母が先日逝去した。平均寿命には届かなかったが、天寿を全うしたと言ってよいだろう。弟が実家に同居し、晩年の父・母を支えてくれていた。
アルツハイマー型認知症の診断が下りる以前から本人的には自分が本調子ではないという自覚があり何度も検査を受けていたが、知能テスト類を得意としていた部位があまりダメージを受けていなかったためか*1、なかなか認知症患者という診断に至らなかった。パーキンソン病も併発し、筋力の衰えとパーキンソン病による身体操作の困難から、自宅で転んでおおごとになる回数が増えていた。
昨年の正月に腰を痛めてから、週の半分は介護サービス施設に宿泊し自宅に戻るのは週の半分という生活になっていたが、昨秋自宅での転倒により大腿骨頸部骨折となりボルトを入れる手術を受けた。手術自体は成功したが、食が細いこともあってか歩行可能なところまでは快復せず、完全に自宅を離れて介護施設へ入居することとなった。
亡くなる3週間ほど前に誤嚥による呼吸困難から救急搬送され、病院にかけつけた弟は手術前に医師から救命できないかもしれないと告げられた。自分が病院に着いた時には固着した痰を除去する手術自体は成功し酸素マスクと点滴を装着して個室ベッドに横たわっている状態で、余命2~3か月というあたりを覚悟するよう告げられた。一時意識を取り戻したものの、食事を摂れる状態にまでは回復しなかったため、ほとんど眠っている状態で徐々に枯れていき、静かに息を引き取った。
仙波龍英『墓地裏の花屋』〔写真・荒木経惟〕(1992年、発行:マガジンハウス、印刷:凸版印刷、製本:積信堂)の第Ⅰ章「挽歌」に一首だけ掲げられている歌:
ひらがなは凄じきかなはははははははははははは母死んだ*2
この歌は凸版明朝に慣れていない目で見て「きかなは」という並びの感触を味わうところが肝だと勝手に思っているが、久しぶりにマガジンハウス版を手にして改めてこの思いを強くした。
枕経をあげに来てもらった住職に母の人となりを話す際、弟と二人で「今風に言うと天然」「よく言えば童心を忘れない」といった言い回しをした。明るくマイペースという本人のキャ
ラクターの根幹は
認知症が進んでも損なわれることが少なく、最後の入院前まで施設へ見舞いに訪れた人物が誰であるかということも理解できる状態で逝けたのは、本人にとっても良かっただろうし、我々にとってもありがたいことだった。
通夜に来てくれた従兄(母の全兄の長男)による亡母の印象は、我々の祖母と同様、終始自分のペースでしゃべり続けている人物というものだったらしい。「頭と口の多動」というタイプのADHDだったのではないかと思うが、その点について本人に「困り感」があったかどうか、聞かずに終わってしまった。本人的には「定型」のヒトが自然に裏表を持つ状態で生きていることと折り合いをつけるのが難しいという意味の愚痴を聞かされたことはある。――と書いていて思い出したが、自分も小学校中学年くらいまでは「頭と口の多動」だったようだ。大阪府(北摂)で「口から生まれてきた」と評される、おしゃべりが止まらない子供だったのだった。その頃の自分には「困り感」など全く無かったから、母も母母も頓着していなかったのだろう。
仙波龍英『墓地裏の花屋』よりもう一首。第Ⅲ章「人の死、その後」にある歌:
ははははは母はははなりははははははははははははははははははは
自分より長く両親と暮らしを共にした弟は、父はどこに「地雷」が隠れているか最後まで判らなかった、と感じていたのだと母の通夜で聞かされた。自分はこの癇癪持ちという悪癖に今でも悩まされているが、父も自分で制御し難い悪癖に密かに悩んでいただろうか。
ADHD傾向者の特徴と言われる先延ばし癖や、過集中(とセットになってやって来る燃え尽き)、新鮮な刺激への渇望などは母母と母から、癇癪玉は父方の血から受け継いでしまった気性難の部分なのだと、この年齢になって改めて自分のことが知れた。
父は若い頃から、父から見た父と父父が共に循環器系の疾患により60歳で亡くなっていることから、自分も60で死ぬと言っており、還暦を超えてからはオマケの人生を生きているなどと語っていた。本人は還暦を過ぎてから2回の
脳梗塞があり、視野の欠損や片耳の難聴を来たしたものの生還し、3回目で亡くなっている。
昨春の健康診断で心電図の異常があり24時間心電図を着けることになってしまったことから、自分も循環器系疾患に要注意である体質を父方から受け継いでしまったのだと改めて理解らされた。
いま、花粉症由来なのかあまり関係ないのか不明なのだけれど、気管支炎で酷い目に遭っている。幸い発熱や食欲不振などの全身症状は出ていないが、ひと息でしゃべれる量がものすごく短く――ほとんど文節区切りになってしまう――、またセンテンスを完結させるごとに呼吸を整え直す必要がある感じ。いつもなら階段で上がれる5階までの道のりも、2階で息切れしてしまい、根性で5階まで上がってみたら死ぬんじゃないかと思うほどの呼吸困難に見舞われてしまった。
今まで「困り感」が無かったため気がつかなかったが、実は呼吸器系が弱いという母の体質も受け継いでしまっていたのだろうか。やれやれ。
大学4年になったウチの野郎ッコは、いまのところ、自学自習の習慣を身につけているところや、いい意味でマイペースであるところなど、野郎ッコから見た母方や父父らの良い面を受け継いでくれたように見える。どうか良い面だけ隔世遺伝し、悪癖に悩まされるのは己だけであって欲しい。