日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

薛煕『明文在』の凡例に書かれた匠体字(木版職人の字様)としての「宋字」の話

史梅岑『中國印刷發展史』(臺灣商務印書館、1966)172頁「鉛字體形的流變」の項は、このような書き出しになっています。

鉛字體形,自發明至今日,變化亦多,益合適用。査中文鉛字,習用宋體。錢大鏞明文在凡例:「古書俱係能書之士,各隨其字體書之,無所謂宋字也。明季始有書工,專寫膚廓字樣,謂之宋體。」因此種字體,多爲明隆慶時人所書,故日人稱之爲「明朝體」。

私たちが日本で「明朝体」と呼ぶ漢字活字書体のことを中国で「宋体」と呼ぶことの始まりについて書かれているようです。
国慶著・沢谷昭次訳『漢籍版本入門』(研文出版〈山本書店出版部〉、1984)110頁に錢大鏞による『明文在』凡例原文と日本語訳が掲げられているので、訳文を引いておきます。

昔の書物は、一般に能書家がそれぞれの字体に随って文字を書いたので、いわゆる“宋体”などというものはない。明末になって、木版職人たちが独特の筆画の字体で書くことが始まり、これを“宋体”と称した。

先日言及した(https://uakira.hateblo.jp/entry/2022/01/17/112101)堀川貴司「漢籍から見る日本の古典籍 ―版本を中心に―」に、「昔の書物は、一般に能書家がそれぞれの字体に随って文字を書いたので、いわゆる“宋体”などというものはない」というくだりの理解を助ける話が書いてありました。漢籍を対象とする書誌学の目で見ると、能書家が版下を書いていた時代の字様(書風)は唐代の顔体(顔真卿)、柳体(柳公権)、欧体(欧陽詢)、元代の趙体(趙孟頫)のいずれかに属し、字様の識別が出版地や時代の特色を見分ける助けになるのだというのです。

『明文在』凡例の話は、印刷史のテキストや書誌学のテキストにおいて、少しずつ形を変えながら受け継がれているようです。

例えば、嚴文郁『中國書籍簡史』(臺灣商務印書館、1992)第8章「西方印刷術的輸入」に記された「鉛字字體」の項の書き出し:

鉛印活字字體,一般稱爲宋體。錢大鏞在《明文在》一書中説:「古書俱係能書之士,各隨其字體書之,無所謂宋字也。明季始有書工,專寫膚廓字樣,謂之宋體。」就是現在的活字體。

ところで、早稲田古典籍総合データベースで薛煕『明文在』(江蘇書局、光緒15〈1889〉*1)を見た限りでは、この『明文在』には錢大鏞が記した「序文」はありますが*2、そもそも「凡例」が見当たりません。
どういうことでしょう。
この江蘇書局版では(例えば九州大学附属図書館本*3でも)凡例が省かれてしまっているということでしょうか。
あるいは、そもそも『明文在』には凡例が存在しなかった?!

しばらく不思議に思っていたところ、台湾の国家図書館がウェブ資源化している商務印書館版『明文在』(1936)*4では、序文と目次に続けて12項目の凡例が掲げられていました。大きなシミのある方(https://taiwanebook.ncl.edu.tw/zh-tw/book/NCL-9910017259)も、綺麗な方(https://taiwanebook.ncl.edu.tw/zh-tw/book/NCL-000020036)も、どちらもPDFの17頁が当該箇所(12番目の凡例)になっています。
電子テキストに起こしてみましょう。

古書俱係能書之士.各隨其字體書之.無有所謂宋字也.明季始有書工專寫膚廓字樣.謂之宋體.庸劣不堪.於今爲甚.是編鏞輩特請同門生倪子亦雲.用趙文敏公小楷法書之.間有字署畫不依洪武正體者.從唐宋名人法書也.至於編次巻帙.校態對差悞.俱出其手.尤不可冺.又選剞劂良工.厚其既廩.監視鋟梓.頓改陋習.亦復古之漸云.
康熙三十一年歳次壬申秋呉郡半園學人 録大鏞 徐龍〓 識

ちなみに、陳国慶著・沢谷昭次訳『漢籍版本入門』が掲げている「凡例」原文は、史梅岑『中國印刷發展史』らが記す「無所謂宋字也」ではなく、商務印書館版『明文在』と同じ「無有所謂宋字也」でした。

最も古い刊本の可能性がある国立公文書館内閣文庫(豊後佐伯藩主毛利高標献上本)の康熙35年刊本*5を見れば、原初の『明文在』凡例の状態が判明するでしょうか。