日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

コマ割り絵本と絵物語のアンチゴチ

コマ割りマンガとアンチゴチのなれそめの頃を探していくうちに、大正から昭和戦前期にかけての、絵本とマンガの中間的な存在が今のマンガにつながる貴重な存在だったと思はれてくる。
例へば国立国会図書館国際子ども図書館の絵本ギャラリーにある 『コドモノクニ』ギャラリーなどを眺めて気づくように、大正から昭和初期にかけての絵本において、幼児向けの作品の場合はテキストをカタカナで綴り(ごく僅かに漢字も混ぜ)「太字」で刷っておき、やや年長向けの作品の場合はテキストを漢字ひらがな混じりで綴り「細字」で刷っておくのが基本的な作法だった模様。
錚々たる執筆陣のおかげで各地の「近代文学館」などに所蔵されてゐたりする『コドモノクニ』は、印刷を秀英舎がやってゐたから、例えば仙台近代文学館が所蔵する昭和二年一月号の北原白秋「すべり橋」(画・清水良雄)の場合本文は現在「秀英四号」と呼ばれるところの「四号明朝(=細字)」であり、同じ一月号の葛原しげる「ニイサン キタ ナ」(画・岡本喜一)の場合本文は現在「アンチック体」と呼ばれるところの「四号太字」である(カラーでお見せできないのが残念だ)。


ゆず屋さんのUST「アンチゴチのおはなし」00:27:00頃に触れられてゐた製文堂の(推定)明治二十九年活字見本帖掲載「太字」の件なんだども。後に明治四十四年凸版印刷見本帖でアンチックと呼ばれることになる仮名書体と後に自らゴシックと呼ぶことになる漢字書体が「太字」の名の下に共存してゐる点が、この見本帖のキモだと己は思ってゐる。
せっかく秀英舎にからめつつアンチゴチのお話をするなら、見本帖上も実際上も「太字」「細字」の区別であった頃に今言ふ「アンチゴチ」が成立するんだってことを言っておけば良かったのにと、残念に思ふ己。
……
さて、基本的には幼児向けが太字・カタカナのテキストで、年長向けが細字・漢字ひらがな混じりのテキストではあるんだども、これまた仙台近代文学館が所蔵する『幼年倶楽部』昭和四年十一月号の新関青花「オ月見」と宮尾しげを「コロ/\三郎」のように、「コマ割り絵本」風の新関「オ月見」が「太字」の漢字カタカナ混じりテキストであるのに対して「絵物語」風の宮尾「コロ/\三郎」が「細字」の漢字カタカナ交じりテキストであるなど、色々と考へながら調べるべきことが多い。


今の年齢区分で言うと、幼児がカタカナ太字テキスト、小学校低学年が少漢字カタカナ交じり太字テキスト、小学校中学年が漢字カタカナ混じり細字テキスト、小学校高学年が漢字ひらがな混じり細字テキスト――ってな感じかと想像するんだども、そのあたり、制作側の基準が私的あるひは公的に何かあったのかどうかも今の己には判らない。
……
とにもかくにも、このあたりにアンチゴチとマンガのなれそめの秘密が潜んでゐるハズだと思ひ「アンチゴチがマンガさ使はれはじめる頃のことば調べてみっぺ」と決意してから既に満四年が経過してゐるんだども、なかなか先に進めないでゐる己。
大塚英志『映画式まんが家入門』(asin:9784048685627)第二章に掲げられた『小熊秀雄漫画傑作集』からの引用図版を見る限り、小熊が原作の「ナカムラマンガ」復刻版において、セリフがPCフォントで刷り直されてゐるらしく見えるのがとても残念だ。