日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

与謝野晶子の結合著作物で考える挿画家のNDL書誌

先日 id:inudaisho さんの「国会図書館デジタルコレクションと鏑木清方」というブログ記事を拝読し、(考えるまでもなく当たり前のことだったのだが)書籍において文章の著作権保護期間と挿絵の保護期間が大きく異なるケースがあり得ることを教えられた。

そこで、念のためと思い「編者・著者=与謝野晶子」の検索条件で拾い出した国会図書館サーチの書誌を眺めていて、幾つか気づいたことがある。

その一。
「インターネット公開」の条件で、「保護期間満了」のものと「許諾」の二種類が混在している。
デビュー作『みだれ髪』(東京新詩社、1901)の書誌をみると、公開範囲が「インターネット公開(保護期間満了)」となっているが、『新訳源氏ものがたり 上巻』(金尾文淵堂、1913)などでは公開範囲が「インターネット公開(許諾)」となっている。この「許諾」という条件は、国会図書館サイトポリシーで説明されている通り、保護期間満了ではない著作物に関して著作権者の許諾を得て公開されているという意味になる。
国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開になっている与謝野晶子の著作に関して、この「保護期間満了」と「許諾」の違いを考えると、おそらくは(主に)1964年9月8日に亡くなった(ので2015年1月1日からパブリックドメインとなる)中澤弘光画伯の挿画・装幀画に関連する措置なのだろうと想像される。中澤の挿画が随所に飾られる《新訳源氏》や《新訳栄花》などが「許諾」となっている一方、例えば藤島武二(1943年没)と伊上凡骨こと伊上純蔵(1933年没)が携わった『毒草』(本郷書院、1904)などが「保護期間満了」扱いである。『みだれ髪』も藤島だ。
小説と挿絵のような関係にある「一体的なものとして創作されながら、分離利用が可能」であるような著作物を、結合著作物と呼ぶのだという。おそらくは与謝野晶子の著書(の多く)が挿画家や装幀画家を目録式*1に明記していることから、これらが結合著作物であることが強く意識され、上記の「許諾」と「保護期間満了」の扱いに至ったのだろう。
その二。
結合著作物の従たる著作者を書誌情報に必ず組み入れるという習慣が存在しないためだろう、中にはチェック漏れが存在するようだ。
与謝野晶子『春泥集』(金尾文淵堂、1911)の書誌を見ると2014年6月25日現在で「保護期間満了」になっていた。同書は上田敏による長い序文をめくると、装幀画が藤島武二で挿画は中澤弘光と書かれていて、なるほど、挿画を見ると「弘」の字をもじったマークが確認できる。
与謝野晶子の著作に関する挿画」というような条件で一括して許諾を得ているなら書誌情報を「インターネット公開(許諾)」に書き換えた方が良いし、個別作品ごとに許諾を得るという話なのであれば、いったん公開を停止し館内限定などにした後に、改めて中澤画伯の関係者に許諾を得た方が良い。そう考えてNDLの中の人に知らせたところ、即座に資料をご確認いただき、確認当日以後『春泥集』は「館内限定」の扱いに変更された。

その三。
旧字で入力されてしまった著作者名に対応しきれていない可能性がある。
ここ数年追加された書誌の多くに、旧字を旧字のまま入力したものや奇妙な誤字になったものが見受けられるのだが、上記『毒草』訂正再版バージョン(本郷書院、1904)が館内限定公開になっている書誌の「目次」を見比べると、初版は《新字書誌》で訂正再版バージョンが《旧字書誌》になっている。おそらく末尾の「彫刻 伊上純藏」が、9月までアンケート募集中の「国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス」伊上純蔵機械的名寄せできず、インターネット公開の可否判断が正常に実行できなかったのだろう(典拠不明なケースは「館内限定」扱いという対応は、支持したい)。
国会図書館サーチ」では新旧字体差を意識せずに検索できるが、「典拠データ検索サービス」では典拠データ内部に「異なりアクセス」情報(別名情報)が登録されていない限り「蔵」と「藏」の違いを吸収してくれないので、我々NDLユーザは注意が必要だ。



先日集合著作物(アンソロジー)である大隈重信編『開国五十年史』の書誌を見た際にも感じたが、現在のNDL書誌データは、こうした複数の著作者が関わる場合の保護期間を判断するのが難しい形式になっている。
例えば今回眺めた与謝野晶子による文章と中澤弘光による挿画のケースにおいては、アメリカ議会図書館タームを援用して挿画家を[ill]とするなどして、挿画家の著作物(挿画)が「許諾」扱いになるのであって主たる著者[aut]あるいは[cre]の著作物(文章)については「保護期間満了」であるといった明確な区別がつけられるべきではないか*2
また、上記《新訳源氏》の場合、上田敏と鴎外森林太郎序文を書いているのだが、書誌情報に反映されていない。こうした序文も結合著作物あるいは集合著作物*3としての書籍《新訳源氏》を構成する要素であり、やはり主たる著者である与謝野晶子が書いた文章とは独立した著作権管理がなされるべきだろう。「contributor.preface」なのか「contributor.foreword」なのか将又「contributor.introduction」なのかと迷うところだが、議会図書館によるタームとダブリン・コアとの対照表(これはOPFにも援用されているようだ)に倣って、「contributor.aui」でいいのかもしれない。
資料をまるごとスキャンしたデジタル画像の公衆送信可能化という、いわば電子書籍のパブリッシャーという立場に既になっているのだから、書誌データに関しては、ひとつの資料に関わる著作者を漏れなく盛り込める器であるようにすること、また分離できる著作物については部分ごとに著作者と著作物をひもづけること――などが必要であるという認識に立った書誌データの持ち方が「新展開2013」からの5年間における重要課題であると認識されるよう、望みたい。

与謝野晶子のインターネット公開資料を更に眺めていくと、『さくら草』の扉絵は、標題紙に「有島生馬画」であると記されており、公開ステータスが「許諾」なのが頷ける。
『我等何を求むるか』にある晶子を捉えたスケッチも、有島画伯によるものと晶子による序文に記されており、こちらも「許諾」による公開だ。
有島画伯も長命だったので、うっかりインターネット公開になってしまった図書に挿絵が使われていたりしないか注意が必要な人物の一人だろう。
双方の書誌には「有島生馬」の「あ」の字も出てこないが、適正な処置がとられていたようで、何よりだ。

*1:舞姫』ではNDL書誌「tableOfContents」項に本来の「目次」と並んで挿画リストが(画題のみ)掲載されているが、この挿画目録について「奥付」や「目次」と異なる、何か専用の呼び名があるのだろうか。『常夏』では原書に「絵画目次」と記されているが。

*2:例えばE. Mathews & John Lane版オスカー・ワイルドサロメ』のアメリカ議会図書館書誌 http://lccn.loc.gov/44010195 を見ると、「Related names」として英訳者名と並んで挿絵画家ビアズリーの名が掲げられている。

*3:アメリカ系統の「集合著作物」とフランス系統の「集合著作物」は大きく異なる概念のようだ。ここではアメリカ系統の、各人の寄与分を分離して考えることができるものを想定。