一体化して作った活字である。そのため「使用頻度の高い」「固定化している」表記の手がかりとなるはずで、「活字見本帳の(カタカナ)ルビ付き活字から、当時求められていた外来語の様相を知ることができる」と着目されたものだ。

国語文字・表記史の観点から、「仮名付」活字見本帳をこのように見ることができるのだ、と教えられた。


従来、活字見本帳類の書誌として、例えば板倉雅宣『活版印刷発達史』(asin:4099175153)巻末では、次のような記載が試みられている(ごく一部表記を改めた)。

桑山弥三郎氏蔵『新聞用九ポイント半(小型五号)総數見本 全』(東京築地活版製造所)大正5年6月改正、46頁、223×150mm、大正11年8月印刷
漢字7,860字、ゴチ、印物、1/2約物、1/4約物、5ポかな
桑山弥三郎氏蔵『七ポイント假名附書体見本 全』(東京築地活版製造所)昭和5年5月改正、50頁、235×161mm
(内容注記無し)
桑山弥三郎氏蔵『新聞幷雑誌用七ポイント假名附書体見本 全』(東京築地活版製造所)昭和10年8月改正、50頁、229×157mm
漢字10,350字、二倍合字

今後我々が「仮名付」活字見本帳の書誌を採る場合、石井氏の視点を導入し、(康煕部首順で整理された)「ひらがなルビ付」活字と、(いろは順で整理された)「カタカナルビ付」活字の双方があるのか無いのかといった注釈も記載するようにしたい。

なお、石井氏が取り上げた昭和4年版の秀英舎『九ポイント假名附活字見本帳』(印刷博物館所蔵)にカタカナのルビが含まれ、同じく昭和4年版の秀英舎『七ポイント假名附活字見本帳』にカタカナのルビが含まれていないことの理由となる筈の補足的な情報なのだけれども。

  • 昭和4年というのは、「新聞活字サイズの変遷史戦前編暫定版」で示した通り、新聞各紙が本文活字を7.5ポイントから7ポイントに切り替えていく、そうした端境期にあたる。
  • 実は、各紙が7.75ポイントや7.5ポイント活字を本文に使用していた大正10年頃、新聞で使用する漢字の種類を「常用」漢字に制限しようという運動があり、大正12年8月6日付で新聞社・通信社の「常用漢字尊重」共同宣言が出されている。
  • この運動を主導した中心二社のうち東京日日新聞では大正11年3月16日から漢字制限が開始、同じく報知新聞では同年4月1日から例えば「独逸」を「ドイツ」と表記するようになっている(見出しを除く本文表記)。この頃の各紙が当て字をカタカナに開いていく様子は、神戸大学附属図書館「新聞記事文庫」などで確認することができ、概ね大正期のうちにカナ開き化が完了する。
  • 月間総合誌は大正一桁まで主要記事を五号、サブ記事を六号活字で組んでいたが、例えば『中央公論』の場合、大正8年から記事全体を9ポイント活字に切り替えている。
  • 9ポと8ポの併用になっていく時期は十分に確認できていないが、8ポイント一辺倒になっていくのは敗戦後の用紙難の時代が始まり。

こうした関連諸分野での論考の前提として用いられるべき基礎資料を我々近代日本語活字史研究者が十分に提供できていない、この状況を二重三重にお詫びしたい。


なお、秀英舎の「仮名付」で現存する見本帳としては、本家本元である大日本印刷が、推定明治45年刊『明朝五號假名附活字摘要録』(カタカナなし)、大正15年刊『七ポイント七五假名附活字見本帳』(カタカナあり)昭和4年刊『七ポイント假名附活字見本帳』(カタカナなし)を所蔵している模様。

桑山氏も築地活版だけでなく秀英舎のものを多数お持ちであろうと思うが、辿れる伝手を持たないため未確認。

大正3年に刊行された秀英舎の総合見本帳には「九ポイント半假名附」も掲げられており、もしも総数見本が現存していて「カタカナルビ付」が含まれていたなら、大正3年から昭和4年の間に至る「カタカナルビ付」キャラクタセットの変遷の有無が確認できる。


ところで、石井氏の論考では「ルビ付活字」に関する「先行研究」として矢作勝美「活字のはなし15 ルビ付活字」(『ちくま』127号)から次の箇所が引かれている。

とくに、明治の末から大正にかけて新聞の情報量は増量の一途をたどり、小さな活字をもってこれに対処したことから、大正八年には六・五ポイントの新聞用活字が出現した。くわえて、新聞製作のスピードアップは至上命令である。
ルビ付活字は、煩雑な組版作業をできるだけ避けるため、漢字の右傍らにルビを付けた母型を作り、それによって鋳造したもの。大正二年、築地活版所の六号ルビ付がその最初で、その後七・五ポイント、更に秀英舎などの九ポイント、八ポイントがあり、広く新聞、雑誌に利用された。これは新聞の過当競争が生んだ活字の知恵といえなくもない。しかし、書籍を対象にした四号、五号活字にはこうした現象は見られなかった。

最初期のルビ付活字が明治30年頃の大阪朝日(の五号活字)であろうというのは、石井氏も指摘する通り。これは自社で活字を作っていた大阪朝日のような新聞社だからこそ可能だったもので、例えば青山進行堂『富多無可思』(明42)に「仮名付活字」が掲載されていない状況から、活字ベンダーがルビ付活字の製造販売を開始するのは明治末頃と考えて良いように思われる。
「明治の末から大正にかけて新聞の情報量は増量の一途をたどり、小さな活字をもってこれに対処した」という状況の実態は、「新聞活字サイズの変遷史戦前編暫定版」で示した通り。
矢作「活字のはなし15 ルビ付活字」が「大正八年には六・五ポイントの新聞用活字が出現した」と記しているのは、矢作『明朝活字』149頁あるいは矢作『明朝活字の美しさ』236頁に「さらにまた大正八年五月になると、字母宗母型製作所から新聞用六号代用として六・五ポ、また、字母長母型製造所においてはすでに大正七年八月、八ポおよび同ルビつき、一二ポ、二四ポの完成をみていたが、大正八年五月にいたり、六ポ、七ポ七分五厘および同ルビつき、一一ポ二分五厘、一五・五ポ、二三ポ二分五厘、三一ポといった活字を発売している。いずれも新聞むけのものである」と詳述している事柄の反映である。
これはおそらく『印刷世界』に掲載された活字発売広告――『日本印刷界』には出稿されていない――を参照した記述であろう。「ちくま」の記述では大正8年の段階で「6.5ポイントの本文活字」が出現しているかのように読めてしまうが、実態はそうではない。この段階では、商況欄(株価)のような特殊な場面で用いる小型活字である(昭和15年の段階で本文活字が6.3ポイント相当になるのだが、20年以上後の話)。
日本語表記史に関心をお持ちの方にとって、上述した大正末の漢字制限(とそれに伴うカナ開き)はおそらく常識に属する事柄と思うが、そうであろうからこそ敢て、「大正八年には六・五ポイントの新聞用活字が出現した」のは商況欄を主目的とした小型活字であって本文活字ではない、総ルビで記されていた本文活字は昭和3年以前の段階では7.0ポイントより大きい、と繰り返し記しておく。

*1:本項のタイトルは《石井久美子「『九ポイント假名附活字見本帳』に見るルビ付き活字」に寄す》としたかったところ、はてなダイアリー仕様の字数制限により《石井「『九ポイント假名附活字見本帳』に見るルビ付き活字」に寄す》としたもの也。

新聞活字サイズの変遷史戦前編暫定版

時折ツイートしてみたり、発表会の資料として配布してみたりしている、『東京朝日新聞』本文活字サイズの変遷を示す図がある。

このような図まで作っているのは現時点では東京朝日だけなのだけれども、大手紙や地方紙を可能な限り多数集めた「新聞活字の事典」というような参考資料を作りたいと思って、色々な資料を参照し、ノートを取り続けている。

作業過程で気づいたのだけれど、大手紙の社史にせよ、地方紙の社史にせよ、紙面の変遷について、判型、段数、行数、活字サイズを漏れなくまた間違いなく記した資料は、絶無とは言わないものの非常に少ない。

いつか書き直されるべき近代日本語活字史ハンドブックのために取り続けているこのノートは、そう遠くない将来に企画されるであろう大手紙の150年史における「組版書誌」データの適正化にも直接役立つはずなのだけれども、それ以上に、複数紙のデータがハンドブックにまとまることで、新聞活字の歴史をちゃんと知るための近隣諸学からの参照先として役立ってほしいという思いが強い。

新聞活字の歴史について知りたい、そのように考えた時、きちんと当てに出来る資料は全く無いと言ってよい。例えば日本新聞製作技術懇話会の会報『CONPT』38巻5号(2014年、通巻227号)に掲載されている立花敏明「新聞製作技術の軌跡(第2回)」のように類例より優れたまとめ記事ですら、「都式活字」の実寸について、「9.75ポ」とする誤伝をそのまま引用しているために正確性に欠けるところがある。

そんなわけで、特に活字サイズに関しては原紙で確認していない段階の推定を含み、また現時点までに調べている内容のごく一部に留めるが、「新聞活字サイズの変遷史戦前編暫定版」として、各紙の本文が五号活字からポイント活字に切り替わっていく明治末を起点とし、戦時統制による統一活字の使用が始まる昭和15年までの期間を概観する表を作成しておくことにした。

大阪毎日 東京日日 大阪朝日 東京朝日 中外商業 西日本新聞
1908明41 11/3から10ポ 12/20から9.5ポ
1909明42 2/11から9.5ポ 5/1から9.5ポ 2/1から都式
1910明43
1911明44 1/1から9.5ポ
1912明45
1913大2
1914大3 4/1から9ポ 4/15から9ポ 3/10から9ポ 4/10から9ポ 12/1から9ポ
1915大4 11/9から9ポか
1916大5
1917大6 9/11から8.5ポ 9/1から8.5ポ 8/1から8.5ポ 9/1から8.5ポ 12/14から8.5ポ
1918大7 9/1から8ポ 9/1から8ポ 7/1から8ポ 7/1から8ポ 7/1から8ポか 4/4から8.5ポ
1919大8 1/1から7.75ポ 3/1から7.75ポ 1/1から7.75ポか 3/1から7.75ポか 5/19から7.75ポ 2/1から8ポ
1920大9 2/11から7.75ポ
1921大10
1922大11 4/4から7.5ポ 4/4から7.5ポか
1923大12 1/1から7.5ポか 1/1から7.5ポか 10/29から7.5ポ
1924大13
1925大14
1926大15 3/30から7.5ポ
1927昭2
1928昭3 4/1から7ポ 4/1から7ポ 4/1から7ポ 4/1から7ポ
1929昭4 7/1から7ポ
1930昭5 9/1から7ポ
1931昭6
1932昭7
1933昭8
1934昭9
1935昭10
1936昭11
1937昭12 8/1から6.75ポ 8/1から6.75ポ 8/1から6.75ポ 8/1から6.75ポ 9/1から6.65ポ?
1938昭13
1939昭14
  • 表中、「か」としている個所は、原紙による確認を経ていないため他の条件からの推定による数値で、「?」は社史の記述が不自然と思われるが原紙の確認ができないため疑問を示すにとどめたもの。
  • 大阪毎日・東京日日については、『大阪毎日新聞社史』『毎日新聞七十年』『毎日新聞百年史』『「毎日」の3世紀〜新聞が見つめた激流130年』の記述を、東京日日のマイクロフィルムによって修訂している途中。例えば、歴史的に大阪毎日が本流であるという意識が強いためか東京日日が明治42年に採用した活字を10ポとしているが9.5ポのようだ、といった塩梅。
  • 大阪朝日・東京朝日については、『朝日新聞社史』『村山龍平伝』の記述を、縮刷版によって修訂している途中。例えば、「資料編」が「段数・字数・建てページの変遷」という観点しか持っていないため無視されている大正11年12月31日付社告が「正月一日紙上より本紙一段の行数左の如く改正致候/一段百四十行(但し五号活字十五字詰)」と記しているように、「12段15字詰」に違いはなくとも大正12年1月1日付から活字サイズが一回り小さくなっている(のでなければ紙のサイズが大きくなっている)、といった塩梅。なお、冒頭の図で「推定7ポ875」としている時期について、表では「7.75ポか」とした。
  • 中外商業新報については、『日本経済新聞社80年史』『日本経済新聞社120年史』の記述を他の状況や縮刷版から修訂している途中。五号活字からいきなり9ポイントに切り替わるのでなく、10ポまたは9.5ポの時期があったのではないかと疑っているが、未確認。なお、120年史は明治41年6月2日から商況欄が「6ポ19字8段」とする80年史の誤りを正せていないが、これは「6号」活字の誤り。商況欄の活字が6ポイント台になるのは、大正6年末「中外型新活字」採用からであろう。
  • 西日本新聞については、『西日本新聞社史』『西日本新聞百年史』『西日本新聞百三十年史』の記述をメモ。なお、「都式活字」は、東京築地活版製造所の野村宗十郎が(おそらく自らをポイント活字実用化の創始者と権威づけたいために)「9.75ポイント相当の、ポイント体系ではない活字」と呼んだものが都式活字の寸法として土方正巳『都新聞史』等に至るまで伝承され続けている――立花敏明「新聞製作技術の軌跡(第2回)」も同書を参照している――が、実寸を測定した限りでは9.5アメリカンポイント相当の大きさである。

大阪印刷界(含日本印刷界)所蔵館リスト

刊行年 大阪印刷界 ※48号から日本印刷界
および後継誌 NDLデジコレ コロンビア大 印刷図書館 東大総合 大阪府
1909明42 1〜2号 2号
1910明43 3〜14号 4〜14号
1911明44 15〜26号 15、17〜26号
1912明45 27〜38号 27〜29、33〜35、37号
1913大2 39〜47/48〜50号 39〜40、42〜47号/48〜50号 39〜50号
1914大3 51〜62号 60〜62号 51〜62号 59〜62号
1915大4 63〜74号 63〜74号 63〜74号 63〜74号
1916大5 75〜86号 75〜86号 75〜86号 75〜86号
1917大6 87〜98号 87〜98号 87〜98号 87〜98号
1918大7 99〜110号 99〜110号 99〜109号 99〜110号
1919大8 111〜122号 111〜117号 112〜117号 111〜118、120〜122号
1920大9 123〜134号 123〜131、133号 123〜134号
1921大10 135〜146号 135〜146号
1922大11 147〜158号 147〜148、150、153〜158号
1923大12 159〜170号 159〜162、164〜170号
1924大13 171〜182号 171〜177、179〜182号 171〜182号
1925大14 183号〜 183〜189、192号
1926大15

印刷図書館が空欄になっているけれど、そもそも所蔵があるのかないのか、実は未確認。

コロンビア大学の所蔵巻号について、ウェブOPACの記載では36号も持っていることになっているようだが、Googleブックス化された際に36号が欠号と判明しているように思われるため、欠号扱いとした。

国会図書館所蔵資料は全号デジタル化が済んでおり、図書館送信資料としてアクセスすることができる。コロンビア大学図書館所蔵の(Googleブックス)デジタル化資料を、何らかの形でNDLデジコレ図書館送信資料化することはできないものだろうか。

印刷雑誌(含印刷世界・第二次印刷雑誌)所蔵館リスト

刊行年 印刷雑誌 ※印刷世界 ※印刷世界 ※第二次 ※第二次
および後継誌 NDLデジコレ 印刷博物館 印刷図書館 明治新聞雑誌文庫 宮城県図書館 東北大 関西大
1891明24 1巻2号〜11号 1巻2号〜11号 1巻1号〜11号
1892明25 1巻12号〜2巻11号 1巻12号〜2巻11号 1巻12号〜2巻11号
1893明26 2巻12号〜3巻11号 2巻12号〜3巻11号 2巻12号〜3巻11号
1894明27 3巻12号〜4巻11号 3巻12号〜4巻11号 3巻12号〜4巻11号
1895明28 4巻12号〜5巻11号 4巻12号〜5巻11号 5巻2〜5号、7号、9〜11号
1896明29 5巻12号〜6巻11号 5巻12号〜6巻11号 5巻12号、6巻4号
1897明30 6巻12号〜7巻11号 6巻12号〜7巻11号 7巻1〜3号、6号、8〜11号
1898明31 7巻12号〜8巻11号 7巻12号〜8巻11号
1899明32 8巻12号〜9巻11号 8巻12号〜9巻11号 9巻2号
1900明33 9巻12号〜10巻11号 9巻12号〜10巻11号 10巻4〜6号、10〜11号
1901明34 10巻12号〜11巻11号 10巻12号〜11巻4号、6〜11号 10巻12号〜11巻11号
1902明35 12巻1号〜12号 12巻1号〜12号
1903明36 13巻1号〜12号 13巻1〜4号、6〜11号 13巻4号
1904明37 14巻1号〜12号 14巻1号〜12号 14巻7号、9号
1905明38 15巻1号〜12号 15巻1号〜12号
1906明39 16巻1号〜12号 16巻1号〜12号 16巻1号〜3号、5号
1907明40 17巻〜
1908明41 18巻〜
1909明42 19巻〜 19巻6号〜11号 19巻10号
1910明43 20巻1〜4号?/1巻1〜5号 20巻1〜4号、1巻1〜5号 1巻1〜2号、4〜5号
1911明44 2巻/3巻 2巻1〜6号/3巻1〜6号 2巻1、3〜4号
1912明45 4巻/5巻 4巻1〜6号/5巻1〜6号
1913大2 6巻/7巻 6巻1〜6号/7巻1〜6号
1914大3 8巻 8巻1〜12号 8巻
1915大4 9巻 (9巻1〜12号)
1916大5 10巻 10巻1〜6号/(7〜12号) 10巻
1917大6 11巻 (11巻1〜12号)
1918大7 12巻1〜4号/1巻1号〜 〈1巻5、6、8~12号〉 (12巻1〜4号/1巻5〜12号)
1919大8 2巻 〈2巻1~10、12号〉 2巻1〜11号
1920大9 3巻 〈3巻1~3、5~8号〉 (3巻1〜12号)
1921大10 4巻 〈4巻1、5、8、11、12号〉 (4巻1〜12号)
1922大11 5巻 〈5巻2~12号〉 (5巻1〜9号、11号、11〜12号) 5巻1、6〜10、12号
1923大12 6巻 〈6巻1~8、10~12号〉 (6巻1〜6号、8、10、12号) 6巻1〜11号 6巻8〜12号
1924大13 7巻 〈7巻1~12号〉 (7巻1〜12号) 7巻1〜12号 7巻1〜3、9〜12号
1925大14 8巻 (8巻1〜12号) 8巻1〜3、5、6、9〜11号 8巻1〜12号
1926大15 9巻 〈9巻11、12号〉 (9巻1〜12号) 9巻1〜2、6〜11号 9巻1〜12号
1927昭2 10巻 〈10巻4、5、7~12号〉 10巻1〜11号 10巻1〜8、10〜12号
1928昭3 11巻 〈11巻2、4、6~12号〉 11巻1〜10号 11巻1〜12号
1929昭4 12巻1号〜12号 12巻1号〜12号 〈12巻1、3、4、6、8~12号〉 12巻1〜12号
1930昭5 13巻1号〜12号 13巻1号〜12号 〈13巻1~3、5~12号〉 13巻1〜12号
1931昭6 14巻2号〜12号 14巻2号〜12号 〈14巻1~12号〉 14巻2〜6、8〜12号
1932昭7 15巻1号〜12号 15巻1号〜12号 〈15巻1~6号〉 15巻1〜12号
1933昭8 16巻1号〜12号 16巻1号〜12号 〈16巻1~12号〉 16巻1〜12号
1934昭9 17巻1号〜12号 17巻1号〜12号 〈17巻1~12号〉 17巻1〜12号
1935昭10 18巻1号〜12号 18巻1号〜12号 〈18巻1~10、12号〉 18巻1〜12号
1936昭11 19巻1号〜12号 19巻1号〜12号 〈19巻1~12号〉 19巻1〜12号
1937昭12 20巻1号〜12号 20巻1号〜12号 〈20巻1~12号〉 20巻1〜12号
1938昭13 21巻1号〜12号 21巻1号〜12号 〈21巻2~12号〉 21巻1〜12号
1939昭14 22巻1号〜12号 22巻1号〜12号 〈22巻1~12号〉 22巻1、3〜7、9〜11号
1940昭15 23巻1号〜12号 23巻1〜9号 〈23巻1~4、7~10、12号〉 23巻1〜12号
1941昭16 24巻1号〜12号 24巻1、4〜12号 〈24巻1~8、11、12号〉 24巻1〜12号
1942昭17 25巻1号〜12号 25巻1〜10、12号 〈25巻2~10号〉
1943昭18 26巻 26巻1〜11号 〈26巻1、2号〉
1944昭19 27巻 27巻1〜11号
1945昭20

印刷図書館が空欄のままになっているけれど、『印刷世界』は基本的に全て持っていた筈で、第一次『印刷雑誌』の後半部分は持っていた筈。「筈」というのは、ウェブで検索可能になっていないので手元のメモを検証できないため。国会図書館で欠けている11巻5号と13巻5号は印刷図書館でも欠本だったように記憶しているが、どちらか一方または両方所蔵有りかもしれない。
2018年4月17日に印刷図書館へ出かけ、『印刷雑誌』の所蔵状況を確認した。1891(明治24)年から1914(大正3)年までは自分の目で再確認した内容。2002年8月2日付で司書さんが作成なさった「『印刷雑誌』合本状況」の資料では1892(明治25)年の2巻4号が欠けているが、現物はある。同様に、1913(大正2)年の『印刷世界』7巻3号も現物あり。1919(大正8)年の第2次『印刷雑誌』2巻3号と11号も現物があり、逆に2巻12号はリストにあるが現物は見えない。この他、カッコ内に記した巻号は「『印刷雑誌』合本状況」の記載を写したもので、現況との突合せは出来ていない。第1次印刷雑誌11巻5号は印刷図書館にあったが、13巻5号は見えない。

東大明治新聞雑誌文庫宮城県立図書館、東北大学附属図書館、関西大学附属図書館以外にも、戦前の『印刷雑誌』(含後継誌)を断片的に持っている機関はあるが第二次印刷雑誌を多数揃えている印刷博物館の他に、まとまった数量を持っているところは無いように思われる。

国会図書館所蔵資料は全号デジタル化が済んでおり、図書館送信資料としてアクセスすることができる。

印刷雑誌(含印刷世界・第二次〃)大阪印刷界(含日本印刷界)リスト

近代日本語活字史というのを産業史的な視点から眺めていく際、『印刷雑誌』(後継誌である『印刷世界』や第二次『印刷雑誌』を含む)や『大阪印刷界』(後継誌である『日本印刷界』を含む)といった業界誌に掲載された活字広告が役立つ場合がある。
例えば「秀英体」の要石と言うべき最初の「秀英四号」活字は何時ごろ作られたのかというようなことを知りたい時、国会図書館デジタルコレクションで実用例を丹念に追い続けるというような手があり、仮名は明治27年初めに「秀英体」スタイルのものに切り替わったと知れるのだけれども、『印刷雑誌』五巻十一号(明治28年12月)掲載の製文堂「改正四号」広告の記述によって明治28年末に至って「今般四号も悉皆改良完結」したということ、つまり漢字等も含む四号活字セットが新しいスタイルのものに切り替わったことが判る。

そのような調査の基礎資料となる業界紙誌なのだけれど、通しで全部持っているところは無く、例えば戦前の『印刷雑誌』・『印刷世界』・第二次『印刷雑誌』を通覧するには国会図書館と印刷図書館の双方を頼る必要があり、またイレギュラーな巻号表期のため「××年ごろの事柄を調べたい」と考えた時にどういう所蔵期間があてにできるかということの把握が難しかったりする。

そんなわけで、だいぶ以前から、印刷雑誌系と大阪印刷界系の業界誌について、どこにどの号があるのかを一覧できるリストを作りたいと思っていた。

築地体前期五号と後期五号の「準仮名記号」一覧

昨年の暮れ、〈国語×活字問題としての樋口一葉『暁月夜』の「文」〉という形で宿題を頂いて以降、呼び名のことを含めて思い悩んでいた「候文のアレ」らの件なのだけれども。

一葉のところで『当方の残念な国語力では「こと」「ごと」以下、一部のキャラクタしか何というキャラクタであるかが判らない。併せて御教示賜度候也。』と記していた通り、判読できずに名指すことができないキャラクタが幾つもある。



仮につけた名前のうち、「合略仮名」は国語を考える際にもUnicodeも文字クラスを考える際にも通用するはずだけれども、「準仮名記号」と「消息符牒」は、文字クラスに仮の呼び名をつけたもの。

カギ括弧内が空白になっているキャラクタの読み方や、読み方を記してあるけれども誤っているものなどについて、ぜひとも御教示賜度候。

なお、『築地体前期五号と後期五号の「準仮名記号」一覧』と題しているけれども、実際の明治27年版五号総数見本(前期五号)および明治39年版五号総数見本(後期五号)から、「〆」「ゝ」「ヽ」「〳〵」は省いている。


なお、大正2年の秀英五号総数見本(『秀英体研究』215-218頁)には、上記に見えない次の3キャラクタが掲載されている。併せて御教示賜度。

独立研究者連盟を旗揚げする日

過日ツイートした通り、研究者番号を持っていなくとも論文(あるいはそれに類する著作物等)があれば登録できる研究者ポータル・研究者データベースであるresearchmap(の中の人)が、我々「在野研究者」「日曜研究者」「野良研究者」「独立研究者」「フリー」等を統合する「所属」属性ラベルに関する意見を募集中だ。

事の経緯はtwitter/@naka3_3dsukiさんによるTogetterまとめ「リサーチマップ(researchmap)の登録者の新しい区分について」や、同氏のブログ記事「【ニュース】researchmap登録者の新しい区分に図書館司書・学芸員ほか色々と検討開始」に記されている。


ところで、《我々「在野研究者」「日曜研究者」「野良研究者」「独立研究者」》のうち、英語でいう「Independent Scholar(またはIndependent Researcher)」の訳語として相応しいものは、どういうものだろうか。

2017年4月21日現在、「Independent Scholar」で検索すると第1位がWikipedia英語版の当該項目である。

第2位が「independent scholar の訳語 - TOEFL・TOEIC・英語検定 解決済 | 教えてGoo」になっており、「独立研究者、在野の研究者、など言い方はいくつかあるかと思うのですが、新聞などで表記する際independent scholar をどう訳しているのか知っていたら教えてもらえると嬉しいです。」という質問に対するベストアンサーとして、次の回答が掲げられている。

在野研究者

在野学者

独立系研究者

など

使用例:

http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY201109190083.html

http://mainichi.jp/s/it/news/20110608k0000m030084000c.html

回答中で示されているURLはどちらもリンク切れになっているが、前者(2011年9月19日付朝日新聞「週刊アジア」コーナーの記事)はインターネットアーカイブに蓄積されており、「交易の島、共通語生む インドネシア ことばを訪ねて(1)」と題する、「在野研究者」用例の記事であることが判る。後者はインターネットアーカイブにも残されていないが、2011年6月8日付毎日新聞の「Independent Scholar」関連記事であることから、G-Searchにより、同日付の東京朝刊国際面に掲載された「米グーグル:Gメール攻撃「単純だが大胆な手口」専門家。2月に警告」と題する「独立系研究者」用例記事であることが判る。

このように例示されると、「在野研究者」はどちらかというと「Scholar out of power」などだろうから「Independent Scholar(Researcher)」は「独立系研究者」だな――と思ってしまいがちだが、この「回答」は2017年の我々にはふさわしくない。

「我々」の自称で(も)あり得る「フリー研究者」「在野学者」「在野研究者」「自主研究者」「自由研究者」「自立研究者」「独立系研究者」「独立研究者」「日曜研究者」「無所属研究者」「野良研究者」のキーワードでG-Searchしてみたところ、次のような結果を得た*1

グラフに掲出していない「自主研究者」「無所属研究者」「野良研究者」は0件。「自由研究者」は1997年6月18日付日本工業新聞の「動燃改革検討委員会 座長試案」1件のみ。「自立研究者」も、2014年6月23日付日刊工業新聞の「13年度版の科学技術白書、高度研究人材の流動性・多様性の向上を重視」1件のみ。

「独立系研究者」は1990年〜2016年の期間に3件しか使われておらず、5件使われた「日曜研究者」や10件使われた「在野学者」、17件使われた「フリー研究者」よりも少ない(上記〈Gメール攻撃〉の記事は、希少用例を一種の典型例として示してしまった、不幸な回答である)。

2016年に荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために/在野研究者の生と心得』(asin:9784487809752)が刊行されるなど本命と目される「在野研究者」はこの期間に73件、対抗となる「独立研究者」は110件使われている。

「独立研究者」は、グラフに表れている通り、2000年代に入って急速に世間に浸透してきた言葉といえる。一方の「在野研究者」はこの期間コンスタントに使用されているだけでなく、例えば「本務校をもたない非常勤講師の問題・在野研究者の問題(婦人研究者問題全国シンポジウム)」(1975年11月『日本の科学者』)のような今日的問題を含む40年前の用例があったりするように、古くから「我々」のことを指し示す言葉として使われ続けている(《これからのエリック・ホッファーのために》が「在野研究者」の語を選んでいるのも、同書が歴史に学ぼうとする本だからであろう)*2

ともあれ、「フリーランス・独立系」という形で「独立系」という文字列を目にすると、「政府系シンクタンク」「独立系シンクタンク」などと言う時の「独立系××」に所属しているかのように感じてしまうし、「独立系研究者」の省略形だとするなら、実は前述のように「独立系研究者」の語は「Independent Scholar/Researcher」の訳語として今採用するべきではない。仮に〈フリーランスや独立研究者などに類する系統の方々〉の意味であるとしても「フリーランス・独立」「フリー・独立」「フリーランス・独立研究者」などに改めていただいた方がいいように思われる。


ここまでお読みいただいたあなたは、例えば中学校や高校で教鞭を執る傍らで研究活動を行う、しかも科研費を取得した研究活動まで行い成果を挙げている、そのような研究活動の中で「あなたは研究者では無い」という理由で資料へのアクセスを拒まれた経験をお持ちであったりしないだろうか。

また別のあなたは、建前上申請できるはずの科研費について、研究者ではなく教員として雇用される非常勤だからと、「所属先」から手続きを拒まれるような経験をお持ちであったりしないだろうか。

更に別のあなたは、「所属先」から定年退職して以降も自分自身の研究活動を継続している、そのような研究者であったりしないだろうか。

あなたがたもまた、我々Independent Scholarの仲間に他ならない。

Wikipedia英語版のIndependent Scholarの項を見ると、アメリ「National Coalition of Independent Scholars」、カナダ「Canadian Academy of Independent Scholars」、オーストラリア「Independent Scholars Association of Australia」等、諸外国では我々「独立研究者」をサポートする組織が活動しているのだという*3

「有所属研究者」が研究活動を寡占している「異常な」時代は、おそらく少子高齢化と情報化によって緩やかに終わりつつあり、我々Independent Scholarもまた(歴史的には常に既に)「裾野」とは限らない学術の担い手であることが社会的に認知されつつある、そのような時代に世界が変わりつつあるのだろう。

《これからのエリック・ホッファーのために》が示すような形で、個々人の努力と根性と幸運に頼って研究を進めざるを得ない「在野研究者」の時代を、2016年で終わらせてもよいのではないか。

researchmapに登録することで「独立研究者」という研究者であることがオーソライズされる、そしてそのような「独立研究者」の研究活動がNCISのような組織によってサポートされる、――そのように「社会の仕組み」によって「独立研究者」の研究活動が行われるような未来が、この日本でも今まさに切り開かれて、良いのではないか。


吾輩は「独立研究者連盟」所属である。連盟はまだ無い。

*1:2017年4月20日に「全期間」「全媒体」で検索した結果から、2017年の用例を省いた。

*2:「在野研究者」と「独立研究者」について、ざっさくプラスでより長期間の展開を追跡したい気持ちもあるが、非会員なので叶わない。どなたかお教えいただきたい

*3:カナダの組織は、「生涯学習」をキーワードに掲げていたり、大学がバックアップしている模様であるなどの点が興味深いが、各組織について、まだ十分に観察できていない。