日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

近デジ調査九年目

六年前に粗い調査をした明治二十年代の近デジ資料について、昨秋から再調査を始めている。当面はNDC9類をおさらいし、続けて4類をやろうと思っている。
残念ながら旧年中に明治二十七年を終えることができず本日までかかってしまったんだども、明治二十二〜二十七年のNDC9類2546件を眺めたペースから考えると、明治期92645件については十年くらいで殆ど眺めることができるだろう。
一昨年末にギックリ腰をやってしまった際の直前の状態に似た感触を覚えて昨年末は整骨院仙骨まわりを調整してもらったんだども、まぁ、明治期の通覧ってのは、目、肩、腰がもてばという仮定の話。一日25件を十年休まずというのは、絶対にできないっていう数字ではないけれど、気力と体力を高いレベルで維持する必要があり、なかなか難しい。
ともあれ、六年前の調査で予想していた「秀英舎は四号と三号を(ほぼ)同時に明治二十七年に新型化している」という事については、この六年間での近デジ追加公開によって調査件数が倍以上に増えた今回の調べで、ほぼ「事実」と見てよい手ごたえを得た。『聚珍録』第三篇五八六頁の記述および関連図版(旧板倉文庫から資料が返還される前に金沢の印刷史家園部昌良氏がコピー資料として印刷図書館に寄贈されていた明治二十七年の『活字類見本 未完成』=「図四ー二百六十五」と、第一次『印刷雑誌』第四巻三号の製文堂の広告=図四ー二百六十四)は、少しばかり、追記されねばならない。
また、これは二十年代のNDC4類再調査が進んでからの話になる(はずである)んだども、鈴木広光「開化の軋み――揺籃期の日本語タイポグラフィ――」(岩波書店『文学』第十二巻三号)中の、関西での「和様仮名」の扱いに関して、過去の調査の印象から己が違和感を持っていることの内実も、鈴木先生の説を補強する方向になるか、己が感じている違和感が裏付けられる方向になるか、いずれにせよスッキリさせておこうと思っている。ひょっとすると、明治二十年代のNDC4類を調べる方向ではなく、「出版地=大阪」での絞り込みになるかもしれない。
実は昨年の目標はそのまま繰越になってしまっているんだども、今年は以上も併せて。