日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

二人の内田嘉一(千葉の晋齋/三河の不賢)

幕末から明治にかけて活躍した同姓同名の書家「内田嘉一」について、もっと様々なことを調べてからCiNiiに載るような媒体に書き残そうと思っていたのだけれど、「中の人」に必要な情報が伝わればNDL書誌訂正という当座の用が足せるだろうと考え、現段階で、はてダにメモを残すことにした。2008年に下記不具合に気づいて以来まともに調査を進めることが出来ていないので、このままお蔵入りにしてしまうよりは、かんたんなメモでも公開してしまった方がいいだろう。



明治期に活躍した人物に、福沢諭吉編『啓蒙手習の文』の版下を手がけた内田晋齋こと内田嘉一と、三河(岡崎)に建つ多くの碑を揮毫しまた『開化生徒往来』など手習いの版下も書いた内田不賢こと内田嘉一の、同姓同名の二人の書家がいた。どちらも明治期の手習い教科書を担うこととなった「菱湖風」の書家である。
千葉県平民であり文部少助教である内田嘉一の記名と落款の例は、例えば田中芳男訳『泰西訓蒙図解・上』で見ることができる。
同書の落款は、上が黒地に白抜きの「藤原(?)嘉一」で、下が「晋齋」の二本立てになっている。
同じ文部省版の『習字臨本』を見ると、末尾に「内田嘉一書」と記した後にこの『泰西訓蒙図解・上』で使われたものと同じ「晋齋」の落款が使われており、また「不賢」の名はどこにも記されていないのだが、少なくとも2008年から現在に至るまでNDL書誌では著者が内田不賢の扱いになっている。訂正されたい。

『習字臨本』のように落款があれば「内田嘉一書」としか書かれていなくとも「晋齋」なのか「不賢」なのか判別できるだろうし、また「千葉県平民」等と書かれていたり「かなのくわい」関連なら「晋齋」で、「三河」「岡崎」なら「不賢」だと判断できるので、NDL書誌が単に「内田嘉一」としている著者項目の多くは「内田嘉一(晋齋)」や「内田嘉一(不賢)」に、正しく仕分けすることができるだろう。
残念ながら、そうした手がかりが簡単には見当たらない「内田嘉一」もある。
例えば越後長岡松風堂版の『小学作文的例』である。晋齋は主に文部省版で、不賢は主に(三河)環翠堂版で、類書に関わっている。
書誌作成時点で判別不能な「内田嘉一」については、「内田晋齋」でもあり得るし「内田不賢」でもあり得る、そうした非決定的なポインタを用意しておくことが利用者にとっても便利ではないかと思うが、実際のところ、どうなのだろう。