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明治42年版『新聞名鑑』を手掛かりに築地初期ポイント活字の早期採用紙を探る―③名古屋新聞の事例

明治42年版『新聞名鑑』を手掛かりに築地初期ポイント活字の早期採用紙を探ってみようという試みの2紙目として、『毎日電報』に続き、今回は『名古屋新聞』を取り上げてみます。

明治42年版『新聞名鑑』では1行18字詰め・1頁8段組みとされておりhttps://dl.ndl.go.jp/pid/897421/1/55、これは本文9.5ptまたは10.0pt活字の段制です「明治42年版『新聞名鑑』を手掛かりに築地初期ポイント活字の早期採用紙を探る―①ブランケット判の段数・字数と活字サイズ」

本文9.5pt活字なのか10.0pt活字なのか、現時点で、『新聞名鑑』の段制情報からは判断できません。

『名古屋新聞』は、明治41年11月3日付『大阪毎日新聞』3面掲載の築地活版による「祝紙面改良」広告で「大ママ毎日新聞、毎日電報、名古屋新聞紙面其他雑誌ニ於テ御使用ノ榮ヲ蒙」っていると言及された、築地10テンポイント明朝早期採用紙のひとつでした「「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」と東京築地活版製造所の10ポ・9ポ半明朝活字」

明治42年版『新聞名鑑』の時点では本文が10ポイント活字だったものと考えて良いでしょう。

名古屋新聞が築地活版製ポイント活字を本文活字に採用するタイミング

国会図書館の遠隔複写でマイクロフィルムの紙焼きを取得し明治41年12月から遡って確認してみたところ、次のようになっていました。

  • 明治41年12月1日付:1行18字詰め・1頁8段組み、本文築地10ポイント活字(「今古西東」コラムや連載小説も10ポイント)
  • 明治41年11月1日付:1行18字詰め・1頁8段組み、本文築地10ポイント活字(「今古西東」コラムや連載小説も10ポイント)
  • 明治41年10月1日付:1行19字詰め・1頁8段組み、本文築地9ポイント活字(「今古西東」コラムや連載小説は本文旧五号活字)
  • 明治41年9月1日付:1行19字詰め・1頁8段組み、本文築地9ポイント活字(「今古西東」コラムや連載小説は本文旧五号活字)
  • 明.1治41年6月1日付:1行19字詰め・1頁8段組み、本文築地9ポイント活字(「今古西東」コラムや連載小説は本文旧五号活字)
  • 明治41年3月1日付:1行19字詰め・1頁8段組み、本文築地9ポイント活字(「今古西東」コラムや連載小説は本文旧五号活字)
  • 明治40年6月1日付:1行19字詰め・1頁8段組み、本文築地9ポイント活字(「今古西東」コラムや連載小説も9ポイント)
  • 明治39年12月1日付:1行19字詰め・1頁8段組み、本文築地9ポイント活字(「今古西東」コラムや連載小説も9ポイント)
  • 明治39年11月6日付:1行19字詰め・1頁8段組み、本文築地9ポイント活字(「今古西東」コラムや連載小説も9ポイント)

念のため、大正4年版『新聞総覧』に記されている「沿革」を手掛かりにhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2387636/1/162、改題前の『中京新報』についても確認してみました。

  • 明治38年7月16日付:1行19字詰め・1頁7段組み、本文築地五号活字

どうやら、『中京新報』から『名古屋新聞』への改題を機に、本文を五号活字から築地9ポイント活字へと更新したということになるようです。また、9ポイントでは小さすぎるという悪評に対して、都式活字へ流れずに築地10ポイントを採用した(数少ない?)新聞社ということにもなりそうです。

名古屋新聞が10ポから9ポ半に切り替わるタイミング――1段行数で10ポと9ポ半を識別できるか

ところで、大正4年版『新聞総覧』に「活字種類 九ポイント半」と記されているのが気になります(1行16字詰・1段106行・1頁9段:https://dl.ndl.go.jp/pid/2387636/1/162)。どのタイミングで10ポイントから9ポ半に切り替わったのでしょう。

明治42年版の「新式五号」すなわち築地10ポイント明朝採用時点の紙面は「1行18字詰・1段100行・1頁8段」でしたから(https://dl.ndl.go.jp/pid/897421/1/55)、本文活字ベタ100行分の幅は計算上10×0.3514×100=351.4mmです。遠隔複写で取得した明治42年12月1日1面に掲載されている連載小説「四十三年」第13回の本文は1段62行(総ルビ)でした。

大正2年版『新聞総覧』では「特製五号」(1行18字詰・1段107行・1頁8段:https://dl.ndl.go.jp/pid/2390577/1/24)、明治44年版では「新式五号」(1行18字詰・1段106行・1頁8段:https://dl.ndl.go.jp/pid/897420/1/24)となっています。

本文活字ベタ106行は9.5×0.3514×106で353.8mmですから、10ポ100行と左右幅がほぼ同等。というわけで、明治42年から44年頃の間に本文活字が10ポから9ポ半に切り替わり、大正4年版『新聞総覧』の頃でも9ポ半だった、――と考えて良いでしょうか。

遠隔複写の追加を試みます。以下の期間、すべて1段18字詰・1頁8段でした。

明治43年6月1日付(築地10ポ)
1面に掲載されている連載小説「春日局」(碧瑠璃園)第18の6回の本文は1段60行(総ルビ)でした。本文活字に見える「あ」「な」「た」「の」は築地10ポイント型「「大阪毎日新聞」に見える東京築地活版製造所の9ポ・8ポ半明朝活字」

明治43年6月1日付『名古屋新聞』1面(部分、国会図書館マイクロフィルムからの紙焼き)

明治43年12月1日付(築地10ポ)
1面に掲載されている連載小説「振袖比丘尼」(山田旭南)第43回の本文は1段60行(総ルビ)でした。本文活字に見える「あ」「な」「た」「の」は築地10ポイント型。

明治44年6月1日付(築地10ポ)
1面に掲載されている連載小説「今魯智深」(山田旭南)第12回の本文は1段63行(総ルビ)でした。本文活字に見える「あ」「な」「た」「の」は築地10ポイント型。

明治44年6月1日付『名古屋新聞』1面(部分、国会図書館マイクロフィルムからの紙焼き)

明治44年12月1日付(築地10ポ)
1面に掲載されている連載小説「毒矢」(河原〓雨)第73回の本文は1段61行(総ルビ)でした。本文活字に見える「あ」「な」「た」「の」は築地10ポイント型。

明治45年6月1日付(築地10ポ)
1面に掲載されている連載小説「大石良雄」(碧瑠璃園)第147回は掲載箇所が1面1・2段にあり左右罫目一杯ではなくなっているため、他の箇所を組み合わせて推定した総ルビ本文の行数は1段63行です。本文活字に見える「あ」「な」「た」「の」は築地10ポイント型。

明治45年6月1日付『名古屋新聞』1面(部分、国会図書館マイクロフィルムからの紙焼き)

大正元年12月1日付(乱混9ポ半)
1面に掲載されている連載小説「大石良雄」(碧瑠璃園)第326回は掲載箇所が1面1・2段にあり左右罫目一杯ではなくなっているため、他の箇所を組み合わせて推定した総ルビ本文の行数は1段65行です。本文活字に見える「あ」「な」「た」「の」ほか基本活字が都式活字で他の9ポ半活字が乱雑混植の状態になっているように思われます。

大正元年6月1日付『名古屋新聞』1面(部分、国会図書館マイクロフィルムからの紙焼き)

――というわけで、名古屋新聞が10ポから9ポ半に切り替わるタイミングは明治45年6月2日から大正元年12月1日までの期間だったようで、また、1段行数で10ポと9ポ半を識別できるかどうかは依然として不明という感じです。

大正2年7月21日付『名古屋新聞』本文9ポ半活字に乱雑混植ジャンブルされている正体不明の9ポ半活字

大正2年7月21日付『名古屋新聞』1面(部分)

少し前に入手できた大正2年7月21日付『名古屋新聞』は、本文の基本活字が実測で9ポ半。多くが都式活字(「B型」)だったようですが、一見すると築地前期五号活字かと思われる大きな文字面の仮名(実際は9ポ半ボディに収まっている)数種を含め、正体不明の9ポ半を含む乱雑混植となっていました。

大正2年7月21日付『名古屋新聞』1面に見える平仮名活字

築地活版の9ポ半「「大阪毎日新聞」に見える東京築地活版製造所の9ポ・8ポ半明朝活字」とも、都式活字「『都新聞』と同附録『都の華』に見える「都式活字」A型仮名とB型仮名、そして松藤善勝堂が1910年代に印刷した雑誌・書籍に見えるABブレンド型仮名」とも、更に大日本印刷秀英体活版印刷ライブラリー」で公開されている秀英舎製文堂の大正3年版『活版見本帖 Type Specimens(仮)』に掲載されている九ポイント半/九ポイント半仮名付https://uv-v3.netlify.app/#?manifest=https%3A%2F%2Farchives.ichigaya-letterpress.jp%2Fapi%2Fpresentation%2F2%2F196c01948e81%2Fmanifest.json&c=&m=&s=&cv=16&xywh=0%2C-414%2C5435%2C4907とも異なる、未知の9ポ半活字。

過渡的なものなのか、また『名古屋新聞』独自のものなのか、他紙にも見られるものなのか。はてさて。