日本語練習虫

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徳永直の初日給

これもまたなかなかお目にかかれない、徳永直『はたらく歴史』ば借覧(福島県立図書館)。書き出しはかうだ。

民治がはじめて印刷工場に入つたのは明治四十三年の十二月であつた。七歳あがりの尋常六年生だつたから、彼は十二歳で、まだ三學期がまるまる殘つてゐたわけである。
その頃K地方には電燈はまだなかつたし、從つて電動《モーター》機もなかつた。翌々年K・N新聞社の植字部で文撰見習工となつたときは、電燈は點いてゐたが、K市で一臺しかなかつた輪轉機は蒸氣機關で廻轉してゐた。以來二十年の印刷職工の生活を終るうち、分業制度も進歩してきて、いきなり文撰見習とか紙差見習とかではいつてくる少年工をみるにつけ、ランプ掃除から始まつた自分の出發が、民治には特別の感慨となつて憶ひだされてくる。

これは徳永自身の自伝的小説で、徳永自身、尋常小学校を卒業しきらない状態で働き始めたものといふ。
徳永が日給七銭で働き始めた明治四十三年の熊本県での「活版植字職」と「版摺職」の日給については、熊本県統計書に記載がある。「普通」の植字職で日給二十銭とあるから、「ランプ掃除から始まつた」見習い初日で七銭といふのは、まぁそれなりに貰った方なんだらう。