今回は、「〈日本で「活字」という語はいつ頃から使われているか、また「Movable Type」の訳語なのか〉問題を掘り下げるためのメモランダム」の「10. 近世木活字時代の「活字」用例」にメモった話に関連することを、追加で書きつけておきたいと思います。きりしたん版や古活字版の時代、「活字」に関連する語彙は、どのようになっていたでしょうか。前回のメモは1~11でしたから、追加分を12から始めます。
12. 中根勝『日本印刷技術史』第7章「桃山時代・江戸初期の印刷事業」からのメモ
中根勝『日本印刷技術史』(八木書店、1999)第7章「桃山時代・江戸初期の印刷事業」に、幾つか興味深い資料が掲げられています。
まず1点。往時「一字板」の語が使われた例として、豊臣秀次の侍医だった小瀬甫庵が文禄5年(1596)に開版した『標題徐状元補注蒙求』の下巻末に掲げられている刊語の影印と活字翻刻文が掲載されています(131頁、下記翻刻文は引用者が一部改めている)。同書では天理図書館本に依ると書かれていますが、大阪府立図書館の「おおさかeコレクション」で閲覧可能かつコンディションも良いので、ここではそちら(http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000005-00000096 の100コマ)を引いておきましょう。
桑城洛陽西洞院通勘解由小路南
町住居甫庵道喜新刊一字板繍此
書以應童蒙之求也嗚呼未辨芋耶
羊耶魚耶魯耶澗愧林慙〈艸/異〉愽覧人
運郢斤多幸惟時文禄第五丙申小春吉辰道喜記
小瀬甫庵のものでは、これも「おおさかeコレクション」で閲覧可能な『新編医学正伝』(慶長2年)(http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000005-00000093 の74コマ)では「一字之板」という表現になっていますね。
2点目は、慶長年間に「活板」の語が見える資料、釋道宣 述『教誡新學比丘行護律儀』(国会図書館本)。中根1999に影印は掲げられていませんが、刊語が活字翻刻されています(133頁、下記翻刻文は引用者が一部改めている)。
右教誡儀簡牘磨滅字畫殘殃或鳥而焉
或焉而馬故勵志投小財命工令活板併
爲正法久住善願圓滿耳
慶長九年甲辰應鍾上旬
城西歡喜山寶珠院沙門幸朝
下村生藏刊之
これは国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10301836/28)。この時期に「活板」という語句が使われていることに、ちょっと驚きます。
3点目、細川幽斎『伊勢物語闕疑抄』。「慶長第二孟冬十五日 也足叟素然 在判」の跋と「御幸町通二条 仁右衛門 活板之」の刊記がある、と紹介されています(135頁)。これはROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センターの日本古典籍データセットで国文研鉄心斎コレクションのものを閲覧することができます(http://codh.rois.ac.jp/iiif/iiif-curation-viewer/index.html?pages=200025266&pos=281&lang=ja)。
「活板」(活版)という語だけ入ってきていて、「活字」という語は入ってきていなかった――という状況でしょうか。たまたま上記2点のみに現れる特殊な事例でしょうか、実は慶長期には「活板」と「一字板」が拮抗するような状況だったのでしょうか。色々と気になるところです。
13. 巡察使Alexandro Valignano等の書簡類に見られる活字関連語
まずは天理図書館報『ビブリア』11号(1958.7)に掲載されたJ. L. Alvarez-Taladriz「ラウレス先生の「こんぺえ糖」」と、『ビブリア』23号(1962.10)に掲載された新井トシ「きししたん版の出版とその周邊(一)」から、日本語での印刷出版に備えたAlexandro Valignanoらによる活字関連の語句が示されているところを拾い出してみます。
1583「日本諸事要録 」(Sumario de las cosas pertenecen a la Provinicia Japón)
書籍は彼等の言語である場合にも、我等の(ローマ)字で印刷せねばならない。彼等の文字はその数が非常に多いので、印刷することが出来ないからである。(東洋文庫版『日本巡察記』67頁下段*1)
1584 天正少年使節引率Diego de Mesquita師宛書簡
1584年12月25日附ヂェゴ・デ・メキスタ師宛書翰には片仮名文字の母型と日本人が片仮名を使う時用いる二三の符号等の調製を依頼し、更にそのような母型は字母の型を書いて送ればフランデルでは至極容易に作ってくれるであろうと。(『ビブリア』23号13頁)
「メキスタ師宛書簡」について新井1973が依拠したのは、注釈によればD. Schilling『Christliche Druckerein in Japan』。これはInternet Archiveで見ることができるようです(https://archive.org/details/christlichedruck00schiuoft/page/n9/mode/2up)。
1589年9月25日マカホ発信イエズス会総長宛書簡
御覧のように日本使節行記の標題紙上に三つの違つた大きさのタイプがあります。然し私は別の種類の活字即ち草書体およびローマン体文字が欲しいのです。御書簡ではお送りくださるというのですが、それならば上記文字の母型を買い、ポルトガルのプロクラドールを通してお送り頂きたい。これらの母型は非常によく作られていて、日本ではただ活字に鋳造すればよく、それからすぐ印刷できるようなものでなければなりません。又他の種類の母型も大変有難い。(『ビブリア』23号》55-56頁)
この「総長宛書簡」については、高瀬弘一郎「キリシタン時代の文化と外交 ―印刷文化の到来とポルトガルの日本航海権―」(『キリシタンと出版』2013)に、より細やかな邦訳が掲げられています(54頁)。
印刷機 と大・中・小の三種の文字 の母型 を、ポルトガルから送るよう指示してほしい。『対話録』の表紙を送るが、母型が古く、不鮮明で良い出来栄えでないことが分かるであろう。様々な文字が必要であるが、とりわけ中の大きさの、イタリック体文字 とロマン体文字 の母型を希望する。
高瀬2013が依拠したのは、「以上ヴァリニャーノ書簡はJap. Sin. 11-I, ff.157-158v., 159-160. Alvarrez-Taladriz(1998. pp.54. 55. nota 13)に一部翻刻」であると注釈に記されています。
高瀬2013のありがたいルビから、ヴァリニャーノ書簡に記されたのであろう原綴を推定しておきます。インプレンサ:imprensa、レトラス:letras、マトリセス:matrices、レトラ・グリファ:letra grifa。なお、ローマン体文字「オトラ・レドンダ」は「レトラ・レドンダ」letra redondaの誤記ではないかと思います。
1594年10月20日長崎発アクヮヴィバ会長あてフランシスコ・パシオ神父書簡
本年は、印刷機の整備やら、イタリック文字のセットの製造に追われ印刷は殆ど進捗して居りません。――中略――日本人は今迄父型や母型の製造には、全然経験を持ち合わせては居らぬとは云え、此の方面にも器用な日本人は、短期間にしかも6ドゥカドスを超えざる僅少の出費で、印刷に必要なる全てのイタリック文字を作成してくれました〔Jap. Sin. 31, f. 88r〕。(『ビブリア』11号8頁)
1599年2月28日長崎発Diego de Mesquita神父の報告
ここではラテン語の本と国語と国字の本を印刷します。それはここで我が伊留満が同宿達と共に作成した2000個の父型とそれと同数の母型の賜物で、其の道にかけては偉大なる天才にして手先の器用な日本人の優秀さを示すものであります。〔Jap. Sin. 13 II, f. 294r〕。(『ビブリア』11号9頁)
14. 羅葡日対訳辞書等に見られる印刷関連語
きりしたん版に関わった日本人は、どのような西洋式印刷用語に触れていたでしょうか。また、きりしたん版を支える西洋式印刷術が日本に伝わる直前であろう時期の日本の印刷用語はどのようなものだったでしょうか。そのような内容が保存されている可能性が高い語句を、対訳ラテン語語彙集データベース(https://joao-roiz.jp/LGR/DB)のキリシタン版羅葡日対訳辞書(1595,天草)と同日葡辞書(1603、長崎)から、全文検索で探ってみましょう。今回は何らかの形で「imprimir」を含む項目を拾い出してみました。
キリシタン版羅葡日対訳辞書(1595)
羅語 | 葡語釈 | 日本語釈 | 私解 | 語彙集DB |
---|---|---|---|---|
Ìmprimo | Imprimir selo, ou figura ẽ algũa cousa mole. | Yauaracanaru mononi ynban nadouo voxitçuquru. | やわらかなるものに印判を押しつくる | 1595羅葡日対訳 |
Excûdo | per trãsl. Escreuer, ou imprimir. | Monouo caqu, l, surifonni suru. | ものを書く、刷り本にする | 1595羅葡日対訳 |
Incûdo | Imprimir martelando. | Mon, l, catauo vchitçuquru. | 型を押し付くる | 1595羅葡日対訳 |
Tudículo | Imprimir, ou esculpir. | Xiruxiuo voxitçuquru, l, foritçuquru. | 印(しるし)を押し付くる・彫り付くる | 1595羅葡日対訳 |
キリシタン版日葡辞書(1603)
和見出し | 和釈・類例 | 私解 | 葡語訳 | 語彙集DB |
---|---|---|---|---|
Cocu-in | Curoi voxite. | 黒い押して(?) | Marca, ou sinete cõ tinta para mutrar, ou por sinal. | 1603日葡辞書 |
Fan. | Fanni firaqu, suru, qizamu, vocosu, suritçuquru. | 版に開く、刷る、刻む、起こす、刷り付くる | Emprensa, ou impresão. /Imprimir. | 1603日葡辞書 |
Fangui | Fãguini suru, l, fanni suritçuquru. | 版木にする、版に刷り付くる | Emprensa, ou impressão. /Imprimir. | 1603日葡辞書 |
先ほどのヴァリニャーノ書簡に書かれている活版用語としての「Letra」は上記2冊には出てきませんが、対訳ラテン語語彙集データベース中の葡語辞書に記載されているものがあります。母型の意味での「Matrices」は見えないようです。
見出し | 語釈 | 語彙集DB |
---|---|---|
letra | Letra de molde, aliàs impressa. Characteres typici . Vel characteres impressi. | Barbosa1611 |
そもそも「Movable Type」に相当するポルトガル語やラテン語が当時存在したのかどうか、単に「Type」または「Letter」に相当する語句しか使われていなかったのではないかと私は疑っているわけですが、現時点でどのように探っていっていいものか、いい道筋が判りません。
15. 文禄の役(壬辰・丁酉の倭乱)以前の活版印刷関連用語
『高麗史』77巻、百官志に記された諸司都監各色の項目に、「書籍店」という仕事のことが書かれています。国会図書館デジタルコレクション版(2巻573頁下段 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991069/297)は文字が潰れていて判りにくいのですが、次のように書かれている模様(強調は筆者):
文宗定錄事二人丙科權務吏屬記事二人記官二人書者二人忠宣倂於翰林院後複置恭讓王三年罷四年置書籍院掌鑄字印書籍有令丞
この系統の、往時の中国側で記述された高麗人の文物誌の類に、「彼らはそれを一字版と呼ぶんだぜ」というような記録が残っていないものでしょうか。浅学のため、どこからどう掘り下げて良いものか見当がつきません。この方面に明るい方のご教示賜りたく。
16. 「記録から見た15世紀のイタリアにおける活字用語」
Riccardo Olocco「The archival evidence of type-making in 15th-century italy」(2017『La Bibliofilia』)という«掘り出し物»が書かれていたことを知りました。活版製造・印刷販売等を行っていた事業者による記録(取引記録等)を精査し、当時の活動状況を丁寧に掘り起こしているものです。
本稿の視点からは「2.1. The terminology of the printing trade」が役立ちました。曰く:
- 「Cast type has always been called «litteras» (letters).」(私訳:鋳造活字は常に「litteras」(letters)と呼ばれる。)
- 「The earliest known record of matrices, a 1474 lawsuit from Brescia, indeed refers to «litterae heris [= aeris] a stampando» (copper letters for printing).」(私訳:母型の初出例として知られる1474年のBrescia訴状には、実際には「litterae heris [= aeris] a stampando」(印刷用の銅字)と書かれている。)
- 「Punches are seldom mentioned in the archival documents. They are called «ponzoni» in Latin and we find several variations in the vernacular languages: «puntelli», «puntoni» or «punzoni» in Florence (the last is also used in modern Italian), «polsonj» in Padua, and «spontonis» in Milan.」(父型が記録に現れることは稀である。ラテン語では「ponzoni」だが、フロレンス語「puntelli」「puntoni」「punzoni」―最後は現代イタリア語でも使われる―、パドゥア語「polsonj」、ミラノ語「spontonis」など、現地語の例が見つかっている。)
以下、「casting」「type-founders’ mould」「style and size of type」が往時の記録にどのように書かれているかが記されていくのですが、ここには引きません。
前回のメモランダム「6. 並行世界にて(3)独仏蘭葡から揺籃期本を眺めると」でデジたんがAlfred W. Pollard『An Essay on Colophons』(2018、The Project Gutenberg EBook https://www.gutenberg.org/files/56628/56628-h/56628-h.htm)に触れながら「15世紀のヨーロッパ各地へ活版印刷術が広がっていきつつあった段階では〈整板じゃないよ活字だよ〉ではなくて〈ペン字(写本)じゃなくて真鍮文字(印刷本)だよ〉っていう言い回しが売り文句で、だからヨーロッパ各国語では活字のことをLetterとかCaractèreなんて呼んでて、整板本と比べるような時だけその必要に応じてMoveable Typeっていう呼び方をするんじゃないか」と言っていたことを思い出しておきましょう。