日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

丸善『学鐙』の行頭と行末を見る

先日から、活版時代の行頭禁則を確認してみようと思っていたので、丸善『学鐙』の行頭・行末を眺めてみた。
昭和十七年十二月頃だと、外来音の小書き拗促音と長音符が行頭許容になっている。

戦後も同様で、ここには昭和二十六年二月、二十七年三月、三十年二月の例を掲げておくけれど、外来音の拗促音と長音符が行頭許容。実は日本語の拗促音は小書きされていない。



日本語の拗促音が小書きされるようになるのは、実に昭和三十七年七月号からだ。

以前己はこのブログを「訛った旧仮名遣ひ」の口語文で綴ってみてたんだども、その際も促音は小書きしてゐだった。実はこの時期白州正子が促音小書きを受け入れてゐただけでなく「一しょ」なんていう表記もアリだったと知って驚いた己だ。
以後、日本語・外来語、共に小書き拗促音と長音符が行頭許容である。例として昭和三十八年二月、四十一年八月、五十九年二月を挙げる。



昭和六十三年の一月号からは活字が一回り大きくなっている。二段組の一段あたり、三十字詰から二十七字詰に変わり、行数が二十三行から二十四行へと変わったことにより、どう考えても読みにくくなっている。小書き拗促音と長音符の行頭許容は変わらず。
同年二月と八月を例示。


平成三年六月号から、組版の手法が変わっている。行末の句読点が「ぶらさげ有り」へと変更された。例は平成四年一月。

そして平成十五年五月号からは活字書体も変更され、無残な誌面となった。

……
丸善『学鐙』の場合、二段組・三段組で誌面が構成され、しかも外来語を多用するという性質から、拗促音と長音符の行頭許容が実際的な対処であったかとも思われる。