日本語練習虫

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久永其頴と江川次之進の新資料

先日も記した通り、江川行書活字を残した書家の久永其頴や江川活版製造所創業者江川次之進については、実に記録に乏しい。
江川活版については、これまで活字見本帳の類が全く知られておらず、江川行書を多用する印刷物についても『聚珍録』に大島寛治(大島活版所)/大嶋寛治が刷った境田捻信氏所蔵の江東散史編纂『速初成学日本作文案内』(明三三)と同じく松下照義『速初成学普通作文独学』(明二八)の紹介が見られるくらいであった。
実は、先日ツイートした通り、後者の版元である求光閣服部喜太郎は、江川行書の版下を書いた其頴久永多三郎の『楷書千字文』『行書千字文』を刊行している他、江川次之進が印刷者として奥付に名を残す貴重資料『作文必携』(明治二七年一月)『帝国作文大全』(明治二六年一〇月)などを出している。
『作文必携』掲出の広告頁には『楷書千字文』『行書千字文』『帝国作文大全』の紹介が記されている他、『行書千字文』刊行時に新聞に載った書評が紹介されている。
久永の『行書千字文』は明二六年一一月に出されたのだが、「東京朝日新聞評」とあるのは、明治二六年一二月一六日付東京朝日新聞に記された評の抜粋で、「国民新聞評」とあるのは同一二月一七日付のものである。
国民新聞評には「久永といへば人其能筆なるを知らざるなし博文館の如き氏が書を請ふて書物に題す字に俗気なきにあらざれども極めて美はし日本橋区大伝馬町一丁目長島恭三郎氏発売」とある。
明治一三年の『現今大日本帝国書画人名表』には弘道軒清朝体の小室樵山の名は見えても久永の名が見えないのだが、一方この頃、琴古流尺八の川瀬順輔が「版下書の名人」として久永の名を聞き知っていて弟子入りしたということなので、「人其能筆なるを知らざるなし」というのはそれほど誇大な表現ではなかったのかもしれない。
ともあれ、近代デジタルライブラリーで明治二十年代の博文館の本を見ると、確かに久永らしく思われる題字を多数見ることができる。
そうした中に、貴重な一冊があるので、東北大学付属図書館所蔵本を使って紹介する。
博文館の最初期の出版物のひとつで、東京専門学校を出たばかりの坪谷善四郎による受講ノートを元に企画された『万国憲法』で、高田早苗が誌した序文を、久永其頴が書いたもの。題字も久永であろう。




現時点で管見の限りでは、久永が書いた序文を見られる一般書は、この一冊のみである。