日本語練習虫

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庄司浅水が褒め称えた「精興社本」って

あの庄司浅水が「本をつくるならば、いちどは、ぜひ、こんな装釘で、こんな造本で、自分の本もつくってみたいものだと、なんど思ったかしれない。」「こんど、その機を得て、本シリーズの中に、本書が加えられることになった。私にとって、こんなうれしいことはない。」と「あとがき」に記した『紙魚のたわごと』(昭和41年11月30日初版第一刷、朝日新聞社「随筆シリーズ」、装釘:原弘、印刷:精興社)253-258頁に、『定本 庄司浅水著作集』第14巻を参照先として記す向きが多い「精興社本」の記事があり、255頁にかういふ記述がある。

もうかれこれ三十年以上にもなるが、私はある新聞社の依頼で、新刊書の装釘評をこころみたとき、精興社で印刷した本の幾冊(多くは岩波本だった)かを取り上げ、「本邦活版印刷の最高峰をゆくものとして推奨するに足る」と評したことがある。その考えはいまも変らず、精興社本は現にそれを立証しつつある。

この記事は「古書あれこれ」といふ章の一節で、あとがきによると、この章は昭和41年1月から北海道新聞の「本」の欄に連載されたものを土台に加筆したのだといふ。すると装釘評の記事が書かれたタイミングは昭和ヒトケタか十年前後だと思はれるんだども、著作集を含め、当該装釘評の手がかりが見つからずにゐる。
庄司浅水はその新聞評で、具体的に何といふ書物を取り上げたのだらうか。その頃の本邦活版印刷の最高峰といふのは、たぶん「室町末期から現代まで活字印刷四百年余」の本邦活版印刷の中で金属活字による印刷の最高峰であらうから、それが具体的にどの書物であったのか、非常に興味がある。
そこまで評判を呼んだからには『白井赫太郎の思い出』や『活版印刷技術調査報告書』のリストに含まれてゐる書物だらうとは思ふが、いま己の眼の前にある徳永直『光をかかぐる人々』(昭和18年初版、あとがきにあたる「作者言」で精興社での印刷を希望しそれが叶ったことへの感謝が記されてをり、昭和19年には重版されてゐる)が両書の精興社本リストから洩れてゐたりするので、何が洩れてゐるか、判らない。
庄司浅水の装釘評は、いつどこに書かれたものなのだらう。そしてそこで「本邦活版印刷の最高峰」とまで評された精興社本とは?