日本語練習虫

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博聞社の自社活字販売広告

ぺりかん社から出ている、東京大学法学部明治新聞雑誌文庫編『朝野新聞』縮刷版の第一巻(明治七年)から十数巻をがっつり眺め、博聞社が自社活字を販売していた証拠の広告を二つ見つけた。
ひとつめは、明治十年四月二十六日(第一〇九四号)から数日間掲載された「一和漢洋活字并花形類及紙型版(ステレヲタイプ)」と題されたもの。
http://twitpic.com/7bavzc
本文に「右兼て鋳造の所今般器械整備に付低価にて一般へ発売す且つ活版印刷并製本等是又低価にて多少とも引受くべし」とある。
牧治三郎『京橋の印刷史』(昭和四十七年、東京都印刷工業組合京橋支部五十周年記念事業委員会)には、明治「五年五月、芝愛宕下町三丁目一番地へ移転してから人民必携印刷発行の傍ら各府県の地券状の印刷を引受けて盛大となり、同十年十月、再び京橋区に戻り銀座四丁目十六番地(現在の東洋信託銀行の銀座支店のところ)へ本社を移したときには、法律書その他の出版事業の傍ら洋書の輸入、活字及び印刷インキの販売もやっていた。」(二一頁)とあるんだども、この広告は移転前の「東京愛宕下町三丁目」の博聞本社および「築地二丁目」の同活版所名義で出されている。
さて、ふたつめは、明治十四年九月二十九日(第二四一〇号)に掲載されたもので、「東京銀座四丁目」の博聞本社名義。
http://twitpic.com/7bcgrw
「弊社営業向諸彦の愛顧を以て遂日昌盛に相成随て活版工場狭隘に付此度活字鋳造所を本社裏手鎗屋町十二番地に移し器械職工等を相増し一層品位を精良にし廉価に発售仕候且又従来営む所の法律書類は勿論其他各種の書籍活版木版石版銅版印刷製本及び諸帳簿調整其他印刷に関する事業○印刷諸器械及び洋紙墨汁等製造発售又は売捌仕候間依旧御愛顧の程奉願候也」というからやはり、活字の売れ行きも良かったのだろう。
仮称博聞四号平仮名の件で、博聞社による活字販売の『京橋の印刷史』に依らない一次資料がようやく見つかって、とても嬉しい。