日本語練習虫

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今井直一「活字書体と読み易さ」の時代背景

和文活字の可読性について、昭和十八年の『印刷雑誌』に、今井直一が「活字書体と読み易さ」と題する記事を残してゐる*1。これは、昭和二十四年に出された今井の単行本『書物と活字』第五章「和文活字の読みやすさ」の基になったもの。
Readability(可読性・読みやすさ)、Legibility(判別性・見わけやすさ)といった概念は、当時の欧文活字かぶれによって本邦の活字界にもたらされたモノの見方なんだども*2、当時はスノビズムに留まらない実際的な必要性があり、今井は「活字書体と読み易さ」を次の文句で書き始めてゐる。

近年視力保健に対する一般の関心が昴り昂り、近視予防の方法として、書籍雑誌に関して改善の諸方策が講ぜられつゝある。

今井の記事は『『印刷雑誌』とその時代―実況・印刷の近現代史』(asin:4870851911)にも収録されてゐるんだども、印刷図書館と国会図書館の双方で昭和十年代の『印刷雑誌』を眺めると、同書から感じられる以上に印刷界が翼賛化してゐる(翼賛化のフリをしてゐる?)様が観察され、また、日本の印刷界の中に、国の宝である小国民を眼鏡を必要としない頑強な成人へと育てるために「可読性が高い活字」の研究を求めるような、そんな空気があったと知れる。
『國語學』2000年9月号の仲矢信介「ルビ問題に見る日本語と政治」によると、「1938年の内務省による小活字・ルビ禁止政策は、もっぱら活字の大きさを問題にしてのルビ禁止であ」り、また「厚生省の指導下に国家的組織として「視力保健連盟」が1938年9月26日に成立し,月刊誌の発行を含む全国規模の活動を展開していた」といふ。
昭和十四年の石原忍『石原東眼式新仮名文字』も、かうした時代の中に生れてゐる。
可読性の良し悪しは何を基準とするか、また、それは測定可能なのか。さういった「可読性」概念の胡散臭さを問ひ返すに当たっては、日本語活字に対して「可読性」の問題が鋭くつきつけられたこの時代の状況や、UDフォントが辞書活字に向くと思ふ者はたぶん居ないだらうといったことなど、せっかくの良い視力でもって、なるべく広く遠くを見通すことによってこそ、得るところが大きいと思ふ。

*1:ただし、今井は「活字書体と読み易さ」(上)(下)の中で、「可読性」といふコトバは使ってゐない。

*2:昭和十六年の印刷雑誌に載った欧文印刷研究会座談会記録「日本宣伝の欧文雑誌四種を批判する」の中に「可読性が悪く読みにくい」といふ小見出しがあることなどを想起。