日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

東京築地活版製造所の「種字彫刻係取締」竹口庄太郎(正太郎)のこと

東京築地活版製造所の「種字彫刻」に携わった職工の一人に、竹口庄太郎(正太郎)という人物がいました。「彫刻家として知られた竹口茂平」の息子とされてきました。私は、「印鑑の彫刻師か木版の彫刻師」と想像されてきた「竹口茂平」とは、江戸で「板木屋組合」行事などを務めた版木彫刻師である竹口茂兵衛のことであろうと考えるようになっています。

竹口庄太郎(正太郎)は、「種字彫刻」の道では、先に入社していた〈活字種版彫刻家〉竹口芳五郎(本人談話によると、茂兵衛に師事した後に独立して版木彫刻師の仕事をしたのち明治5年に築地活版〈当時「平野活版」〉へ入社している)の、弟子筋になります。

ここでは二人を紹介する記事の見出しに基づいて「種字彫刻」という具合に記しましたが、「字母彫刻」という言い方もあり、農商務省山林局編『木材ノ工芸的利用』(明治45、大日本山林会https://dl.ndl.go.jp/pid/842427/1/315)では「東京市字母彫刻ニ従事スルモノ凡ソ十三人ニシテ一日一人平均五個ヲ彫刻ス」と記されています。

先日、平日の日中しか入れない東北大学附属図書館本館2号館に初詣をして、国会図書館にも印刷図書館にも印刷博物館にも所蔵されていない、第2次『印刷雑誌昭和3年3月号53頁に竹口庄太郎(正太郎)のことを記した記事が掲載されていたことに気づきました。この号は私が知る限り東北大か関西大の図書館しか持っていませんから、参考のために記事のコピー画像を掲げ、続けて文字起こしを記しておきます。

東北大学附属図書館蔵『印刷雑誌昭和3年3月号53頁「竹口庄太郎」昇進の記事
築地活版に五十年勤続 竹口氏技師に昇進

東京築地活版製造所の種字彫刻係取締竹口庄太郎氏は、明治十一年二月十一日に入社し本年正に勤続五十年に達する由であるが、同社では氏の功績に酬る為め技師に昇進せしめた。同氏は種字彫刻に特殊の技能を有し、所謂築地型の中心をなした人である。殊に同氏の技能の発揮されたのは明治四十ニ三年以后のことである。同社には別に岩田氏があつて勤続四十余年に及び、多数の種字を彫刻したが既に物故された。築地型活字は各所に於て母型となつて居るはずであるから印刷界、新聞界挙げて氏の技能のお影を蒙つて居るわけである。

竹口庄太郎(正太郎)の表彰歴

先日「東京築地活版製造所の〈活字種版彫刻家〉竹口芳五郎のこと」https://uakira.hateblo.jp/entry/2022/12/05/124730に記した通り、2005年3月から大日本スクリーン製造のウェブサイトで『タイポグラフィの世界 書体編』として連載された全10話から成る小宮山博史『日本語活字ものがたり : 草創期の人と書体』(2009、誠文堂新光社)の、第8話「無名無冠の種字彫師-活字書体を支えた職人達」(これはスクリーン連載の第7回として現在も閲覧可能〈https://www.screen.co.jp/ga_product/sento/pro/typography/07typo/07typo.html)では、『印刷世界』第1巻第2号(明治43年9月20日、印刷世界社)の「職工表彰録」に掲載されている竹口正太郎の略歴と肖像が紹介されています。竹口正太郎というのは「師芳五郎氏の高弟として知られ」、「主として漢字製作に従事す」云々と。

1903年明治36年第1次『印刷雑誌』13巻4号の「活版印刷業組合報告」(https://dl.ndl.go.jp/pid/1499058/1/8)として第1回の組合員職工表章授与式の結果が記されています。築地活版に関係する人物のところだけ抜き出しておきます。

受賞者姓名 (勤続表彰内容)
竹口芳五郎 廿五ヶ年以上勤続証書及金色表章、特別賞金
田村銀次郎 廿五ヶ年以上勤続証書及金色表章、特別賞金
岩田庄次郎 廿五ヶ年以上勤続証書及金色表章、特別賞金
竹口正太郎 二十ヶ年勤続証書及金色表章
前田平吉 十五ヶ年以上勤続証書及大形銀色表章
福井竹次郎 十五ヶ年以上勤続証書及大形銀色表章
宇田川新太郎 十五ヶ年以上勤続証書及大形銀色表章
地代兼二 十五ヶ年以上勤続証書及大形銀色表章
高橋新太郎 十五ヶ年以上勤続証書及大形銀色表章
菅沼金三 十五ヶ年以上勤続証書及大形銀色表章
古橋米吉 十五ヶ年以上勤続証書及大形銀色表章
森政吉 十五ヶ年以上勤続証書及大形銀色表章
守田鐵太郎 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
森野由次郎 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
遠山傳五郎 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
大久保新太郎 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
植村鈔喜智 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
高橋赤次郎 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
上杉亀吉 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
金谷勝美 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
平野藤太郎 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
新明藤一郎 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
堀秀發 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
高木岩太郎 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
阪間千代吉 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章
有働武雄 十ヶ年勤続証書及小形銀色表章

1904明治37年第1次『印刷雑誌』14巻4号に「東京活版印刷業組合員職工表章授与式」(https://dl.ndl.go.jp/pid/1499068/1/9)という第2回表章に関する記事があります。築地活版に関係する人物のところだけ抜き出してみましょう。

(職種) 受賞者姓名 (勤続表彰内容)
活字製造工 竹口正太郎 満二十五ヶ年勤続証書及金色章並に特別賞金
活字製造工 前田平吉 満二十ヶ年勤続証書並に金色章
製罫工 守田鐵太郎 以上満十五ヶ年勤続証書及大形銀色章

1905明治38年第1次『印刷雑誌』15巻4号の第3回表章https://dl.ndl.go.jp/pid/1499080/1/14)では両竹口が対象ではないのですが、他の職工の動向を追う意味で、築地活版関係のみ抜き出しておきます。

勤続年限 職名 受賞者姓名
二十年以上 活字鋳造工 福井竹次郎
二十年以上 活字鋳造工 宇田川新太郎
十年以上 活版製造工 後藤信太朗
十年以上 活版製造工 釜田源次郎

1906明治39年第1次『印刷雑誌』16巻4号、第4回表章https://dl.ndl.go.jp/pid/1499092/1/5)から、築地活版関係のみ抜き出しておきます。

受章者職業 勤続年数 受章者氏名
印刷工 十ヶ年以上 海野定吉
植字工 十ヶ年以上 松澤介次郎
印刷工 十ヶ年以上 矢島重
活字製造工 十ヶ年以上 雑賀祐七
活字製造工 十ヶ年以上 高山定吉
活字製造工 十ヶ年以上 桑野秀雄
印刷工 十五年以上 大久保新太郎
植字取締補助 十五年以上 植村鈔喜智

国会図書館の資料で追える「東京活版印刷業組合員職工表章」は以上で終わってしまうのですが、これとは別に、1916大正5年『日本印刷界』78号に「築地活版製造所の勤続者表彰」(https://dl.ndl.go.jp/pid/1517497/1/60)という記事があります。

株式会社東京築地活版製造所にては十年以上の勤続者には写真職工を問はず勤続年給を与へつゝあるが今回二十五年以上の勤続者には銀杯を授与するの制度を新に設け去月二十五日午后三次より全社楼上に於て野村社長始め其他重役一同参列の上左の諸氏に対し表彰式を挙げたり

勤続年数 職務 氏名
二十八年 総務部長 湯浅丈平
二十七年 印刷部長 上原定次郎
二十六年 製造部長 木戸金朔
四十二年 母型係取締 田村銀次郎
四十一年 仝上 岩田庄次郎
三十八年 彫刻係取締 竹口庄太郎
三十三年 鋳造係取締 前田平治
三十一年 植字係取締 福井竹次郎
二十九年 蒸気係取締 地代兼二
二十九年 彫刻係副取締 高様新也
二十八年 母型係副取締 菅沼金三
二十五年 印刷係副取締 大久保新太郎
二十五年 印刷係副取締 植村新喜智
二十五年 仝上 上杉亀吉

竹口庄太郎(正太郎)の名前の表記

佐藤敬之輔『ひらがな上』(文字のデザインシリーズ2、1964年、丸善)の末尾に記されている「設計者の略伝」で「竹内庄太郎」と記されていることに対して、小宮山博史「無名無冠の種字彫り師」は、竹口生前の記事である『印刷世界』第1巻第2号(明治43年9月20日、印刷世界社)の「職工表彰録」の表記をもって「竹口正太郎」が正しいだろうとされています。

おそらくこのあたりの情報を踏まえて、佐藤敬之輔「活字に生きた人々」(『月刊印刷時報』465号、1983年3月、印刷時報https://dl.ndl.go.jp/pid/11434928/1/23)では「私の前著に、竹口芳五郎を継いだ弟子を竹内庄太郎としてあるが、どうもそれからいろいろ考えあわせて、今では師匠と同性の竹口庄太郎というのが正しいのではないか、という思いに至っている」と書かれています。

わたくしも、竹口生前の表彰歴から、一般職工から課長までの時代には「竹口正太郎」と名乗り、「彫刻係取締」の役を得たあたりで「竹口庄太郎」に改めたのではないかという説を唱えておきたいと思います。そのため後半生を知る人々にとっては「竹口庄太郎」だったのではないかと。