日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

やはり橋浦泰雄は出版従業員組合で徳永直と会ってゐた模様

徳永直の没後十五年を記念した小特集が組まれた『文化評論』1973年3月号に記された、津田孝『徳永直論――「太陽のない街」前後のころ――』なんだども。
関東大震災の前年に九州から上京してきて労働組合運動を含む印刷の現場に参入していった当時のことを徳永直自身が回想してゐる、岩波文庫版『太陽のない街』解説や、民主評論社『闘いのあと』所収「一つの時期」などを紹介しつつ、津田は、一九二三年四月の出版従業員組合の創立総会に参加した徳永のことについて別の人物の視点から綴られた記録のことに言及する。
先日予告した、橋浦泰雄の件なんだども。

『読書の友』に連載された「プロレタリア文化運動ものがたり」(その前半は、蔵原惟人・手塚英孝編の『物語プロレタリア文学運動(上)』として、一九六七年に新日本新書の一冊となっている。下巻は未刊)の「補遺」として書かれた橋浦泰雄「初期の社会主義文化運動」(『読書の友』一九六八年五月十三日号〜七月十五日号)には、その経緯がおそらくはじめて明らかにされている。

創立総会は、一九二三年四月二十二日午後から夜にかけて月島の金子健太氏宅の二階で開催され、出席者は四十六名だったという。当日の出席者について、橋浦氏はつぎのように回想している。
「出席者氏名は当時の情勢上記録されていないが、わたしの記憶によると、村雲大樸子(画)、徳永直(当時博文館印刷工)、山川亮(文)、嶋中雄三(石橋湛山東洋経済の記者)、正確ではないが青野季吉や佐野袈裟美、金子洋文、柳瀬正夢なども参会していたかも知れぬ。」

津田の文には、橋浦の記録から他にも様々なディテールが書き留められてゐるんだども、さしあたり上記を特記し、他日、日本共産党中央委員会宣伝教育文化部『読書の友』ば拝読する機会を得たいと思ふ。
Webcatによると、日本近代文学館東京大学 大学院教育学研究科・教育学部 図書室の2館だけが所蔵してゐる模様。すごいね、東大。