日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

クロックスとセメダインスーパーX2

職場の室内履きとして10年使っているクロックスの、なぜか右だけ何度も接着剤がヘタレて剥がれかかってしまう。しかも決まって右後半部。

ここ3年ほど、その都度セメダインスーパーX2(シリコーンゴムにも効くと謳う数少ない接着剤)で補修している。

先週右後半を直したばかりだったところ、さっき初めて右前半が剥落しかかっていることに気づき、古い接着剤を剥がして新しい接着剤を塗布した。

今のところ、左はビクともしない状態。こういう個体差というものもあるのだなぁ。



2025年4月21日追記:結局、右足の後半部が3度目(セルフ補修後2度目)となる剥落を起こしたため、ジェネリック品に履き替えることとした。価格は半分。あと5年保てばよい。

ははははは母はははなりははははは

母が先日逝去した。平均寿命には届かなかったが、天寿を全うしたと言ってよいだろう。弟が実家に同居し、晩年の父・母を支えてくれていた。

アルツハイマー認知症の診断が下りる以前から本人的には自分が本調子ではないという自覚があり何度も検査を受けていたが、知能テスト類を得意としていた部位があまりダメージを受けていなかったためか*1、なかなか認知症患者という診断に至らなかった。パーキンソン病も併発し、筋力の衰えとパーキンソン病による身体操作の困難から、自宅で転んでおおごとになる回数が増えていた。

昨年の正月に腰を痛めてから、週の半分は介護サービス施設に宿泊し自宅に戻るのは週の半分という生活になっていたが、昨秋自宅での転倒により大腿骨頸部骨折となりボルトを入れる手術を受けた。手術自体は成功したが、食が細いこともあってか歩行可能なところまでは快復せず、完全に自宅を離れて介護施設へ入居することとなった。

亡くなる3週間ほど前に誤嚥による呼吸困難から救急搬送され、病院にかけつけた弟は手術前に医師から救命できないかもしれないと告げられた。自分が病院に着いた時には固着した痰を除去する手術自体は成功し酸素マスクと点滴を装着して個室ベッドに横たわっている状態で、余命2~3か月というあたりを覚悟するよう告げられた。一時意識を取り戻したものの、食事を摂れる状態にまでは回復しなかったため、ほとんど眠っている状態で徐々に枯れていき、静かに息を引き取った。

仙波龍英『墓地裏の花屋』〔写真・荒木経惟(1992年、発行:マガジンハウス、印刷:凸版印刷、製本:積信堂)の第Ⅰ章「挽歌」に一首だけ掲げられている歌:

ひらがなはすさまじきかなはははははははははははは母死んだ*2

この歌は凸版明朝に慣れていない目で見て「きかなは」という並びの感触を味わうところが肝だと勝手に思っているが、久しぶりにマガジンハウス版を手にして改めてこの思いを強くした。



枕経をあげに来てもらった住職に母の人となりを話す際、弟と二人で「今風に言うと天然」「よく言えば童心を忘れない」といった言い回しをした。明るくマイペースという本人のキャラクターの根幹は認知症が進んでも損なわれることが少なく、最後の入院前まで施設へ見舞いに訪れた人物が誰であるかということも理解できる状態で逝けたのは、本人にとっても良かっただろうし、我々にとってもありがたいことだった。

通夜に来てくれた従兄(母の全兄の長男)による亡母の印象は、我々の祖母と同様、終始自分のペースでしゃべり続けている人物というものだったらしい。「頭と口の多動」というタイプのADHDだったのではないかと思うが、その点について本人に「困り感」があったかどうか、聞かずに終わってしまった。本人的には「定型」のヒトが自然に裏表を持つ状態で生きていることと折り合いをつけるのが難しいという意味の愚痴を聞かされたことはある。――と書いていて思い出したが、自分も小学校中学年くらいまでは「頭と口の多動」だったようだ。大阪府北摂)で「口から生まれてきた」と評される、おしゃべりが止まらない子供だったのだった。その頃の自分には「困り感」など全く無かったから、母も母母も頓着していなかったのだろう。

仙波龍英『墓地裏の花屋』よりもう一首。第Ⅲ章「人の死、その後」にある歌:

ははははは母はははなりははははははははははははははははははは

自分より長く両親と暮らしを共にした弟は、父はどこに「地雷」が隠れているか最後まで判らなかった、と感じていたのだと母の通夜で聞かされた。自分はこの癇癪持ちという悪癖に今でも悩まされているが、父も自分で制御し難い悪癖に密かに悩んでいただろうか。

ADHD傾向者の特徴と言われる先延ばし癖や、過集中(とセットになってやって来る燃え尽き)、新鮮な刺激への渇望などは母母と母から、癇癪玉は父方の血から受け継いでしまった気性難の部分なのだと、この年齢になって改めて自分のことが知れた。



父は若い頃から、父から見た父と父父が共に循環器系の疾患により60歳で亡くなっていることから、自分も60で死ぬと言っており、還暦を超えてからはオマケの人生を生きているなどと語っていた。本人は還暦を過ぎてから2回の脳梗塞があり、視野の欠損や片耳の難聴を来たしたものの生還し、3回目で亡くなっている。

昨春の健康診断で心電図の異常があり24時間心電図を着けることになってしまったことから、自分も循環器系疾患に要注意である体質を父方から受け継いでしまったのだと改めて理解わからされた。

いま、花粉症由来なのかあまり関係ないのか不明なのだけれど、気管支炎で酷い目に遭っている。幸い発熱や食欲不振などの全身症状は出ていないが、ひと息でしゃべれる量がものすごく短く――ほとんど文節区切りになってしまう――、またセンテンスを完結させるごとに呼吸を整え直す必要がある感じ。いつもなら階段で上がれる5階までの道のりも、2階で息切れしてしまい、根性で5階まで上がってみたら死ぬんじゃないかと思うほどの呼吸困難に見舞われてしまった。

今まで「困り感」が無かったため気がつかなかったが、実は呼吸器系が弱いという母の体質も受け継いでしまっていたのだろうか。やれやれ。



大学4年になったウチの野郎ッコは、いまのところ、自学自習の習慣を身につけているところや、いい意味でマイペースであるところなど、野郎ッコから見た母方や父父らの良い面を受け継いでくれたように見える。どうか良い面だけ隔世遺伝し、悪癖に悩まされるのは己だけであって欲しい。

*1:現在の80代半ばで旧帝のリケジョ――おそらく小中高と「学校始まって以来の才女」扱いだっただろう――。

*2:原文では本文はベタ組みを維持し、凄じ」という語に対する「すさま」というルビのうち「ま」は「じ」の肩にかかっている。

宮澤賢治『春と修羅』初版本(関根書店、1924〔大正13〕)の所在

宮澤賢治春と修羅』初版本(関根書店、1924〔大正13〕)について、ウェブOPAC類で所在確認してみました。紙の本については所在情報確認順に丸数字(①②③……)で通し番号を振り、全ページの閲覧が可能なデジタル画像についてはアルファベット(ⒶⒷⓒ)を振りました。ウェブOPAC類で初版本であるらしく記載されているもののうち幾つかは直接問い合わせてみて「精選名著復刻全集」本であることを確認しています(一部未確認)。

以下で言及の無い図書館・博物館等での所蔵――あるいは所蔵の可能性があるところ――をご存じの方がいらしたら、お教えください。

国立国会図書館サーチ経由:

CiNii Books経由:

岩手県立図書館横断検索経由:

  • 大船渡市立図書館(㉑K/911.5/ミ/〔1000849263〕書庫・禁帯出)

東京都立図書館統合検索経由:

直接検索(主に全国文学館協議会の「資料検索」に基づく):

*1:栃木県内図書館横断検索経由:那須烏山市立図書館 南那須図書館(https://opac.libcloud.jp/nasukarasuyama-lib/item-details?id=140823【2025年4月8日現在のOPAC書誌データは初版本であるかのように記録されているがレファレンスによると実物は日本近代文学館の精選復刻版であるとのこと。】

*2:県立長野図書館横断検索サービス「信州ブックサーチ」経由:安曇野市図書館 豊科図書館(https://lib.city.azumino.nagano.jp/WebOpac/webopac/searchdetail.do?biblioid=166851#v2【2025年4月8日現在のOPAC書誌データは初版本であるかのように記録されているがレファレンスによると実物は日本近代文学館の精選復刻版であるとのこと。】)

*3:富山県内図書館OPAC横断検索経由:南砺市立図書館 福野図書館 (https://library.city.nanto.toyama.jp/opw/OPW/OPWSRCH1.CSP?DB=LIB&MODE=1【2025年4月6日現在のOPAC書誌データは初版本であるかのように記録されているがレファレンスによると実物は日本近代文学館の精選復刻版であるとのこと。】)

*4:2025年3月24日~4月5日時点で、岐阜県内図書館横断検索 https://uf-pub03.ufinity.jp/cassV3/cassrh.do?tenantId=gifu高山市図書館を除外しないと必ずタイムアウトになってしまうことから、高山市図書館のみ別途直接検索 https://opac002.libcloud.jp/takayama-lib/advanced-search、全館該当無し。

*5:岡山県横断検索経由:新見市立図書館(https://lib.city.niimi.okayama.jp/WebOpac/webopac/searchdetail.do?biblioid=470488【2025年3月25日現在のOPAC書誌データは初版本であるかのように記録されているがレファレンスによると実物は日本近代文学館の精選復刻版であるとのこと。】)

*6:熊本県内図書館横断検索経由:天草市立図書館 御所浦図書館(https://search.amakusa-lib.jp/WebOpac/webopac/searchdetail.do?biblioid=838321【2025年4月5日現在のOPAC書誌データは初版本であるかのように記録されているがレファレンスによると実物は日本近代文学館の精選復刻版であるとのこと。】)

宮澤賢治『春と修羅』初版本に使われている活字のうち盛岡の山口活版所から買い足されたものを想像する(後編)――大正活版所(吉田印刷所)の規模感と漢字活字セット――

森荘已池宮沢賢治の肖像』(津軽書房、1974年)に要所要所で出てくる、山口活版所の当時の代表者山口徳治郎氏からの聞き書きのうち、「『注文の多い料理店』二人」の項で取り上げられている話(「昭和15年2月7日の聞き書き」)に曰く(252頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/12462985/1/131、引用文中の「大正出版所」は原文ママ

春と修羅自費出版のとき、宮沢さんは原稿を持ってワタシラほうに来あんしただ。ちょうどにワタシラ方で支店の形で、大正出版所を花巻に出したときで、校正など好都合で、そこで印刷したのでござんしたナ。宮沢さんは、〝親父が株で儲けたので出してもらう〟と言っておりあんした。製本は東京で。花巻にない活字は、ワタシラ方に、ご自分でこられて、お持ちでしたナ。

同書の「『春と修羅』について」の項では「花巻にない活字」について次のように記されています(355頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/12462985/1/182、引用文中の「大正活版」は原文ママ

私がはじめて宮沢賢治の姿を見たのは、花巻の梅野啓吉が指した後ろ姿だった。
梅野啓吉は、川村専一、小屋敷義雄、帷子勝郎ら(岩手日報記者から朝日新聞記者になった人たち)といっしょの文学青年で、のちに同じく朝日新聞記者になった。梅野の父親は花巻吹張で活版屋を営んでいた。今考えると設備投資ができなかったためか、ひとむかし前の変体ガナなども、ときにはまじるような印刷で、活字の書体も古めかしかった。

詩集をつくるので、賢治は印刷を花巻の大正活版で印刷させているということであった。その印刷所は盛岡の山口活版の支店のようなもので、活字は梅野活版より多少は新しかったが、開業早々で、まだ整備していなかったのだろう。校正刷りで、ない活字が相当に「ゲタ」をはいていたらしい。「ゲタをはく」というのは、印刷屋のことばで、活字のないところに〓の型のしるしが刷ってある。活字をふせておしりの方で印刷されているのである。
賢治は校正の途中で、ゲタをはいた活字を書き上げて、盛岡の山口活版にとりにいった。それがしばしばであることを梅野啓吉が話してくれた。さすがに賢治は『春と修羅』を恐るべき梅野活版には頼まなかった。

大正活版所が「開業早々で、まだ整備していなかった」ために「校正刷りで、ない活字が相当に「ゲタ」をはいていた」のでしょうか。

小倉豊文「『春と修羅』初版について」宮沢賢治研究会編『四次元』昭和30年4月号〔第7巻第4号〕、復刻版:国書刊行会宮沢賢治研究 四次元 第4冊』〔昭和57年〕)には、「地元花巻の印刷屋」のことが次のように記されています。

吉田忠太郎という人は花巻の印刷屋さんで花巻駅前通にあり、当時そこはまだ花巻町と合併せられず、花巻川口町と称していた。賢治の家もやはり同町内である。田舎町の印刷屋のことであるから手刷の小さな機械しかなく、殊に詩集などの印刷には馴れてもいなかつたので、賢治の苦心も少なからぬものがあつたらしい。原稿を渡して印刷がはじまると、賢治は殆ど毎日校正やその他の手伝にこの印刷屋に通い、往復の途次には校正刷をもつて関氏の店に立ち寄り、詩を読んで聞かせては批評を求めるのが例であつたという。

少なくとも国会図書館所蔵で全文検索が可能な資料の範囲では、吉田忠太郎(大正活版所または吉田印刷所)が印刷を手掛けたと判る資料は『春と修羅』初版本しかありません*1。「手刷の小さな機械」しか設備していない大正活版所にとって『春と修羅』初版本のような「ページ物」の印刷は極めて例外的な仕事だったと考えてよいでしょう。

書籍や雑誌などの「ページ物」を手掛ける印刷所――大きな紙を相手にして1度に8頁分や16頁分の組版を並べて印刷できるような大型印刷機を設備しているところ――ではなく、「手刷の小さな機械」を用いて名刺やハガキ、チラシ等の「端物」印刷を手掛けることを目的として開業したのであろう大正活版所の規模感を探ってみたいと思います。

大正期に端物印刷を主とする印刷所を開業する際、一般的に、活字を含めどれくらいの資機材を揃えるところからスタートしたのでしょうか。

大正13年活版印刷開業案内』と同14年『最新活版印刷業案内』から想定する「大正活版所(吉田印刷所)」の規模感

明治末に発行された原巷隠『各種営業小資本成功法』には店舗不要で一種の自転車操業が可能な形態としての「名刺印刷業」の立ち上げ方が記されており(39-43頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/904514/1/26)、名刺印刷器械だけを先行して入手しておき、あとは注文の取れ次第に必要な活字を都度買い足していくという手法が紹介されているのですが、「山口活版の支店のようなもの」として端物印刷所のそれなりの設備を整えて開業したであろう大正活版所は、そのような形態ではなかったでしょう。

大正10年代というのは、島谷政一『活版印刷自由自在』https://dl.ndl.go.jp/pid/961210/1/62のように「ページ物」を手がける印刷所を開くにあたって必要となる資機材を示すもののほか、西岡長作『活版印刷開業案内』https://dl.ndl.go.jp/pid/919297/1/11や大阪出版社『最新活版印刷業案内』https://dl.ndl.go.jp/pid/1017790/1/18のように端物を扱う小さな活版印刷所を始める際の予算感を示す入門書も相次いで書かれた時期にあたります。

大阪出版社『最新活版印刷業案内』の「資本金は幾何を要するか」という項には、次のように記されています(10-11頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/1017790/1/18):

大規模の設備をすれば數萬圓乃至數十萬圓を要するが三十圓資金活版印刷開業ということを標榜してゐる材料業者もある位ゐだから名刺印刷專門の如き小規模で開業するとせば十五圓か二十圓位ゐで開業することも出來る
更に進んでハガキや狀袋類、チラシ廣告といふやうなものを印刷せんとすれば二百圓乃至三百圓を要する、何んでも一通り出來る印刷所では三千圓も五千圓も要る、雜誌の印刷でも引受けるには壹萬圓以上の資本をかけて設備せねばならぬ

西岡『活版印刷開業案内』には「名刺印刷業の資本と設備」という項があり(17-22頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/919297/1/11)、ページ物を手がけるような本格的な「活版印刷業の資本と設備」とは区別して紹介されています(下図:同書18-19頁より)。

西岡『活版印刷開業案内』18-19頁「名刺印刷業の資本と設備」例

名刺のみを対象とする最小限の開業セット(「資本金壹百圓」の、三号活字が名前用で六号活字が住所の類)ではなく、「ハガキや狀袋類、チラシ廣告といふやうな」端物全般を扱う印刷所の開業資金として、大阪出版社『最新活版印刷業案内』でも西岡『活版印刷開業案内』でも「資本金貮百圓」または「資本金參百圓」が想定されていると判ります。西岡『活版印刷開業案内』に記されている開業セットのうち活字の内訳を見ると、当時一般に「年賀文字」類として用意されていた初号活字・一号活字や、店舗名や会社名その他チラシの見出しなどに使うのであろう二号活字、挨拶文等用の四号活字、そしてテキスト用の五号活字、名刺の住所等に用いる六号活字までが、端物全般を手掛ける活版印刷所の「資本金貮百圓」での開業セットとして想定されているようです。

「資本金貮百圓」の五号活字「六千個」や「資本金參百圓」の「一万個」というのは、文字の種類が六千(あるいは一万)という話ではありません。「←この文」を活字で印刷する場合、「の」「い」の活字が3個、「資本金百圓六千字個一万とうはあ」の活字が各2個、――というように、1種類の文字を同時に複数用意しておかなければ簡単な文章も綴ることができません。文字の種類としては活字総数の半分以下と見て間違いないでしょう。

西岡『活版印刷開業案内』20-21頁に「販賣所に依つては、名刺用三號活字一組何程と云ふ廣告をして、賣出して居るところもある」と書かれている通りhttps://dl.ndl.go.jp/pid/919297/1/13、例えば秀英舎が大正3年7月の『印刷世界』8巻7号に名刺用活字の広告を出していますhttps://x.com/uakira2/status/1020623421103693824。この秀英舎の「御名刺用活字特價販賣」広告によると、「名刺用明朝三號活字」は1200字種が各4で5200本が1セット、「名刺用明朝六號活字」は2000字種が各5で10000本が1セットとされています。

大阪出版社『最新活版印刷業案内』では、ページ物を手がけるような印刷所が取り揃えるべき漢字の種類について「元來漢字の數は、五千種を揃へて普通の活版印刷所と云はれ、七千揃へて漢詩の如きものが組まれる程度のものであるが、段々漢字の數が制限され、餘りに六ケしい漢字は使用されない傾向が近來著しく、嘗て文部省國語調査會では常用漢字數を一千九百六十三字に制限したので活版印刷業者の設備もいと容易くなつたが尚ほ四千種内外は使用されて居る」と記され(46頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/1017790/1/36)、「活字買入個數比例表」(142-177頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/1017790/1/84)として漢字4250字種(活字個数3万本)に、ひらがな・カタカナ・数字・約物計250字種を加えて約37000本の活字が必要設備として示されています。

「活字買入個數比例表」では各文字の下に標準必要数量が記されており、例えば平仮名の場合(格助詞となる)「は」「に」「を」「の」等が150本、「ゐ」「ゑ」等が15本となっています。

大阪出版社『最新活版印刷業案内』「活字買入個數比例表」より平仮名と片仮名の常備数量

残念ながら先ほどの端物印刷所開業用「資本金貮百圓」の五号活字「六千個」や「資本金參百圓」の「一万個」の内訳は示されていませんが、例えば大正14年には東京の新聞社11社が紙面で用いる漢字を2108字に制限する取り決めを結び、また大阪朝日と大阪毎日が2490字としているように(新聞研究所『日本新聞年鑑』大正14年版12-14頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/976177/1/24、当時、日常の文を綴るには2000種程度の漢字数で足りるものと判断されていました。大阪出版社『最新活版印刷業案内』の「活字買入個數比例表」で常備数量が3本となっている漢字活字は(数え間違いでなければ)2016字ですから、5本以上備えるべき漢字活字の種類は2200余りとなり、やはり2200字内外が常用漢字という扱いになっています。

ここでは、大阪出版社『最新活版印刷業案内』の「活字買入個數比例表」に掲載されている漢字活字4250を一般的なページ物を扱う印刷所の標準セットとし、そのうち常備数量が3本となっている漢字は端物印刷所では標準セットに含まれないレア漢字、更に例えば大正14年に発行された東京築地活版製造所『五號明朝活字總數見本 全』(桑山書体デザイン室KD文庫蔵)に掲げられている9570字のようなフルセットにしか見えないようなものをスーパーレア漢字といった呼び方で、『春と修羅』初版本の活字を見ていきたいと思います。

春と修羅』初版本のレア漢字とスーパーレア漢字

先ほどの繰り返しになりますが、ここでは、大阪出版社『最新活版印刷業案内』の「活字買入個數比例表」と築地活版の大正14年総数見本を参照しつつ、端物印刷所でも常備しているであろう五号活字を2234字の「基本漢字」とし、2016字が「レア漢字」、5320字程度が「スーパーレア漢字」という具合に呼び分けてみます。大正期の一般的な文章を材料にして漢字の使用頻度調査をした場合、上位2200字程度がここでいう「基本漢字」、以下4000位程度までが「レア漢字」、それより稀なものが「スーパーレア漢字」という位置づけになるという見方です。

2013年に、wakufactoryさんによって当時の「青空文庫」全テキストを対象とした漢字使用頻度調査が行われました(「青空文庫の使用漢字を集計してみた」http://wakufactory.jp/densho/font/aozora/。その時点の「青空文庫」登録作品に出現した漢字数が7621字で、当時のOradano明朝フォントでは「青空文庫使用頻度上位2000字」のうち「滝」と「從」を除くグリフが表示できていましたが、2300位を下回るあたりから急速に不足グリフが増えてくる状態でした(「青空文庫使用漢字一覧(Oradanoフォントバージョン)」https://wakufactory.jp/densho/font/Oradano/aozora.html

青空文庫使用頻度上位2800字」あたりまでを表示可能にすることを目指していた2017年夏の「Oradano明朝GSRRフォント〈丁酉アップデート〉」テーマ画像を作成する際に、青空文庫版「春と修羅https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/card1058.htmlを活用しつつ、国会図書館https://dl.ndl.go.jp/pid/979415/1/12を眺めたものでした。

この〈丁酉アップデート〉の時期に「玻璃」「瑠璃」「琥珀」といった、『春と修羅』に見られる玉部の漢字を幾つかまとめて取り入れています。

大阪出版社『最新活版印刷業案内』の「活字買入個數比例表」で玉部の漢字を見ると、「玻」「珀」「琥」「瑠」「璃」は5字とも常備数3本の「レア漢字」であることが判ります。

大阪出版社『最新活版印刷業案内』「活字買入個數比例表」より玉部漢字等の常備数量

同じくこの時期に採録した「諂(諂曲模様)」も「レア漢字」(活字買入個數比例表:https://dl.ndl.go.jp/pid/1017790/1/96ですが、「堊(白堊紀)」は「活字買入個數比例表」(土部:https://dl.ndl.go.jp/pid/1017790/1/86に見えず、総数見本帖でようやく掲載される(東京築地活版製造所『昭和十一年五月 改正五號活字總數見本 全』土部: https://f.hatena.ne.jp/uakira/20140202181921「スーパーレア漢字」扱いになります。

このあたりは皆、初校の時には「〓」で組まれていたものと思われ、また端物を扱う小さな活版印刷所には用意されていないのが当たり前というべき活字と言ってよい漢字だというのが、いまの私の考えです。

いわゆる漢字ではありませんが、「蠕蟲舞手」の「エイト」「ガムマア」「イー」「スイックス」「アルファ」もまたhttps://dl.ndl.go.jp/pid/979415/1/34、端物を扱う小さな活版印刷所には用意されていないのが当たり前というべき活字だったことでしょう。

春と修羅』初版本の組版の乱れ

国会図書館本で『春と修羅』初版の「オホーツク挽歌」を見ると、3行目末尾「瑠璃液だ」のところで四分スペースが浮いてしまった状態で印刷されています(228頁:https://dl.ndl.go.jp/pid/979415/1/120)。「レア漢字」である「瑠璃」の字が無くてゲタで組んでいたものを「瑠璃」に差し替えた際に四分スペースを十分に下げ切っていないことに気づかないまま本番の印刷を迎えてしまったのかな――などと想像してしまいます。

国会図書館本『春と修羅』初版の「オホーツク挽歌」より

一方、国会図書館本『春と修羅』初版の「東岩手火山」には多くの「飛び出し四分スペース跡」があり、149頁の8行目「月-光」9行目「で-す」https://dl.ndl.go.jp/pid/979415/1/80、158頁最終行「の-雲」と159頁6行目「鋼-青」https://dl.ndl.go.jp/pid/979415/1/85、――といった具合に、必ずしも「レア漢字」「スーパーレア漢字」の近傍でだけ「飛び出し四分スペース跡」が見られる訳ではありません。

国会図書館本『春と修羅』初版では、この他に「銅線」144頁5行目「たう-たう」https://dl.ndl.go.jp/pid/979415/1/78、「瀧澤野」145頁8行目「四-角」https://dl.ndl.go.jp/pid/979415/1/78、「青森挽歌」226頁4行目「あ-いつ」https://dl.ndl.go.jp/pid/979415/1/119――といった、「飛び出し四分スペース跡」らしきものが見られます。

また、これは組版が乱れているというわけではありませんが、「小岩井農場」を見ると四号の角ゴシック活字ではカタカナの「パ」が一本しか持ち合わせていなかったと見えて同一ページに「パート五」「パート六」「パート七」が並ぶ国会図書館本95ページでは3か所中2か所で四号明朝の「パ」が使われているところなどhttps://dl.ndl.go.jp/pid/979415/1/53、大正活版所の規模感や印刷手順を考える上でとても貴重なものに感じられます。

*1:書誌情報としてpublisherは採録されますがprinterが採録されることは極めて稀なため、printerを鍵語とした検索は全文検索が可能な範囲に限られ、かつ印刷物・デジタル画像には見えている名称なのにデータとして検索ヒットしない場合があることに注意が必要。

宮澤賢治『春と修羅』初版本に使われている活字のうち盛岡の山口活版所から買い足されたものを想像する(前篇)――大正末の山口活版所の仮名活字はどのようなものだったか――

ここしばらく集中的に調べている地方別の「謎の五号仮名」用例。先日の「岩手における「謎の五号仮名」用例を探してみて仮称「西磐井活字」は盛岡市内丸の山口活版所で明治30年代に使われていた本文活字だったのではないかと驚いている話」にある通り、どうやら仮称「西磐井活字」はモーリオ市の山口活版所で明治30年代に使われていた(明治40年頃を境に使われなくなった)本文活字だったのではないかと思われる観察結果が得られてしまいました。

山口徳治郎の山口活版所といえば、宮澤賢治が『春と修羅』を地元花巻で印刷しつつ、不足の活字を買い求めに盛岡まで足を延ばしていたというところです。ここで改めて、(山口活版所の前身である)大江活版所と山口活版所が明治28年から大正13年――『春と修羅』の発行年――までの期間に印刷した出版物のうち漢字平仮名交りのものを国会図書館デジタルコレクションから拾い出してみましょう。

明治28年から45年まで(再掲)

まずは前回見てきたところから、大江活版所と山口活版所が明治28年から同45年までの期間に印刷した出版物を拾い直してみます。

先日の「岩手における「謎の五号仮名」用例を探してみて仮称「西磐井活字」は盛岡市内丸の山口活版所で明治30年代に使われていた本文活字だったのではないかと驚いている話」の最後に言及した山口徳治郎の「活版引繼營業廣告」は、『図説盛岡四百年 下巻 1』(441頁 https://dl.ndl.go.jp/pid/9572126/1/238)に示されている明治30年3月16日付『巖手公報』紙面によると、次の内容でした。

是迄鍛冶町裏ニテ營業罷在候處左ノ所ニ移轉シ在來ノ活字ニ貮拾壹万ヲ加へ自今一層改良廉價ヲ以テ引繼印刷仕候〓倍𦾔陸續御注文被仰付度奉希候頓首 内丸十番戸大江活版所 山口德次郎

「在來ノ活字」が築地前期五号と印刷局五号を混用していた松岡峴次郎『商工家業』明治28年12月30日印刷、印刷人:盛岡市仁王小路二十八番戸/大江哲郎、印刷所:盛岡市内丸二十一番戸/大江活版所・盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/803169/1/84に現れていて、明治30年に「貮拾壹万ヲ加へ」た姿が一戸隆次郎『南部文学史明治30年10月14日印刷、印刷者:盛岡市穀町五十六番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/大江活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/871952/1/30に見えているのだとすると、追加された活字のうち五号活字の多くが「謎の五号」だったと言えそうです。また、正確なタイミングや背景事情は判りませんが、明治30年代半ば頃からは五号活字の主体が築地後期五号へと切り替わっていたようです。

大正元年から13年まで

宮澤賢治春と修羅』初版本(関根書店、大正131924年)の表紙のテクスチャなどを感じられるウェブ資源というと、岩手県立図書館のデジタルアーカイブイーハトーブ岩手 電子図書館 宮澤賢治」の画像https://www.library.pref.iwate.jp/ihatov/no7/html7/b1/xga_h/xga002.htmlや、初版本を扱った古書店アーカイブ(例えば「カモシカ書店」https://kamoshikabooks.com/318/)になりますが、本文の文字面を一通り追いかけたい場合、国会図書館デジタルコレクションで全文閲覧という話になりますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/979415

春と修羅」(日本近代文学館精選名著復刻全集『春と修羅』より)

春と修羅』初版本の本文を眺めていて不思議に感じたのが、秀英五号を基本としつつ築地後期五号が混用されているという点です。

春と修羅」に見られる仮名の混用例

花巻の大正活版所の基本活字が秀英五号で、不足活字として山口活版所から築地五号が買い足されたというような事情があったのでしょうか。あるいは、明治末に築地後期五号を基本活字としていた山口活版所が、大正13年までの間に築地後期五号から秀英五号へと基本活字の変更を行っていて、仮名の混用は不足活字とは一致しないのでしょうか。

国会図書館デジタルコレクションで、山口活版所が大正期に印刷した漢字平仮名交じりの出版物を拾い出してみましょう。

モーリオ市の山口活版所では、大正7年の勝又太郎『最新案内モリヲカ』での築地後期五号・秀英五号混用を経て、以後秀英五号主体へと切り替えたようです。

春と修羅』初版本に見られる仮名の混用は、『春と修羅』当初組版時点での不足活字とは一致せず、大正活版所の仮名活字セットは大正7年時点の山口活版所の状況を反映したもの、――というくらいに考えておくのが良さそうです。

岩手における「謎の五号仮名」用例を探してみて仮称「西磐井活字」は盛岡市内丸の山口活版所で明治30年代に使われていた本文活字だったのではないかと驚いている話

このところ追っている、「『日本』紙や『国家経済会報告』等に見える謎の五号仮名」の件。「北の大地に渡っていた謎の五号仮名」で見た北海道の事例に続く前回「青森と秋田の「謎五号」用例」で北東北のうち国会図書館デジタルコレクションで出版地が青森と秋田の資料状況を見てきた中で「岩手の状況も拾いつつあるのですが、後日別記事にて」と予告していた今回、岩手県内で発行された出版物から、岩手県内で印刷された平仮名交り文のものを見ていきます。

標記の通り、仮称「西磐井活字」の出所に関わる内容なので、「謎の五号仮名」の有無にかかわらず、「(国会図書館デジタルコレクションで確認できる)岩手県内で印刷された平仮名交り文のもの」全てをリストアップしていきます。

  1. 出版地「岩手」の状況
  2. 出版地「釜石」「宮古」「一関」「大船渡」「水沢」「花巻」の状況
  3. 出版地「盛岡」の状況
  4. 岩手県外で発行された出版物1点を含めて「謎の五号仮名」用例は山口徳治郎が印刷した4点

1.出版地「岩手」の状況

明治21年から45年までの期間に岩手県内で発行された105点の出版物のうち*1岩手県内で刷られた平仮名交り活版印刷物26点の状況です。

  1. 石森教一『因果おだまき』(明治21年9月、印刷者:紫波郡彦部村五十四番戸/石森教山、https://dl.ndl.go.jp/pid/818356/1/12)弘道軒清朝
  2. 高平真藤『語例』(明治21年10月21日印刷、印刷者兼発行者:西磐井郡一関村六百八十一番戸/泉田辰五郎、https://dl.ndl.go.jp/pid/863874/1/9)は、博聞四号と博聞五号を主体とする珍しいパターン
  3. 高橋万之助『豊凶考察方』(明治21年9月21日印刷、印刷者:東和賀郡黒沢尻村町分二百十六番戸/中島寅太郎、https://dl.ndl.go.jp/pid/839828/1/18)は、概ね漢字カタカナ交り文だがところどころに使われる平仮名を見ると博聞五号を主体とし一部に国文五号が混ざっている状態
  4. 佐藤祖琳『釈迦如来常念和讃』(明治22年7月、盛岡市内丸/鶴陽社活版、https://dl.ndl.go.jp/pid/1208494/1/1)弘道軒清朝
  5. 菅野良澄『中尊寺案内誌』(明治24年12月15日再版、印刷者:西磐井郡一関町五百二十五番戸/横山篤三郎、https://dl.ndl.go.jp/pid/819594/1/14)は築地前期五号
  6. 高平真藤『岡舎詠史集』(明治24年1月20日印刷、印刷者:西磐井郡一関町五百二十五番戸/横山篤三郎、印刷所:同所/横山活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/872964/1/32)は築地前期五号
  7. 高平真藤『須川温泉記』(明治25年8月2日印刷、印刷者:西磐井郡一関町四百七十八番戸/遠山直人、印刷所:西磐井郡一関町六百三番戸/磐井活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/763352/1/23)は、少なくとも博聞、築地前期、印刷局の「乱雑混植ジャンブル」――惜しくも本稿で問題にしている謎五号は含まれていない模様――
  8. 本間貞治『学ひのすすめ』(明治26年、印刷者:西磐井郡一関町六百三番戸/泉田鋭治、https://dl.ndl.go.jp/pid/758331/1/14)も博聞、築地前期、印刷局の混用
  9. 高平真藤『ちまたのいりくち』(明治27年1月12日印刷、印刷者:西磐井郡一関町六百七番戸/泉田鋭治、印刷所:同所/磐井活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/863961/1/8)も博聞、築地前期、印刷局の混用
  10. 上田貞政『富国之基』(明治27年1月26日印刷、印刷者:気仙郡高田町二百一番戸/柴田正三郎、https://dl.ndl.go.jp/pid/799527/1/42)は本文四号活字カタカナ交りで序文は築地前期四号に一部和様が混在
  11. 鈴木守三『岩手県鉱泉誌』(明治28年6月18日印刷、印刷人:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:同所/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/763240/1/40)は弘道軒清朝
  12. 川口卯橘『和賀郡地理』(明治35年5月17日印刷、発行兼印刷者:和賀郡黒澤尻町三百四十番地/中島文次郎、印刷所:同所/中島活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/763556/1/17)は本文四号活字で築地後期四号に一部博聞四号が混在
  13. 村上玄英『凶歳志乃起』(明治35年10月15日印刷、印刷者:盛岡市穀町五十六番戸/山口徳次郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/849011/1/29)は、築地後期五号を主体としつつ謎五号をも含む「乱雑混植ジャンブルとなっており、小見出しの四号は築地前期四号と博聞四号と和様が混用されている
  14. 菊池要佐久『方鑑正義』(明治35年2月28日印刷、印刷所:膽澤郡水澤町/水澤活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/760816/1/26)本文は五号カタカナ交りで一部四号活字ひらがな交じりの部分は概ね築地後期四号
  15. 小笠原太郎治『菜園集』(明治38年1月27日印刷、印刷者:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/872362/1/57)は秀英後期五号(いわゆる秀英五号)を主とした混用
  16. 堀内正夫『紫玉』(明治39年3月24日印刷、印刷者:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:同所/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/876319/1/81)は秀英後期五号(いわゆる秀英五号)を主とした混用
  17. 黒沢実信『古稀金婚松廼花集』(明治39年8月27日印刷、印刷者・西磐井郡一関町六百八十一番戸/太田忠藏、印刷所:西磐井郡一関町南新町三番地/横山活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/874168/1/33)は築地前期五号を主とし後期五号も混用
  18. 豊田玉萩『野ばら』(明治40年6月28日印刷、印刷者:盛岡市大工町五番戸/石川房治、印刷所:盛岡市本町百三十四番戸/岩手活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/876438/1/75)は築地後期五号に若干他の混用あり
  19. 小田島孤舟『さるがせ』(明治42年4月15日印刷、印刷者:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:同所/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/875078/1/28)本文秀英四号
  20. 鈴木吉十郎『遠野小誌』(明治43年8月10日印刷、印刷者:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:同所/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/763413/1/63)は築地後期五号に若干他の混用あり
  21. 鈴木吉十郎『山奈宗真略伝』(明治44年4月23日印刷、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/782129/1/13)本文四号、博聞、築地等混用
  22. 堀内半古『半古遺稿』(明治44年2月1日印刷、印刷者:盛岡市呉服町三四/工藤倉吉、印刷所:同所/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/894428/1/29)築地後期五号
  23. 岩城文五郎『驥北の花 : 第三回岩手県馬匹共進会記念』(明治44年4月24日印刷、印刷人:盛岡市肴町九十七番戸/大澤吉彌、https://dl.ndl.go.jp/pid/902142/1/25)築地後期五号に若干他の混用あり
  24. 岩手県九戸郡役所『洪水罹災地に於ける農家の注意』(明治44年11月28日印刷、印刷者:盛岡市紺屋町二十番戸/熊谷春治、印刷所:同所/巖手活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/838314/1/17)築地後期五号
  25. 斎藤荻風『花巻案内温泉めぐり』(大正元年11月5日印刷、印刷人:稗貫郡花巻川口町石川印刷所内/高橋榮次郎、稗貫郡花巻川口町六十五番地/石川印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/947768/1/88)築地後期五号
  26. 伊藤伊助『磐井のしおり』(明治45年5月28日印刷、印刷者:盛岡市内丸十番戸/山口徳次郎、印刷所:同所/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/763231/1/68)築地後期五号

2.出版地「釜石」「宮古」「一関」「大船渡」「水沢」「花巻」の状況

国会図書館デジタルコレクションを素材に明治大正期の出版史や印刷史を調べるために都道府県単位で「出版地」を絞り込みたい場合は念のため都市名検索も試みた方が良いという教訓を得たので、試しに検索してみたものです。「出版年月日:明治21年 月 日~45年 月 日」という条件は共通。

  • 「出版地:釜石」の検索結果は0件
  • 「出版地:宮古」の検索結果は9件で、すべて上記「岩手」の検索結果106件に含まれる(出版地「宮古町 (岩手県)」)。
  • 「出版地:一関」の検索結果は14件で、すべて上記「岩手」の検索結果106件に含まれる(出版地「一関町 (岩手県)」)。
  • 「出版地:大船渡」の検索結果は0件。
  • 「出版地:水沢」の検索結果は7件で、すべて上記「岩手」の検索結果106件に含まれる(出版地「水沢町 (岩手県)」)。
  • 「出版地:花巻」の検索結果は3件で、すべて上記「岩手」の検索結果106件に含まれる(出版地「花巻町 (岩手県)」)。

3.出版地「盛岡」の状況

明治21年から45年までの期間に盛岡で発行された出版物212点のうち*2岩手県内で刷られた平仮名交り活版印刷物51点の状況です。

  1. 高平真藤『平泉志』(明治21年12月13日印刷、南岩手郡仁王村三十一番戸/堀内政業(ママ)、https://dl.ndl.go.jp/pid/763441/1/51)本文弘道軒清朝「初期秀英」風五号
  2. 橘正三『貴婦人会法話』(明治23年7月 日印刷、盛岡市肴町二十番戸/共益活版舎、https://dl.ndl.go.jp/pid/820240/1/11)築地前期五号
  3. 泉館家務『世わたりの栞』(明治23年7月30日印刷、盛岡市肴町二十番戸/共益活版舎、https://dl.ndl.go.jp/pid/792785/1/20)築地前期五号
  4. 一戸豊『あやめの下露』(明治24年6月3に利印刷、印刷人:盛岡市八幡町百七番戸/白井直藏、印刷所:盛岡市肴町/共益活版舎、https://dl.ndl.go.jp/pid/879822/1/6)築地前期五号
  5. 高平真藤『平泉志』(明治24年8月再版、南岩手郡仁王村三十一番戸/堀内政葉(ママ)、https://dl.ndl.go.jp/pid/1184933/1/126)本文弘道軒清朝と五号明朝(築地前期五号、印刷局など)
  6. 日戸勝郎『大東策』(明治24年9月27日印刷、印刷者:盛岡市生姜町三十三番戸/宮川菊治、印刷所:盛岡市肴町/共益活版舎、https://dl.ndl.go.jp/pid/783463/1/33)築地前期五号
  7. 岩手県内務部『稲作試験成績 明治24年』(明治25年5月25日印刷、印刷者:盛岡市肴町共益活版舎/宮川菊治、https://dl.ndl.go.jp/pid/838046/1/31)築地前期五号
  8. 橘正三『内法問答 第4集』(明治26年3月24日印刷、印刷者:盛岡市花屋町八十四番戸/福士喜久治、https://dl.ndl.go.jp/pid/822229/1/9)築地前期四号を主とした混用
  9. 小泉祐山『仏法大海寸管窺天鈔 第1編』(明治26年1月15日印刷、発行兼印刷人:盛岡市新穀町八十五番戸/藤村伊兵衛、発行所:盛岡市新穀町八十五番戸/旋龍舎、https://dl.ndl.go.jp/pid/818432/1/17)築地前期四号を主とした混用(和様四号含む)
  10. 小泉祐山『仏法大海寸管窺天鈔 第3編』(明治26年11月19日印刷、発行兼印刷人:盛岡市新穀町九十一番戸/藤村伊兵衛、発行所:盛岡市新穀町九十一番戸/旋龍舎、https://dl.ndl.go.jp/pid/818434/1/18)築地前期四号を主とした混用
  11. 小泉祐山『仏法大海寸管窺天鈔 第2編』(明治26年7月11日印刷、発行兼印刷人:盛岡市新穀町八十五番戸/藤村伊兵衛、発行所:盛岡市新穀町八十五番戸/旋龍舎、https://dl.ndl.go.jp/pid/818433/1/21)築地前期四号を主とした混用(和様四号含む)
  12. 横井顕行『日用撰字文』(明治27年5月20日印刷、印刷所:盛岡市中ノ橋通り 又玄堂 横井顕行、https://dl.ndl.go.jp/pid/863426/1/17)江川行書
  13. 三十三間堂主人『紫翠文庫論説集』(明治27年9月5日印刷、印刷者:盛岡市本町六十六番戸/中里友次郎、印刷所:盛岡市肴町二十番戸/杜陵活版舎、https://dl.ndl.go.jp/pid/898490/1/51)築地前期五号
  14. 松岡峴次郎『商工家業』(明治28年12月30日印刷、印刷人:盛岡市仁王小路二十八番戸/大江哲郎、印刷所:盛岡市内丸二十一番戸/大江活版所・盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/803169/1/84)築地前期五号と印刷局五号の混用
  15. 志村義玄『杜陵廼片影 : 一名・盛岡手引草』(明治32年9月16日印刷、印刷人:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/763421/1/158)築地前期五号
  16. 志村義玄『岩手県史談』(明治32年10月20日印刷、印刷人:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/763242/1/52)築地前期五号
  17. 痴狂居士『金科玉条』(明治34年10月16日印刷、印刷者:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:盛岡市呉服町三十四番戸/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/818389/1/15)築地前期五号と印刷局五号
  18. 花房直三郎『統計講話筆記』(明治35年12月1日印刷、印刷者:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/805725/1/58)築地後期五号
  19. 岩手県警察部『統計講話筆記』(明治36年5月5日印刷、印刷者:盛岡市穀町五十六番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸九十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/805726/1/48築地後期五号を主体としつつ前期五号や謎五号をも含む「乱雑混植ジャンブル
  20. 花輪万『小学校教員検定試験問題集』(明治37年5月5日印刷、印刷人:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/814739/1/111)築地後期五号
  21. 細越毅夫『虞美人草』(明治38年11月2日印刷、印刷者:山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸九十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/872290/1/136築地後期五号を主体としつつ前期五号や謎五号をも含む「乱雑混植ジャンブル
  22. 高橋常八『白命遺稿』(明治38年11月27日印刷、印刷者:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:盛岡市呉服町三十四番戸/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/872589/1/171)秀英五号を主とした混用
  23. 鵜川弥兵衛『煙草売捌人の心得』(明治38年3月30日印刷、発行兼印刷人:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/803417/1/43)築地後期五号
  24. 菊池道太『中等作文宝典』(明治38年7月20日印刷、発行兼印刷人:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/865050/1/132)築地系四号混用・後期五号
  25. 岩手県農会『農事大会報告 : 戦後の経営凶作前後』(明治39年9月12日印刷、印刷者:盛岡市本町百三十四番戸/岡本菊松、印刷所:盛岡市本町百三十四番戸/岡本活版印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/802490/1/44)大半が築地後期五号で築地前期五号と印刷局五号をわずかに混用
  26. 清沢満之『我信念』(明治39年8月3日印刷、印刷者:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:盛岡/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/758673/1/15)秀英四号
  27. 八木沢紫泉『紫泉遺稿』(明治39年12月10日印刷、印刷者:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:盛岡市呉服町三十四番戸/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/872384/1/87)秀英五号
  28. 橋田正男『岩手県凶歉之研究 明治38年』(明治40年6月13日印刷、印刷者:盛岡市穀町五十六番戸/山口徳治郎、https://dl.ndl.go.jp/pid/838084/1/92)築地後期五号
  29. 三浦正治『岩手の家禽』(明治41年10月15日印刷、印刷者:盛岡市内丸十番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/841589/1/85)築地後期五号
  30. 藤原太郎『明治四十一年鶴駕東巡』(明治41年9月26日印刷、印刷者:盛岡市内丸十番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/780618/1/59)築地後期五号
  31. 池松常記『畜産學講習書 馬編』(明治41年4月5日印刷、印刷人:盛岡市穀町五十六番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/1083988/1/103)築地後期五号
  32. 佐藤義長『東北乃事業』(明治42年11月18日印刷、印刷人:盛岡市肴町二十三番戸/菊地直定、印刷所:盛岡市肴町二十三番戸/盛岡印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/763417/1/27)築地後期五号
  33. 横山雅男『町村是調査綱要』(明治42年12月15日印刷、印刷者:盛岡市内丸十番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/784696/1/27)築地後期五号
  34. 細越夏村『菩提樹の花咲く頃』(明治43年5月25日印刷、印刷人:盛岡市内丸卅一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸卅一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/876466/1/70)築地後期五号を主とし前期五号を混用
  35. 阿部洋『衣類洗濯色染法』(明治43年6月8日印刷、印刷人:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/848570/1/47)築地後期五号を主とし前期五号を混用
  36. 岩手県産馬組合連合会『岩手県産馬誌』(明治43年5月20日印刷、印刷者:盛岡市内丸十番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/993611/1/182)築地後期五号
  37. 細越夏村『迷へる巡礼の詩集』(明治43年1月25日印刷、印刷人:盛岡市内丸卅一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸卅一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/876470/1/70)築地後期五号を主とし前期五号を混用
  38. 細越夏村『星過ぎし後』(明治43年8月25日印刷、印刷人:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:盛岡市呉服町三十四番戸/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/876465/1/40)秀英五号
  39. 田口忠太郎『志戸平温泉の栞』(明治43年10月15日印刷、印刷人:盛岡市紺屋町二十番戸/熊谷春治、印刷所:盛岡市紺屋町二十番戸/岩手活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/763294/1/20)築地後期五号
  40. 細越夏村『褐色の花』(明治43年11月23日印刷、印刷人:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:盛岡市呉服町三十四番戸/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/876275/1/29)秀英五号
  41. 岩手県産馬組合連合会『巌手県産馬誌』(明治43年5月20日印刷、印刷者:盛岡市内丸十番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/988277/1/185)築地後期五号
  42. 猪川浩『岩手県立各学校入学試験問題集 明治43年』(明治44年2月10日印刷、印刷者:盛岡市呉服町三十四番戸/工藤倉吉、印刷所:盛岡市呉服町三十四番戸/富士屋印刷所、https://dl.ndl.go.jp/pid/814163/1/31)秀英五号
  43. 岩手県教育会盛岡市部会『新定画帖取扱法』(明治44年2月26日印刷、発行兼印刷人:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/848570/1/47)築地後期五号を主とし前期五号を混用
  44. 池松常記『畜産学講習書 馬編』(明治40年10月25日印刷、発行兼印刷者:盛岡市穀町五十六番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/988277/1/185)築地後期五号
  45. 岩手県内務部『造林の栞』(明治44年5月15日印刷、印刷者:盛岡市紺屋町廿番戸/熊谷春治、印刷所:盛岡市紺屋町廿番戸/巖手活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/842352/1/22)築地後期五号
  46. 細越夏村『春の楽座』(明治44年2月21日印刷、印刷人:盛岡市内丸乙十番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸乙十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/876452/1/29)築地後期五号
  47. 下村恒弥『盛岡営業案内』(明治44年10月24日印刷、印刷人:盛岡市紺屋町二十番戸/熊谷春治、印刷所:盛岡市紺屋町二十番戸/岩手活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/803784/1/120)築地後期五号
  48. 黒沢嘉三『最近之盛岡』(明治44年6月12日印刷、印刷人:盛岡市紺屋町廿番戸/熊谷春治、印刷所:盛岡市紺屋町廿番戸/巖手活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/763279/1/28)築地後期五号
  49. 花輪万『岩手県立諸学校入学試験問題集 第5編』(明治45年1月25日印刷、発行兼印刷人:盛岡市内丸三十一番戸/堀内政業、印刷所:盛岡市内丸三十一番戸/九皐堂、https://dl.ndl.go.jp/pid/814164/1/77)築地後期五号を主とし前期五号を混用
  50. 橘正三『盛岡近郊案内唱歌』(明治45年2月20日印刷、印刷者:盛岡市八幡町七十四番戸/熊谷友治、印刷所:盛岡市紺屋町二十番戸/巖手活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/902714/1/12)築地後期五号
  51. 岩手県産馬組合連合会『巌手県産馬誌』(明治43年5月20日印刷、印刷者:盛岡市内丸十番戸/山口徳治郎、印刷所:盛岡市内丸十番戸/山口活版所、https://dl.ndl.go.jp/pid/988276/1/130)築地後期五号

4.岩手県外で発行された出版物1点を含めて「謎の五号仮名」用例は山口徳治郎が印刷した4点

以上77点の資料によると、岩手県内では、盛岡の山口徳治郎が明治30年代後半に印刷した資料3点にのみ「『日本』紙や『国家経済会報告』等に見える謎の五号仮名」が使われていたように見受けられます。

ところが。

国会図書館デジタルコレクションで複合語検索が有効になったので、念のため「"印刷" "山口徳治郎"」「"盛岡" "山口徳治郎"」で検索してみたところ、東京京橋区の吉川半七が発行者となっている次の資料が追加で見つかりました。

この『南部文学史』を印刷したのが「大江活版所」の山口徳治郎となっている理由ですが……

山口活版所の後身である山口北州印刷のウェブサイトにある「もりおか印刷由来」https://www.hokushu.com/jp/reading/index.htmlの「五、印刷業の分化と隆盛」によると、明治26年7月に肴町の澁谷活版所を貰い受けた大江哲郎(『巖手日日新聞』の編集人)が同年中に山口徳治郎へ印刷所を譲り、更に山口徳治郎は明治30年3月16日付『巖手公報』へ、(盛岡市)内丸の大江活版所山口徳治郎として「活版引き継ぎ広告」を掲載――という背景事情があったようです。

*1:「出版年月日:明治21年 月 日~45年 月 日」「出版地:岩手」で検索すると106件ヒットしますが(2025年2月1日現在、佐藤伍作『陸軍在郷軍人心得』の出版地が「盛岡」とあるべきところ「岩手」となっているため https://dl.ndl.go.jp/pid/843912/1/98、「出版地:岩手県」での検索結果は105件)、このうち1点は明らかに1955年4月以降に発行されたものの奥付に出版日の記載がないため「19--」となっている資料のため除外し(石杜佳昭『水のこころ』https://dl.ndl.go.jp/pid/1906077/1/51)、発行年が「大正」になっている3点は調査対象に含め母数は105件。

*2:「出版年月日:明治21年 月 日~45年 月 日」「出版地:盛岡」で検索すると213件ヒットしますが(2025年2月1日現在、佐藤伍作『陸軍在郷軍人心得』の出版地が「盛岡」とあるべきところ「岩手」となっているため https://dl.ndl.go.jp/pid/843912/1/98、ここには含まれない)、このうち1点は1955年度末に発行されたと推定されるものの奥付等に出版日の記載がないため「19--」となっている資料のため除外し(『北奥羽調査地域 : 岩手県 1955年版』https://dl.ndl.go.jp/pid/1875994/1/4)、母数は212件。

国会図書館デジタルコレクションを素材に明治大正期の出版史や印刷史を調べるために都道府県単位で「出版地」を絞り込みたい場合は

昭和18年の『日本目録規則https://dl.ndl.go.jp/pid/1122648/1/22や『日本目録規則 1952年版』https://dl.ndl.go.jp/pid/2932039/1/27以来の規則により、出版者の所在が「町村」の場合や同名弁別のために都道府県名等が付記される場合を除いて、「市」名しか記載されないことに注意が必要。

――ということに、「『日本』紙や『国家経済会報告』等に見える謎の五号仮名」の記事で「出版地:山形」から順に「宮城」「福島」「群馬」「栃木」「茨城」「徳島」「愛媛」「高知」「和歌山」「三重」と検索していって、更に「青森と秋田の「謎五号」用例」を探してみた際にうっすらと気がつきつつあったのですが、個人的な興味のために岩手を念入りにやっていく途中で明確に理解しました。

道府県名と道府県庁所在地の都市名が異なる場合(例えば仙台市)や、道府県庁所在地に匹敵する有力都市がある場合(例えば郡山市高崎市)、両方に該当するケース(札幌市、函館市小樽市室蘭市旭川市釧路市)等を地域ごと時代ごとに勘案して「出版地」の検索条件を工夫してみないと大きな見落としが生じてしまいそうですね。

日本目録規則による「出版地」の記載(市名には原則として都道府県名が併記されない)

例えば、「出版年月日:明治20年 月 日~29年 月 日」の期間に群馬県内で発行された(国会図書館デジタルコレクションの館外閲覧可能な資料)を総当たりしたいという場合。「出版日:古い順」リストを見ると:

「出版地:群馬」での検索結果は140件でトップが『近世沼田猫々伝』(明治20年8月刊)
「出版地:前橋」での検索結果は108件でトップが『群馬県事要覧』(明治20年12月刊)
「出版地:高崎」での検索結果は47件でトップが『英国憲法之真相 第1巻』(明治20年7月刊)
――という具合に、日本目録規則から予想される通りの検索結果が出てきます。念のため上記条件の一番古い資料の書誌事項を確認してみると:
『近世沼田猫々伝』の出版地は「沼田町(群馬県)」
群馬県事要覧』の出版地は「[前橋]」
『英国憲法之真相 第1巻』の出版地は「高崎」
――と、日本目録規則が指示している通りに記載されていることが判ります。

調べたい時代(期間)に対象地域に存在する市を知りたい場合

ISHIDA Satosi氏の「市一覧表」という便利なサイト(http://www.tt.rim.or.jp/~ishato/tiri/cities/cities.htm)があることを知りました。痒いところに手が届く感じでとても便利。マジ感謝。 ――と言ってこの覚書を終わらせたいところだったのですが。 同サイトによると東群馬郡前橋町が前橋市になるのが明治251892年4月1日で、群馬郡高崎町が高崎市になるのが明治331900年4月1日。 ――なのに、NDLの書誌では明治20年に発行された出版物の書誌事項で都市名として「前橋」や「高崎」とだけ記載されている。

国会図書館の蔵書に付された「出版地」の都市名情報の揺らぎはどのように考えたらよいのか

  • 1948年10月10日に市制移行した旧栃木県上都賀郡鹿沼町も、「鹿沼町 (栃木県)」と「鹿沼」は市制移行を機に切り替えられている模様。
  • 1948年4月1日に市制移行した旧北海道勇払郡小牧町も、出版点数がだいぶ少ないものの、「苫小牧町(北海道)」と「苫小牧」は市制移行を機に切り替えられている模様。
過去資料の書誌における「出版地」の記載に統一的なルールは無いので思いついたキーワードを一通り試さなければならない、――ということになってしまうのでしょうか。