日本語練習虫

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溝口靖夫『東洋文化史上の基督教』W.H.Medhurst『China』

徳永直が『光をかかぐる人々』後篇にあたる『世界文化』連載の「第十五回」「第十六回」で言及してゐる、溝口靖夫『東洋文化史上の基督教』(昭和十六年、理想社)ば借覧。徳永は書名を「東洋文化史上における基督教」と記してゐるんだども、「における」ぢゃなく「の」が正しい。
ちなみに「第十六回」で「一八二二年六月二日、ミルンの歿後、その學院は、他の後繼者により、うけつがれたが、一八四二年、香港に移轉した。」といふ記述を徳永は同書三三五頁のこととしてゐるが、実際は三五五頁。
また、「第十五回」にかういふ箇所があるんだども――

東洋文化史上における基督教」(三六二頁)で、溝口靖夫氏は、前にのべたメドハーストが(Ibid, P.366)じぶんの、當時の經驗を、追懷した文章を根據にして、つぎのようにのべているところがある。――第五の困難は、鴉片問題と宣教師の關係であつた。メドハーストが、廣東についた一八三五年は、鴉片戰爭の直前であり、支那英國のあいだに、險惡な空氣がみなぎつていた。このときに當つて、宣教師たちは、きわめて困難なる立場におかれた。宣教師たちは、しばしば鴉片をつんだ船に乘つてきた。しかも、メドハーストらは、切符は買つているが、積荷について容嘴する權利はなかつた。‥‥宣教師は、英國人と支那人との間にたつて、しばしば通譯の勞をとらねばならなかつたが、こんなとき支那人は鴉片貿易は、正義にかなえるものなりや否や? をただすのであつた。‥‥故に、當時宣教師たちのこいねがつたのは、一艘の傳道用船をうることであつた。これにより鴉片の罪惡からまぬがるることであつた。――

――ここに徳永が引用した内容は『東洋文化史上の基督教』三六〇頁さ、僅かに字句の違ひがあるもののその通り記されてゐて、引用文中さ唐突に「Ibid, P.366」とあるのは、「一艘の傳道用船をうること」に関してメドハーストの考へを記した『東洋…』三六一頁の記述につけられた注釈文の内容だ。『東洋…』三六一頁の注三一の内容が「Ibid., p.366」といふもので、つまり注五に記された「Medhurst, China, pp.253-254」といふ「前掲書三六六頁」を参照せよといふこと。
溝口靖夫は珍しくこのメドハーストの『China』についてだけ刊記を漏らしてゐるんだども、これは倫敦で一八三八年に出版されたもの。今ではGoogleブック検索でミシガン大図書館所蔵本*1カタルーニャ図書館所蔵本*2を見ることができる。
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ツイッターの今日のタイムラインで中山茂氏のブログ記事「183 09ホームレス・スカラー:デジタル・ヒストリアンの死」*3といふのを知ったんだども、氏が云ふ「ホームレス・スカラー」と同じことを「野良研究者」と自称してゐる己にとっては、近代デジタルライブラリーが無ければ日本語活字書体史の考古学的野良研究を開始することもなかったし、CiNiiが個人で活用できるとか、かういふGoogleブック検索など、むしろデジタルヒストリアンの活動はまだまだこれからだ。
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ところで、今日の日記は徳永の引用が不正確であることを示す内容になってしまってゐるんだども、内田樹センセイがブログで繰り返し仰ってゐる『「私はたしかにパスを受け取りました(ありがとう)」という言葉』が書かれてゐるといふ点で、同時代の印刷史家と比較にならぬほど学問的に誠実に取り組まれた文章である点は強調しておきたい。