日本語練習虫

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秀英舎の増資と築地活版の決算

一年ぶりに横浜市中央図書館に出かけ、柏書房の『中外商業新報』復刻版(asin:4760122060)を眺めた。
商業登記公告彙報に江川活版製造所の支店登記情報を求めてのことなのだが、結論から言うと、全く手がかり無し。
前回は第29巻、明治26年10月11日付の第28回合資会社川崎銀行までを見ていたので、その続きからだったのだが、見ると10月12日付の「第28回」東京米穀合資会社になる。そもそも登記番号の情報も記載されなくなるし、このように連載第何回目かという標識も何度も誤記があるため、完全に漏れなく拾うことが出来たかどうかは疑わしい。
そんな調子で5時間ほどを費やし、第33巻、明治27年6月末までをチェックした。
ひょっとすると明治27年4月末の段階で商業登記の公告の扱いが何か変わっていたのだろうか、明治27年5月1日付で「第108回」として掲載された北海道セメント株式会社東京支店の掲載以後、6月末までの間、彙報を見つけることが出来なかった。
代わりに、というわけでもないのだが、秀英舎の登記彙報と築地活版の決算公告に興味深いものがあったので、備忘のため記しておく。



明治27年1月20日付中外商業新報(復刻版31巻131頁)に掲載された秀英舎の彙報は、明治40年の《沿革史》に見られる《新商法(現行の商法)に合わせて株式会社に改組》した際の登記らしく、26年12月28日付で定款認可と記されている。明治40年版沿革史や大正11年版《沿革史》明治21年に(有限責任の)会社を組織した際に資本金を10万円に増資したと記しているのだが、中外の彙報に「旧1200株は既に払込済、新株800株1株に付金32円払込済」と態々記載があるのは、株式会社化の明治26年になってようやく実際の増資が完了したという話なのではあるまいか。
『アイデア358号に資料を忍び込ませたように、この頃は「秀英体」にとって画期となる時期にあたる。
秀英舎名義の印刷物において、明治27年から四号活字と三号活字がいわゆる秀英体の形態にガラリと姿を変えているのだ(発行日の記載がないため「推定」明治27年と言われてきた活字見本帖が存在するのだが、実用例を見るとこの年から急速に「秀英体」化していく様子が判り、当該見本帖が27年のものだと裏打ちできる)。
日清戦争実記』によって印刷需要が爆発的に増大するのは明治27年後半のことになる。明治21年から26年にかけての(おそらく26年に完了したものと思われる)増資が、印刷業者としての側面ではなくType Founderとしての「秀英体の製品化・商品化」を支えるものだと想像し、横浜でひとり胸を熱くしてしまった。

次は東京築地活版製造所による明治27年4月29日付株主通常総会の決議を経て5月12日付中外一面に公告された決算より。損得勘定の収入欄が次のようになっている。
製作品売上利潤9,928,524
商品売上利潤1,004,095
活版石版事業益金16,864,698
活版鋳込替手数料308,924
雑収816,416
合計28,922,657
印刷事業者としての売り上げが「活版石版事業益金」で、これが収入全体の58%を占めている。悩ましいのが「製作品」と「商品」が何を指しているのかという点で、どちらかが活字関連、どちらかが印刷機械関連と思われる。あるいは、活字関連と印刷機関連が両方とも「製作品」に含まれ、書籍などが「商品」になるのだろうか(秀英舎と違って自らが版元になった印刷物はほとんど見られない筈だが)。
興味深く感じたのが「活版鋳込替手数料」の項目。明治27年当時だと一般の印刷所は何度も使って摩耗した活字を何れかの鋳造所あてに地金として持参し新しい活字へと(有料で)鋳込み替えてもらっていた訳だが――国文社などが「安価で鋳込み替えますよ」という旨の新聞広告を時折出していた――、その手数料収入が「雑収」ではなく独立した項目を立てるに値するものだったわけだ。仮に「商品」=新規の活字販売だとすると、Type Founderとしての収益の三割ほどを、この「鋳込替」によって得ている。

日本橋区京橋区の登記情報は現在の中央区を管轄する東京法務局に引き継がれた訳だから、江川活版の件や秀英舎の件については、念のため法務局に出かけて確認してみるべきだろうか。