日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

#活デ図 「活字中毒者のデジタル図書館探訪」補講

配布資料B面の上の方に並んでいる、東京築地活版製造所の明治19年「新製見本」シリーズについて、お話しさせていただきます。
『アイデア』358号の「日本語活字の文化誌 第3回 うたう活字書体」で触れた通り、この「新調三号」仮名は、筆書きの味を強く残した活字書体の代表として、写植時代とデジタルフォント時代に復刻/翻刻活字を生み出しています。

「新調四号」の活字としての特徴については、8月10日に発売される『アイデア』360号「日本語活字の文化誌 第5回 正方形とは限らない」で取り上げておりますので、興味のある方は、ぜひご覧になってみてください。さて、この新製見本シリーズで発表された仮名のうち、なぜ三号と六号は当該サイズの標準の仮名になったのに、四号など他のサイズはそうならなかったのか――というようなことも問われなければならないと思うのですが、ここでは四号活字の使い手について、近代デジタルライブラリーの精査から見えてきたことを、お話しします。

実は以前、変体仮名を多く交えている新調三号見本組の文章を、いろは仮名に開いてみるという試みをしたことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/uakira/20101127
見本の冒頭に「ごぬだの なおすけうし の うた」と書いてあるのは、「権田直助大人の歌」なのだと判りましたが、なぜこの歌を見本組のテキストに選んだのかということや、同記事への森洋介氏からのコメントで明示していただきましたように、築地活版と権田直助との間に何か関係があったのかどうかといった点が気になる、そういう話になって参ります。
新製見本について、そういう観点から何かが問われたとか、記されたというようなことは、おそらく今まで活字の研究のジャンルでは、無かったことのようなんですね。何だかよく判らないけれども、書体として優美な姿を見せてくれる三号の仮名があって、デビューした時の見本組がこういう文章だったという、ただそれだけのことで。
同じ明治19年の新製見本――これは毎月少しずつ発表される見本シートをあとで綴りあわせて冊子にするといったものだったようなんですが、三号仮名が「明治19年7月新製」で、四号仮名は「6月新製」とあります。
実は私、明治20年代のNDC9類の資料を一通り眺めてみる中で、この「新調四号」活字を大々的に使う資料が、とても偏った傾向を持っていることに気づきました。
例えば『曲亭雑記』のような、整版本時代の記憶を色濃く留めるようなもの。――という見方を当初持っていたんですが、実は印刷所が曲者で、これは常盤橋活版所というところが刷っています。
そしてこの常盤橋活版所の「印刷者」個人名が、この後、権田直助と非常に関係が深いと思われる人物に切り替わります。
木村正辞『万葉集書目提要』明治21年)の奥付を見ると、印刷所は常盤橋活版所で、印刷者が魚住長胤となっています。発行元は、魚住が属する大八洲学会です。
学会の久米幹文が編纂した『大八洲史』なども、やはり「新調四号」の実用例です。
恥ずかしながら私、大八洲学会についてはWikipediaの本居豊穎に関する記述でアウトラインをつかんだばかりなのですが、本居宣長の義理の曾孫である豊穎が国学と和歌の復興を願って主催した会ということで、魚住も加わっていたものです。
国学と和歌の復興と言われて、新調四号の見本組が「ふる うた たてまつりし とき の もくろく の その ながうた(こきん・しふ に よる)」という紀貫之長歌だというのを読み、そして先ほどの「新調三号」が権田直助の「国体歌」だということ、こうした見本帳側の状況と、実用例の多くが大八洲学会の印刷物であること(しかも実は魚住存命期間のものに集中している)といった状況を考え合わせると、これはどういうことになるのでしょう。
築地活版に端を発する「アンチック型」活字見本の文字種が聖書に関係が深いものばかりだという事実の陰に、最古の用例として『新撰讃美歌』が隠れていたような、そんな事情が強く連想されます。
活字印刷の文化史

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残念ながらと言うべきか、当然と言うべきか、『大八洲学会誌』の「創刊の辞」を確認してみますと、築地活版の明治18年3月新製(19年の新製見本に接続するシリーズ)となる「平形五号」仮名で組まれていました。
「新製見本」の仮名は、整版本が商業的に成立しなくなっていき活版本が印刷本の主流となっていく時期に、整版印刷文字の味を活版に乗せていこうとする、そのような時代精神の表れという風に見えていたのですが、より具体的に、魚住長胤という依頼主があったのではないかと想像される、そんな状況が見えてきたということを、ご報告させていただきます。
今のところ「そのような状況に見える」と言える状況証拠にとどまり、制作依頼の事実が大八洲学会誌なり新聞の記事や広告などに見つかったという段階ではありません。
調査に進展がありましたら、いずれご報告させていただきたいと思います。

余談になりますが、資料A面でお話ししたような、日本語印刷文字の歴史に「正方形の字面」を準備した大きな起点のひとつと見られる本居宣長の曾孫が(直接か間接かは判りませんが)「正方形ではない字面」の仮名活字を希求したのだと思うと、なかなか面白い巡り合わせだなぁと詠嘆せずにはいられませんね。
国語文字・表記史の研究

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