先日nipponiaの山田和寛さんから、ちょっと正体不明な感じの活字に関する問い合わせをいただいた。
昭和7年3月28日付で鉄道省が発行した『日本案内記 近畿篇 上』(印刷者:日清印刷)に使われている本文活字。
問い合わせのためにご提示いただいたのは、ある大学図書館が所蔵する昭和7年5月20日発行の「第七版」だったのだけれど、幸い国会図書館デジタルコレクションで初版が公開されている。本文の先頭ページ画像を掲げておこう。
NDLデジコレはスケールも写してある時期の資料なので、活字サイズを推定してみると7ポ75から8ポ程度と思われた。
日清印刷は後に秀英舎と合併して現在の大日本印刷になるのだけれども、発足から合併前までの間の印刷物を眺めてきた感触では、大半の活字について築地活版もしくは築地系のベンダーから供給を受け、太字(アンチック)系のみ秀英舎もしくは秀英舎系のベンダーから……という具合に思われる。
こうした前提で今回の活字書体について思い当たるのは、ゆず屋の山王丸榊さんがお持ちのから頂戴した、東京築地活版製造所『活字と機械』(昭和8年版)に掲載されている「7ポイント75」である。
大正15年に発行された築地「7ポ75」見本帳(桑山書体デザイン室KD文庫蔵)に掲げられている活字書体は筆者が「オルタナ出版史」シリーズで「秀英電胎8ポ」と呼んでいるものになっており、このあたりの錯綜した活字書体史をもっと詳細に解き明かしたいと思っているのだけれども、それはさておき。
昭和ヒトケタの時期、築地活版はベントンの導入以前に少なくとも9ポイントについて「細形活字」を「新刻」しているので、おそらくは新刻の7ポ75なのだろう。そういう目で改めてこの活字(特に仮名)を眺めると、明治19年以来の六号活字と、明治末に登場した電胎9ポイントの、双方の雰囲気を受け継いでいるように見える。
というわけで、その旨を回答させていただいた。
『日本案内記 近畿篇 上』の初版は宮城県立図書館も所蔵しているので後日現物を確認してみたところ、本文の活字サイズは8.0ポイントだった。残念ながら昭和8年版『活字と機械』に掲載されている8ポには仮名が含まれていないのだけれども、この仮称「昭和新刻7ポ75」は同8ポと母型を共有していたものかと思われる。
『タイポグラフィ学会誌08』所収の「大正・昭和期の築地系本文活字書体」に示した通り、築地活版は昭和10年前後に10ポ、9ポ、8ポの少なくとも仮名をベントンで統一的に作るようになっているので、他所で拾われて生き延びていない限り、かなり短命に終わった珍しい活字書体なのではないかと思われる。
築地活版自身が仮称「昭和新刻7ポ75(8ポ)」を用いている印刷物(=活字見本)は、まだ見ていない。ご存知の方がいらしたら、ご教示賜りたい。
2月1日夜、追補。
昭和10年前後の築地系10ポ、9ポ、8ポの少なくとも仮名がベントン製であることを確信したのは、2015「学会誌08」刊行の翌2016年になってから印刷博物館に出かける機会を得、築地活版の『細形九ポ活字總數見本』(昭和11年1月)を閲覧させていただき、手元にある『昭和十一年五月 改正五號活字總數見本 全』と比較してみてからのことになる。「学会誌08」の段階では、「今後の課題」の節に記した通り、新世代の活字がベントンなのかどうか、確信が持てていなかった。
昼間の記述に一部不正確なところがあった点、お詫びして訂正申し上げる。