主に近代文学を中心に、「入稿原稿」に記された「組方指定」または「組版指定」の歴史を眺めてみるシリーズ。…というような感じの連続ツイートを、ツイッターの新機能「モーメント」で、幾つかまとめてみています。
ここ数年で、ウェブ資源として閲覧可能な「入稿原稿」が、こんなにも大量に出現していたとは驚きです。
現時点で「組方指定」と呼んでいるのは、藤森善貢『出版編集技術』シリーズの呼び方に倣っているものなのですが、Googleブックスでの検索結果は、文学研究の用語としては「組版指定」の方がポピュラーであるような感触が示されています。そうした用語の違いも含めて、概念や指定の書き方の歴史そのものを観察してみたいと思っています。
観察は、まだまだ始まったばかり。
- 主に早稲田古典籍DBでウェブ資源化された「入稿原稿」と、そこに見られる「組方指定」「文選工署名」「媒体スタンプ」等のこと(早稲田大学古典籍総合データベース(早稲田古典籍DB)で公開されている、実際に印刷に使われた原稿(入稿原稿)であると考えられる資料群の存在を @NIJL_collectors さんにお教えいただき、概念整理を兼ねて色々とメモ。)
- 横浜近代文学館Web版夏目漱石デジタル文学館でウェブ資源化された「入稿原稿」に見られる「組方指定」「文選工署名」等のこと(早稲田古典籍DBで見られた「入稿原稿」に関するメモに続く、Web版夏目漱石デジタル文学館の「入稿原稿」に関するメモ。秀英舎と築地活版の文選工署名入り原稿が含まれていた。また誰の手によるものか、『極北日本』序文の細かな組体裁指定が興味深い。)
- 近代書誌・近代画像データベースで公開されている、主に堺市所蔵・鞍馬寺所蔵、与謝野晶子自筆資料等の「組方指定」等について(近代書誌・近代画像データベースの登録は、かなり細かく補記されているところが好ましいと思っているので、できれば「組方指定」に関する書き込みも拾われていて欲しい。また、単に「あとがき」とされている鞍馬寺所蔵資料は、【「岩波文庫『与謝野晶子歌集』あとがき」入稿原稿】または【あとがき(岩波文庫『与謝野晶子歌集』あとがき)】のようにして良いと思われる。)
- 東京芸術大学の旧総合芸術アーカイブセンターウェブサイトで公開されている山田耕筰『若き日の狂詩曲』入稿原稿について(東京芸術大学の旧総合芸術アーカイブセンターウェブサイトで、山田耕筰『若き日の狂詩曲』〈(大日本雄辯会講談社、昭和26(1951)年初版)の最終原稿〉全509枚!が2017年2月に公開されていたことに気づきました。同書編集者の手元に保管されていたものが2008年に寄贈されていた由。原稿を本の形にする際に編集者から印刷所に伝えられる「組方要項」あるいは「指定指示書」は、残念ながら、保管されたり寄贈されたりしなかったのでしょうか。)
- 文藝春秋の入稿原稿(石原慎太郎「太陽の季節」・遠藤周作「一盃綺言」)の組方指定に記される、凸版印刷「新8ポ」明朝活字指定について(文藝春秋に掲載された作品の入稿原稿は、どこにどれくらい残っているのでしょう。また、文芸春秋社×凸版印刷という組み合わせの主に本文活字指定に使われる「新8P」という符牒は、いつ頃からいつ頃まで使われているのでしょう。文春は、講談社のように自社用の活字・組見本を作っていたりしたでしょうか。色々と判らないことだらけ。)
- 日本語マイクロ・タイポグラフィの実践者としての編集者と組版者の働きを「入稿原稿」の「組方指定」と刊本から読み取る(区切り符号が関わる行組版の難しさと、先人たちはどのように格闘してきたのか。刊本だけでなく、実体化された刊本の陰にある「入稿原稿」に記された「組方指定」の形態・内容を歴史的に追いかけてみることで、色々なことが解ってくるのではないか。――白井敬尚『組版造形』展と「澁澤龍彦ドラコニアの地平」展を立て続けに眺め、そんなことを考えました。)
- 京都学派アーカイブで公開されている西田幾多郎史料(入稿原稿に記された組方指示)に関する「日本語マイクロ・タイポグラフィの精神史」覚書(大正から昭和戦前期という、日本語の活字組版が最も充実していく過程において(主に岩波書店で)数多くの著作を著した西田幾多郎の様々な入稿原稿が、京都学派アーカイブで公開されている。これを「日本語マイクロ・タイポグラフィの精神史」視点で眺めはじめた際の覚書。)
以下2点ほど1/7追記:
- 弘南堂書店から出ている「自筆原稿」類の「自筆」じゃない部分の見どころ覚書(「正八ポ」とは? 初出誌入稿原稿への追加の朱書きは単行本作業用で、その際新カナから旧仮名に戻されたか? アサヒグラフの写植用文字原稿の【」】朱書きは一般的なものなのか?)
- #ndldigital コレクションで公開されている大正10年から昭和20年までの入稿原稿類 (組方指定の朱筆が達筆で、色々と読めないところを助けていただきました。まだ疑問が幾つか残っています。土井晩翠のグチャグチャな原稿を拾わなきゃいけなかった文選工は外れ籤を引いたことになるのか割増料金が貰えてラッキーだったりしたのか。)
入稿原稿に直接関係する話題ではないのですが、全く無関係な訳ではないものも、付記しておきます。
- 昭和戦前期『改造』の割り切れない行長について(括弧類や句読点などの区切り符号が「全角」ではなく「半角」(活字の用語で言う「二分」)に作られていることと、区切り符号がほとんど無いような文はそうそう書かれないという性質、これを利用し、昭和戦前期の『改造』では限られた誌面に可能な限り多くの文章を詰め込むため、1行「30.5」字詰めや「31.5」字詰めという文字組が行われていた。)
- 大正末から敗戦頃までの秀英舎電胎8ポと六号明朝活字(大正10年頃に登場する秀英舎の8ポイント活字と六号明朝活字について。『秀英体研究』刊行当時には知られていなかった新情報を含む。)
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