日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

石倉千代子『野の草』が記す新鋳活字の手触り

徳永直と同時期に博文館(共同印刷)で働いてゐた石倉千代子の自伝『野の草 ある印刷女工の歩み』(日本婦人会議出版部、一九八一)、いつか読んでみっぺと思ってゐたんだども、オークションで入手することができた。
争議関連の箇所ではないんだども、往時の女工であったことからくるディティールに心動かされたので、抜き書きしておく。
関東大震災で工場内が壊滅的な被害を受け、そこから出直す際の話(一一〇頁)。

もう大分人手も出そろっていて、地震の後始末に、埃まみれになりながら、働いていた。一週間もするとほとんどの人間が出勤し、山と積まれたインテル、トタン類を取り除き、あとは鋳造科に送りこみ、鋳直された鉛は新しい活字に生まれかわって、文選箱につめこまれて戻ってくる。それをそれぞれの分野がケースの中におさめる。ピカピカ光る鋭角的な新字は文選工によってひろわれ、植字工によって版に組まれ、鉛版で紙型にとられ、印刷機械にかけられて刷り上る。刷り上った紙は製本工場にまわされて一冊の本に完成されるのである。一方刷り終って不要となった版は解版によって、もとの一字一字の活字に解体される。この他校正課、差し替え、写真科木版科など、一冊の本が完成されるまでには、いろいろの分野の技術が集合するのである。
これがいまから六、七十年前の印刷の工程であった。
だれもかれもが、新しい活字のために指の腹がザラザラに破れ、それがすごく痛むのであった。

活字に焦点を当てて印刷の歴史を語る際、単に「自動活字鋳造機の導入によって活字の一回限り使用」と書かれ刷られた書物の美しさの観点からのみ語られてきた新鋳活字について、出来たての活字が「実はかなり熱く思わず落としそうになる」という現代の体験談を目にしたことはあったけれども、「だれもかれもが、新しい活字のために指の腹がザラザラに破れ、それがすごく痛むのであった。」というこれまた実感的な一文に、不意打ちを食らはされてしまった己。