日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

徳冨愛子と久曾神昇の生没年登録完了

11月3日に個人的ブームとなっていた、日比野浩信編『歌びと達の競演 諸家集・歌合断簡集成』(青簡舎)の帯にこんなことが書いてあった。

古筆学会の泰斗久曾神昇先生の蔵書「志香須賀文庫」所蔵の古筆資料の中から、諸家集と歌合の古筆切を精選し、的確な解題を添え、写真版で公開

実際の文言は「解題」じゃなくて「改題」になってしまっていたのだけれども、本題はそこじゃなく。



国会図書館の著者名典拠データに久曾神昇の没年が記載されていなかったので、ウェブのフォームから報告し、一週間ほど後、収集書誌部国内資料課の方から、没年を追記した旨の返信をいただいた。
こちらからは、久曾神昇の逝去を伝える記事のうち、ネットで辿れるもののURIをお知らせしたのだが、館内でチェックできる朝日新聞の記事を没年の典拠資料として採用されたようだ。
http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00039145
その返信に、「なお、当館の著者名典拠データでは通常没年は書誌作成対象資料から判明した場合に記録しておりますので、今回お知らせいただいた以外にも没年が入力されていないデータがあると思いますが、御承知おきください。」と書かれていた。
もちろん、大隈重信編『開国五十年史』のように、ちょっと見ただけで六人分の典拠データ不備が見つかるような状況であることは、こちらも十分理解している。
今回自分の勉強になったのは、考えてみれば当たり前のことなのだが、新しい情報を追記するのにあたっても「典拠資料を明示できること」が必要だ、ということだった。より詳しく言うと、先日の小山潭水の生没年については「家族回答」であったように、著作権継承者からのヒアリングであれば「家族回答」を典拠とできるが、そうでない場合は「(ある程度客観的な形で)書かれた典拠資料」が必要だ、ということになるのだろう。

半年ほど前にWebAuthのアンケートが実施されていた際に、徳冨愛子の没年記載が無い旨をアンケートで知らせていたのだが、典拠情報が更新される気配が無かったのは、十分に信用できる没年情報では無かったという事情なのだろう。
そのようなわけで、再度徳冨愛子の人物情報が『美術人名辞典』や墓誌などよりも丁寧に書かれている『20世紀日本人名事典』のことをお知らせしたところ、典拠情報に即座に反映された。
http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00413000
国会図書館収集書誌部収集・書誌調整課書誌サービス係の方からの上記連絡に引き続き、国会図書館関西館電子図書館著作権処理係の方からも『小説富士』第三巻、第四巻著作権に関する連絡をいただいた。
第三巻は徳富愛子の没年確認により諸作権保護期間満了で、来年3月からインターネット公開になる予定だが、第四巻については《100頁に「佛人ポール・リシャール」の発言が掲載されているのですが、内容からRichard, Paul(1874-1967)http://viaf.org/viaf/57411676/#Richard,_Paul,_1874と思われ、著作権保護期間中であると判断しております。》とのことだった。
現物に当たった際に自分が見落としていたようで、ここは著作権管理の仕事の細やかさに対して素直に敬意を払いたい。

この「佛人ポール・リシャール」のように、デジタル化資料の書誌からは当該資料の著作権者と判断されている旨が判らないようなものについて、国会図書館内では、何らかの形でデータベース化されていたりするのだろうか。それを書誌に盛り込んで可視化することは出来ないのだろうか。
また、今回徳冨愛子の没年情報が典拠情報に盛り込まれることで『小説富士』第三巻のインターネット公開が果たされる見込みとなったのだが、同じような形で非公開となっている資料は、どのくらいあるだろう。刈り取ったメタデータから「明治期に発行された資料なのにインターネット公開になっていない」というようなものを中心に洗い直してみれば、およその状況が見えてくるだろうか。