3年ほど前、明治期に「古印風」活字を生み出した活版製造周拡合資会社の周辺情報を調べていた際、大阪府立中之島図書館『大坂本屋仲間記録』第7巻(1985)に前田菊松や瀬戸清次郎、大阪国文社の開業登録が記録されていることに驚いたわけですが――そして『大坂本屋仲間記録』が2025年6月に国会図書館デジタルコレクションの送信資料に加わってくれてとても便利になったことに喜んでいるわけですが(前田の開業は7巻398頁〔出勤帳88番25丁〕明治21年10月26日に記録されています:https://dl.ndl.go.jp/pid/12277269/1/207)――。
今頃になって、幕末から明治初期(具体的には文久元年6月から明治5年8月)までの「出勤帳」が翻刻掲載されている『大坂本屋仲間記録』第6巻をちゃんと見ていなかったということに気がついたので、国会図書館デジタルコレクションの送信資料になっていないこの第6巻を東北大学附属図書館から借り出し、まずは明治2年12月19日から始まり明治3年7月25日付で終わる「出勤帳」72番から、ざっと眺めてみました。
特に大阪活版所(大坂活判所)が開設された時期と思われる明治3年3月から7月までの記載は注意深く眺めたつもりですが、活版所(活判所)に関係しそうな記述はありません。
さて、先日来話題にしている通り、小松帯刀所蔵『二十一史』復刻を軸として準備が進められていた大阪活版所(大坂活判所)開業にあたって本木昌造らと五代友厚が互いに示しあった条件と思われる覚書(草稿)6箇条の中に、次のようなことが記されていました(翻刻原文:日本経営史研究所『五代友厚伝記資料』(1971年、東洋経済新報社)第4巻197頁「(翻刻)一八二」(NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/12256546/1/104))。
- 「二十一史」完成までは、これ以外の書籍の売上金の5%を(五代側に)納めること【二十一史摺立候迄ハ、外書籍売高の五歩、冥加差出候事】。
- 書籍の売りさばきは秋田屋に任せること【書籍捌方は、秋田屋へ支配為致候事】。
この「秋田屋」は、明治3年4月に大坂医学校による官版『日講記聞』売弘届を出すなどしていた「秋善」(『大坂本屋仲間記録』第6巻394-395頁)こと秋田屋善助でしょうか(早稲田古典籍DB:https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ya04/ya04_00681/ya04_00681_0001/ya04_00681_0001_p0034.jpg)。それとも、明治10年頃のことになりますが、東京で刷られた活版印刷物である『公法便覧』(NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/788979/1/325)や『團團珍聞』(NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/11209952/1/8)の売捌き等にも柔軟に対応していた秋田屋市兵衛でしょうか。
藩政時代から大坂で書籍商を営んでいた秋田屋
井上和雄編『慶長以来書賈集覧』(彙文堂書店、
- 秋田屋市五郎(大野木氏、寶文堂、大坂心斎橋筋南久太郎町、天保-〘天明-天保〙)
- 秋田屋市次郎(大野木氏、寶文堂、大坂長濱町、文政-)
- 秋田屋市兵衛(大野木氏、寶文堂、大坂心斎橋筋安堂寺町南入西側、延宝-明治)
- 秋田屋源兵衛(大坂傳馬町、天保)
- 秋田屋幸助(大坂心斎橋筋順慶町南入、弘化-慶応)
- 秋田屋善助(大坂、安政-万延)
- 秋田屋太右衛門(田中氏、宋榮堂、大坂心斎橋筋安藤寺町南入〘大坂車町(文化)〙、文化-明治〘貞享-明治〙)
- 秋田屋長兵衛(大坂心斎橋筋、元禄-)
- 秋田屋徳右衛門(大坂傳馬町(享保)・中之島常安裏町(明和)、正徳-天明)
- 秋田屋茂兵衛(大坂、寛政)
- 秋田屋良助(大坂九之助橋〘大坂南瓦屋町(文政)・九之助町一丁目(天保)〙、天保-〘文化-天保〙)
慶応3年の『増補浪花買物独案内』では、「ほんや」として次のような「秋田屋」が紹介されています(大阪大学附属図書館石濵文庫蔵、国書データベース https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100270073/ の19コマ~23コマ)。
「独案内」の4軒は「集覧」の11軒に全て含まれているわけですが、この4軒を候補と考えて良いでしょうか。『大坂本屋仲間記録』で各々の活動始期をチェックしてみました。
- 秋田屋市兵衛は、「出勤帳 1番」の頃から大坂の本屋仲間であり、遅くとも
明和3 年からは行司を務めるなどしていた模様(「出勤帳 1番」44丁〔『大坂本屋仲間記録』第1巻「出勤帳 1」19頁〕https://dl.ndl.go.jp/pid/12277417/1/18)*1。 - 秋田屋太右衛門は、
文化2 年10月に仲間に加入している模様(「出勤帳 21番」100丁〔『大坂本屋仲間記録』第2巻「出勤帳 2」301頁〕https://dl.ndl.go.jp/pid/12277267/1/158)。 - 秋田屋善助(善介)は、太右衛門の関係者らしき人で、安堂寺に出していた「箱店」をいったん畳んで改めて
天保8 年6月に仲間に加入したうえで出店した模様(「出勤帳 49番」42丁〔『大坂本屋仲間記録』第4巻「出勤帳 4」404頁〕https://dl.ndl.go.jp/pid/12277002/1/210)。 - 秋田屋幸助は、元は太右衛門方の関係者らしき人で(「出勤帳 49番」51-52丁〔『大坂本屋仲間記録』第4巻「出勤帳 4」408頁〕https://dl.ndl.go.jp/pid/12277002/1/212)、
天保11 年3月に仲間に加入した模様(「出勤帳 51番」113丁〔『大坂本屋仲間記録』第4巻「出勤帳 4」535頁〕https://dl.ndl.go.jp/pid/12277002/1/275)。
東北大学附属図書館から借りてきた『大坂本屋仲間記録』第6巻で、元治2年正月として始まった大坂本屋仲間「出勤帳66番」から、明治2年12月17日までを記す「出勤帳71番」までの範囲を眺めてみたところ、次のようなことが見えてきました。
- 秋市こと秋田屋市兵衛の名は、この期間常に「出勤帳」で話題に出ている。また少なくとも慶応4年(明治元年)と明治2年は年行司を務めている。
- 秋太こと秋田屋太右衛門の名は、慶応3年末までは出ているが、慶応4年(明治元年)と明治2年の間は消えている(明治3年には再登場する)。
- 秋善こと秋田屋善助の名は、明治2年10月に「緒方蔵版」の件で出ているのみ――書名は出ていませんが、おそらく緒方玄蕃輯『
㖣 嗚 喥 [口英] 袖珍方叢』(早稲田古典籍DB:https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_c0167/bunko08_c0167_0002/bunko08_c0167_0002_p0028.jpg)のことでしょう――。 - 秋幸こと秋田屋幸助の名は、慶応3年5月に「変宅届」の件で出ているのみ。
この4名の他にも秋田屋一党で名が出ていた者がありました。
- 秋良こと秋田屋良助、慶応元年10月に「仲間退」とし板木の大半や株を「秋善」管理としたい旨の願い出あり。更に慶応4年6月に「休商届」。
- 秋復こと秋田屋復三郎、慶応2年12月「実印漸〻出来候」。
- 秋彦こと秋田屋彦助、慶応3年12月、慶応4年5月、明治2年3月に記録あり。
- 秋確こと秋田屋確蔵、明治元年10月、「英国歩兵練法と申全九冊物、薩摩軍局方ニ蔵版ニ出来、右売弘之儀」で「御裁判所」へ伺出(この件、同年11月、明治2年1月にも引き続き)。明治2年10月から12月、「楽山堂詩鈔」と「皇道要略」の件。
さて、というわけで。本命を秋田屋確蔵(薩摩蔵版『英国歩兵練法』の大阪での販売を企図していた)、対抗を秋田屋市兵衛(秋田屋一党の本家であり明治初期の本屋仲間で年行司も務めていた)、という具合に見るのが良かろうと思われたわけなのですが。
実際に現存している『重訂英國歩兵練法 號令詞』には「製本所:吉田源左衛門(薩摩)/秋田屋田右衛門(大坂)」とあるようで(https://opac.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/opac/opac_details/?lang=0&opkey=B176511204838820&srvce=0&amode=11&bibid=2002780757)、また『重訂英國歩兵練法』も巻末は「製本所:吉田源左衛門(薩摩)/秋田屋太右エ門(大坂)」とあることから(https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100231271/576?ln=ja)、実際の本命は秋田屋太右衛門で対抗が市兵衛、大穴が確蔵――ということになるでしょうか。
以上、そのままの形では実現しなかった五代友厚・本木昌造の企画「活判所取建に関する覚」(二十一史復刻に関する覚書、https://dl.ndl.go.jp/pid/12256546/1/104)の話題を扱いながら、大阪府立中之島図書館『大坂本屋仲間記録』の大半が国会図書館デジタルコレクションの送信資料となってくれたことの喜びを噛みしめているのでした。