日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

セクト・ポクリットの輪番連載「ハイクノスガタ」第3回「掌上の沈黙 ──『黙示』富沢赤黄男──」を拝読して気になった火曜印刷の活字

「俳句がもっと楽しくなるポータルサイト」と銘打たれたウェブサイト「セクト・ポクリット」で2024年11月下旬に始まった新連載「ハイクノスガタ」ですが、字游工房の書体デザイナであり俳人である木内縉太さんhttps://x.com/kinouchi9による第1回「子規と明治期の活字〈前編〉」(2024.11.26)「子規と明治期の活字〈後編〉」(2024.11.29)、俳句とカリグラフィーと句具の後藤麻衣子さんhttps://x.com/goma121による第2回「俳句の余白、文化の手ざわり」(2024.12.30)、そして造本作家・造本探偵であり歌人俳人である佐藤りえさんhttps://x.com/sato_rieによる第3回「掌上の沈黙 ──『黙示』富沢赤黄男──」(2025.02.15)と、まずは一巡したところとなっています。

「俳句を字体(フォント)・紙・印刷などのデザインから読み解く、いままでにはなかった試みの連載」というわけで、個人的には活字と活版印刷について勉強させていただくことばかり。今回は第3回「掌上の沈黙 ──『黙示』富沢赤黄男──」で、重くて軽い句集『黙示』のこと(と、なぜ連載分担初回にこれがとりあげられなければならなかったのか)と、火曜印刷の存在を教えていただきました。

限定100部の『黙示』のうち「第41冊」が国会図書館に蔵されていて高品質なカラー画像として国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能になっているという僥倖を生かしhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1359999/1/47、佐藤氏に導かれながら読み進めてみました*1

国会図書館デジタルコレクションで全文検索が有効になっている世界線で火曜印刷と出会えたことで、火曜印刷の面白さが手軽に感じられて、とてもありがたいです。

国会図書館の当面のデジタル化業務が一段落したら、マイクロフィルムから劣悪なモノクロ2値画像化された古い資料の撮り直しだけでなく、例えば木下杢太郎『食後の唄』(アララギ発行所、大正8年 https://dl.ndl.go.jp/pid/906455)のようにモノクロ画像としての品質はそれほど悪くないものの本文が墨と朱で刷られた姿を味わいたいもの――工藤早弓『明治・大正詩集の装幀』(京都書院、平成91997年)156-159頁参照――も、カラーで再デジタル化して欲しいと願わずにはいられません。


火曜印刷の概要

高柳重信全集』(立風書房、1985年)第3巻巻末の、川名大による年譜、昭和251950年の項に「八月、処女句集『蕗子』を上梓。これは、この句集に必要なだけの活字と、手フート式印刷機を購入し、末弟の年雄の労力を借りて印刷したもの。これが、すなわち火曜印刷株式会社のはじまりである。池上浩山人の和綴製本が、案外に気がきいて見えたので、これと同じ方式の句集や歌集を、いくつか頼まれて造った。塚本邦雄の処女歌集『水葬物語』や本島高弓句集『幸矢』は姉妹本である。」と記されています(397頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/12559797/1/203

『昭和詩歌俳句史』(毎日新聞社、1978年)246-249頁に掲載されている高柳重信の項に須永朝彦が「わが尽忠は俳句かな―高柳重信」という文章を寄せているのですが、冒頭の段落が次のようなものでした(249頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/12459663/1/124

蕗子ふきこ』『伯爵領』『黒彌撒ミサ』等と題された世にも不思議な、また本としても十分美しい句集をかわるがわる手にとり、顔面を紅潮させかれたように塚本邦雄が語る絢爛けんらんたる高柳重信伝説を聴きながら、その頃廿歳はたちだった私は、塚本(ちなみに氏の処女歌集『水葬物語』は高柳の製作に成る)のごとき歌人を識っただけでも不幸なのに、この上〝大宮伯爵〟などという異名を持つ天才俳人の存在を知らされたのでは、いよいよわが身の不幸は紛れもないと嘆きをかこっていた。今は昔、十年前初めて塚本邸に招かれた折りの消し難い記憶である。

塚本邦雄「顯花年代記楠本憲吉『隱花植物』解題」(花曜社『詩魂紺碧』〔昭和581983年〕223-240頁)によると、楠本『隱花植物』も高柳らの手になるもので、塚本は高柳『蕗子』と楠本『隱花植物』、そして自身の『水葬物語』を「心の中で、ひそかに三人兄弟詩歌集と呼び、その奇緣を懷しむことがあった」のだとかhttps://dl.ndl.go.jp/pid/12459669/1/115

加藤元重「火曜印刷所」(戸田市立郷土博物館『第17回特別展 高柳重信展』図録50-51頁〔平成132001年〕)には、「ハイクノスガタ」第3回「掌上の沈黙 ──『黙示』富沢赤黄男──」での引用箇所とは別のところで次のような記述がありました(51頁)。

入口を入ると、土間に板を敷いた室が長さ十米、巾三米ほどあり、活字を並べたり、植字台を置いたり、活版印刷機や手きんを設置し、活版印刷所つまり小さな工場になっていた。

高柳はシャツとズボン姿で、蓬髪が顔の前にすだれにならないように頭に手ぬぐいをかぶせ、乱視だかなんだか忘れたが、メガネをかけて、文選と植字の係をしていた。印刷工場に通って覚えたのか器用に仕事をしていた。

年雄さんは主に印刷機をガシンバタンと動かし、これも一人前の顔付きでリズムをとっていた。私にはこの二人が何もこだわらず、スイスイと印刷物をまとめるのを、今もって不可思議で仕様がない。

国会図書館デジタルコレクションで火曜印刷の仕事を拾い集めてみたところから考えると、当初から「火曜印刷」を名乗ってたわけではなく、昭和28年2月の『琅玕』2号までは「高柳印刷所」、同年6月の『琅玕』3号からおそらく昭和29年途中(?)の戸田町下戸田時代のうちは「火曜印刷所」、そしておそらく昭和29年途中(?)文京区に移転するタイミングで「火曜印刷株式会社」という変遷を辿ったようですね。

下戸田時代の火曜印刷所に半年ほど見習い職工として通っていたという加藤元重の記述と「全集」年譜の記述を併せて考えると、最小限の活字と手フート式印刷機(手きん)によって始めた「高柳印刷所」が、1~2年後、雑誌印刷などにも対応できるよう「印刷機」(平台ロールか?)と数万本単位であろう8ポイント活字を設備した「火曜印刷所」となった、――という展開だったのでしょう。

自らの処女句集『蕗子』や「塚本邦雄の処女歌集『水葬物語』や本島高弓句集『幸矢』」などの姉妹本において、印刷所の表記はどのようになっていたでしょうか。富沢赤黄男『蛇の笛』などと同じく印刷所としての名は無く「印刷者 高柳年雄」と記されていたのでしょうか。


国会図書館デジタルコレクションの火曜印刷Works

全文検索が実装されたおかげで、印刷所(印刷者)の名称から印刷物を拾い出すことができるようになりました。高柳重信作品集『黑彌撒』と富沢赤黄男句集『黙示』がフルカラーで見られること、とてもありがたいです。なお、現行のNDL全文検索を実現した、デジタルコレクション画像のデジタルテキスト化に用いられたR3年度LINE版OCR処理のレイアウト判定が苦手としている奥付スタイルだったためでしょうhttps://uakira.hateblo.jp/entry/2023/01/10/132116、富沢赤黄男『蛇の笛』以下の4冊はキーワード「高柳年雄」でヒットせず、「三元社」で拾い出したものです。高柳(火曜印刷)が手掛けたもので国会図書館が所蔵しているにもかかわらず拾い出せていないものが、他にもあるかもしれません。


火曜印刷の気になる活字

国会図書館デジタルコレクションで眺めていて火曜印刷の活字について気になった点が幾つかあったので、メモを残しておきます。

五号明朝と思われる活字

「あ」「か」「な」等の印象や築地前期五号らしい仮名が多く含まれていることから一瞬秀英五号と感じられる、五号明朝と思われるサイズの活字。最後に大きく撥ねる「い」や、脈絡を繋いだ「お」「は」など、大日本印刷の昭和23年版『主要活字見本帳』掲出「五号明朝」とは異なる活字。「お」「は」は昭和27年版『活版の栞』の雰囲気を先取りしているとも取れる。

この特徴的な五号仮名は、S27『蛇の笛』巻末の著者覚書https://dl.ndl.go.jp/pid/1341974/1/60、S28『光と影』序ほかhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1342202/1/6、S29『白塔』序ほかhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1342919/1/6、S30『夜の崖』序ほかhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1355006/1/6、S31『舷門』序ほかhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1355492/1/6、S32『無影句集』叙ほかhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1356833/1/6、S33『飄亭句日記』本文https://dl.ndl.go.jp/pid/12485179/1/8――など、火曜印刷初期から一貫して使われている活字である模様。

大日本印刷が刷った『白秋・茂吉互選歌集』(白玉書房、昭和241949年)の序や跋https://dl.ndl.go.jp/pid/1128034/1/143、上村六郎・山崎勝弘『改訂 日本色名大鑑』(甲文社、昭和251950年)序https://dl.ndl.go.jp/pid/2457448/1/11、『オリバーの冒険』(三十書房、昭和261951年)本文https://dl.ndl.go.jp/pid/1633304/1/4などは『主要活字見本帳』型となっており、これ以降は概ねベントン型(昭和27年版『活版の栞』型)の活字になるので、火曜印刷の活字は他社製品と見てよいか。

ともあれ、他に名案が無いので仮に書体としては「秀英風五号ブレンド」と呼んでおくことに。

この「秀英風五号ブレンド」が火曜印刷のオリジナルブレンドというわけではなく、これを標準書体としていた活字販売店があり、火曜印刷はそこからそのまま仕入れていただけ――なのではないかと予想するが、実際のところはまだ何も判らない。

「五号活字」としての寸法は、秀英五号格(10.4pt)か、JIS五号格(10.5pt)か、あるいはどちらでもないサイズだったりするのか。これは現物を確認してみたい。

四号明朝らしき活字

書体としては、ごく一部の例外的と思われる混用を除いて概ね秀英四号と思っていいように見える活字。

ごく一部の例外的と思われる混用に気づいたのは熊坂紫羊句集『埴輪』の冒頭2句「濱館にはや新春の聲立てぬ」「濱館の縁に迎春の爪を剪りぬ」によって。「聲立てぬ」の「ぬ」が築地四号、「爪を剪りぬ」の「ぬ」が秀英四号となっている(13頁:https://dl.ndl.go.jp/pid/1353995/1/11。念のため確認してみたところ、少なくともこの「ぬ」の混用は、実は富沢赤黄男句集『蛇の笛』にも既に見られるものではあった。

混用が「ぬ」だけなのかどうか、また混用が生じた理由などは、よくわからない。

実際の寸法として、①13.0pt(秀英格の四号:10.4ptの1.25倍)、②13.125pt(JIS新四号:10.5ptの1.25倍)、③13.75pt(旧四号)、④14.0ptの4通り――あるいは⑤13.5pt等――の可能性があるうち、国会図書館デジタルコレクションの画像データから導かれる予想としては③13.75ptか④14.0ptであるように思われる。現物を確認してみたい。


日本現代詩歌文学館の火曜印刷Worksより

火曜印刷の活字について少なくとも五号明朝らしき活字と四号明朝らしき活字について紙の本を直接参照したいと考え、以下の6点すべてを蔵している日本現代詩歌文学館が隣県に存在するという状況に深く感謝しつつ、閲覧・計測させていただきました。かなり時間が限られている中で、火曜印刷の活字調査と奥付確認のみ。

  • 高柳重信句集『蕗子』(東京太陽系社、1950年〔ハ92/タカ128/14^^〕2025年4月某日閲覧)
    • 序・跋:四号(13.75pt)ベタ組(秀英四号系)
    • 本文:三号(16pt)二分アキ(築地三号系)
    • 奥付:縦組み(活字サイズ1種)
      百貮拾部限定版 句集蕗子 奥附
      高柳重信著・中原史人装幀・高柳
      年雄印刷・池上浩山人製本・富澤
      赤黄男刊行・東京都武藏野市吉祥
      寺五〇〇番地 東京太陽系社上梓
      昭和二十五年八月十日印刷・同年
      八月二十五日發行・頒價百五拾圓

      限定百貮拾部の内 第 六三 册
  • 本島高弓句集『幸矢』(東京太陽系社、1950年〔ハ92/モト22/1^^〕2025年4月某日閲覧)
    • 跋:四号(13.75pt)ベタ組(秀英四号系)
    • 本文:四号(13.75pt)【6頁「秋の海 顫ふ女の肩越しに」など12文字の句が全角アキ】(秀英四号系)
    • 奥付:縦組み(活字サイズ1種)
      百貮拾部限定版 句集幸矢 奥附
      本島高弓著・高柳年雄印刷・池上
      浩山人製本・富澤赤黄男刊行・東
      京都武藏野市吉祥寺一八六番地・
      東京太陽系社上梓・昭和二十五年
      十二月十日印刷・昭和二十五年十
      二月二十ニ日發行・頒價百五拾圓

      限定百貮拾部の内 第 八拾九 册
  • 楠本憲吉句集『隱花植物』(なだ万隠花植物刊行会、1951年〔ハ92/クス5/4^^〕2025年4月某日閲覧)
    • 序・跋:四号(13.75pt)ベタ組(秀英四号系)
    • 本文:三号(16pt)【11頁「雪やけの洋琴拙きもよけれ」25頁「孤兒何か叫ぶ遠くで月尖る」など12文字の句が全角アキ】(秀英三号系)
    • 前付オモテ:縦組み(活字サイズ1種)
      限定私家版百貮拾部の内
      本書はその第 七拾貮 册
    • 前付ウラ:縦組み(活字サイズ1種)
      題簽 久米正雄
      編纂 高柳重信
      校訂 高柳年雄
      造本 池上浩山人
    • 奥付:縦組み(活字サイズ1種/検印無し)
          句集隱花植物 昭和廿六年四月廿日
          印刷昭和廿六年五月一日發行著作人
          楠本憲吉池上浩山人装幀並製本高柳
      年雄印刷發行人東京都中央區木挽町六丁目五
      番地なだ万隱花植物刊行會  頒價百五拾圓
  • 塚本邦雄歌集『水葬物語』(メトード社、1951年〔タ92/ツカ1/23^^〕2025年4月某日閲覧)
    • エピグラフ:8ポ四分アキ(秀英電胎8ポ系)
    • 本文:四号(13.75pt)【「革命歌作詞家に凭りかかられてすこしづつ液」の1行20字が四号三分アキではないかと思われる】(秀英四号系)
    • 跋:五号(10.5pt)ベタ。(書体は「秀英風五号ブレンド」を基調としつつ、少なくとも「あ」「た」が当時の秀英五号と築地ベントン五号の混用、「い」が秀英五号と「秀英風五号ブレンド」の形の混用となっていた。『水葬物語』しか見ていない状態だったら、戦後の混乱期にありがちな「乱雑混植ジャンブル」として片づけてしまっていただろう。)
    • 奥付:縦組み(活字サイズ1種)
      百貮拾部限定版 歌集 水葬物語 奥附
      塚本邦雄著・高柳年雄印刷・池上浩山人
      製本・大阪市東住吉區湯里町一三番地メ
      トード社刊行・一九五一年七月三十日印
      刷・同年八月七日發行   頒價五百圓

      限定百貮拾部の内 第 百拾七 册
  • 高柳重信句集『伯爵領』(黒彌撒発行所、1952年〔ハ92/タカ128/15^^〕2025年4月某日閲覧)
    • 序:五号(10.5pt)ベタ。(書体は「秀英風五号ブレンド」を基調としつつ、少なくとも「だ」が当時の秀英五号と築地ベントン五号の混用となっていた。)
    • 本文:四号(13.75pt)【15頁「馬車は越えゆく」や43頁「河口のピストル」が四号全角アキ】(秀英四号系)
    • 奥付:縦組み(活字サイズ1種/限定番号空欄)
      百部限定版 伯爵領 奥附
      著者高柳重信・印刷者高柳
      年雄・昭和廿七年一月廿五
      日印刷・昭和廿七年二月一
      日發行・發行所 埼玉縣北
      足立郡戸田町下戸田二四七
      黒彌撒發行所・頒價二百圓

      限定百部の内 第   册
  • 富沢赤黄男句集『黙示』(俳句評論社、1961年〔ハ92/トミ17/6^^〕2025年4月某日閲覧)
    • 本文:四号(13.75pt)【30頁「黑いメランコリアの 車が壞れてゐる 地平」、44頁「無題の月 ここに こわれた木の椅子がある」が四号ベタ】(秀英四号系)
    • 奥付:横組み(活字サイズ3種、両端揃え)
      100部限定版
      句集 黙示
      昭和36年9月10日印刷
      昭和36年9月20日発行
      著者 富沢赤黄男
      東京都武蔵野市吉祥寺186
      発行者 高柳重信
      印刷所 火曜印刷
      発行所 俳句評論社
      東京都澁谷区代々木上原1288
      頒価500円


火曜印刷は『日本印刷関係業者名鑑』掲載活字商の何処から活字を仕入れたか

『日本印刷関係業者名鑑』1953年版(印刷文化出版研究所、昭和271952年)に掲載されている関東地方の活字商は53軒で、このうち2軒が横浜、都内の業者が51軒でした(187-188頁:https://dl.ndl.go.jp/pid/2464726/1/113

この51件の活字店と、北足立郡戸田町下戸田「高柳印刷」、そして文京区白山一丁目23番6号「火曜印刷株式会社」の所在をGoogleマイマップにプロットしてみました。2025年現在都内で唯一営業を継続している佐々木活字店(新宿区榎町)と、2024年5月で閉店した大栄活字社(台東区小島二丁目〔旧・浅草小島町〕)の他、東京都印刷工業組合『組合員名簿 1984』の「東京活字協同組合組合員名簿」https://dl.ndl.go.jp/pid/11917474/1/141で住所を補正したところが17軒ほどありますが、残りはかなり大雑把な位置しかプロットできていません。また「高柳印刷」の場所もかなりアバウトです。

『日本印刷関係業者名鑑』1953年版の「関東地方関係業者」に見える活字商のうち、地理的な位置関係で火曜印刷(高柳印刷)の仕入れ先候補筆頭が北区滝野川町736(滝野川町3-9)の木戸活版製造所(木戸活字製造所)ということになりそうだという具合に見えますが、さて、実際の仕入れ先はどこだったでしょうか。高柳は日記や取引記録等を残していたりしなかったでしょうか。ご存じの方、ご教示いただけますと幸いです。

*1:確かに扉を開くといきなり最初の句が(2頁)。各句が頁中央ではなく少しノドに寄せてあるのは、見開き単位を前提に、ちょうど視界の中心が2つの句で3等分されるような位置に感じられるような配置かな(2-3頁)。ノンブルの位置、こんなに上げてあるんだ(6頁)。いや待って、ノンブルが版面に食い込むの(20頁)。ああそうだよね、ノンブルは本文に接触しない位置が基本設計で、20頁は何かの間違いだよね(29頁)。こんなこと本文とノンブルの位置があっていいのか(30頁)。何でノンブルにこんなにドキドキさせられるんだ(43頁)。またやりやがった(44頁)。

*2:琅玕俳句會『琅玕』は、CiNiiBooksによると日本近代文学館が2-10,12号を所蔵している模様。【「琅玕」の「玕」は第3水準漢字〔1面87区83点〕なので、NDLの登録も2025年4月11日現在の「琅[カン]」から「琅玕」に変更するか、別名として「琅玕」を追加登録して欲しいところです。現時点のNDLサーチでキーワード「琅玕」を検索すると、後年出された琅玕の会『琅玕』関連と、CiNiiの情報として出てくる日本近代文学館蔵の琅玕俳句會『琅玕』しか検索リターンが得られず、せっかくのNDL蔵本は一般的な検索では辿りつけない資料になっています。】とNDL「お問い合わせフォーム」https://www.ndl.go.jp/form/jp/service/contact/index.html に投げかけたところ、2025年4月16日付で回答を頂き「「琅[カン]」から「琅玕」に変更」とした由。第3水準漢字や第4水準漢字に該当する漢字が「JIS外字」であった大昔にデータ化された古い書誌において同様の事例を見かけた場合、積極的にNDL「お問い合わせフォーム」経由で報告しておくと世界の幸福が少し増す――はず。