日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

国文社の楷書活字

国文社が刷った五号平仮名や四号平仮名が見える資料を、古い近デジ調査ノートから、拾い出してみる。

  • 明治二十五年に金港堂から出た『あらつくし』(本文が五号で見出しに四号平仮名あり)
  • 明治二十六年に博文館から出た『十二時会稽曽我』(本文が五号で序文が四号)
  • 明治二十七年に博文館から出た『人類学』(本文が五号で目次や割り注に六号が使われている)
  • 明治二十八年に春陽堂から出た『五調子』(本文が五号で序が四号)
  • 明治二十八年に春陽堂から出た『惟任日向守』(本文四号)
  • 明治二十八年に高等学術研究会から出た『心理学』(本文が五号で序や見出しが四号)
  • 明治二十八年に大蔵書店から出た『御代のほまれ』(序と本文が四号で一部に五号や二号あり)
  • 明治二十八年に博文館から出た『支那処分案』(序文と本文が四号で末尾の広告欄に五号と六号あり)

こうした多くの観察を経ることで、例えば明治二十二年に吉岡書籍店から出た「新著百種」シリーズの第一号『二人比丘尼色懺悔』が国文社の印刷であるという奥付の事実だけでなく、その仮名書体が築地体前期五号仮名のバリエーションの一つである国文社の五号仮名であることに気づくし、第二号『掘出し物』の奥付を見ると印刷人は田口高朗となっているが本文の楷書活字は第一号と同じ国文社のものだろうと推定できる(残念ながら第三号以下は明朝活字)。
矢作勝美『明朝活字』は『二人比丘尼色懺悔』を深く追求することなく弘道軒清朝体が使われた書籍の一つに数えているが、我々は明治の楷書活字について、もう少しだけ慎重に調査を進めた方が良さそうだ。