日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

平野富二と神崎正誼の葛藤を小室樵山が仲裁?

1977年に埼玉新聞社出版局から出された大村進・小林弌郎・小池信一 編『田中千弥日記』の254頁に、「築地活版平野富二」と「弘道軒神崎正誼」との間に生じた「葛藤」について「公裁」が仰がれ、上野景範と松田道之が小室樵山へ仲裁を依頼した結果(小室の代理人となった斎藤謙二の働きもあって)両社は和解した――というような記事が書かれてあった。明治15年4月7日付の日記である。

この「葛藤」は、明治13年弘道軒が広告した明朝活字に関係することだろうか、あるいは、抜刀事件として伝わる、明治17年に発売開始の築地活版の楷書活字に関係することだろうか。
もう少し丁寧に『田中千弥日記』を読み解いていけばこの「葛藤」や「公裁」あるいは和解の内容(と斎藤謙二との関係)が判るだろうか。
松田道之は、このあたりの出来事を日記的な何かに記していないだろうか。
国会図書館に寄託された上野景範関係文書に、何か手掛かりは無いだろうか。