日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

公団ゴシックの退化と新しい標識書体について

NEXCOが道路標識に使う書体を道路公団標準文字(公団ゴシック・JHゴシック)からヒラギノに変えるという話題に対して、NEXCO中日本が行った新旧書体の実証実験が看板文字サイズの変更をも伴ふ試験だったため、旧書体のままサイズ変更のみの試験をなぜやらなかったのかと訝る声がtwitterで散見された。
確かに、旧書体(JHゴシック)は高速移動中の視認性を追求して設計された特殊な書体である点が知られ、例へば東名高速道路「愛鷹」(あしたか)パーキングエリアの「鷹」の字*1や同「遠州豊田」パーキングエリアの「州」「豊」の字*2など、略字化することで視認性を向上させている例が二〇〇九年十一月放送のタモリ倶楽部「フォントにあった怖い話」で取り上げられてゐたりする。
放送では、高速道路の標識が「時速一〇〇キロで一四〇メートル離れた標識を五〜六秒で視認できる」ことを基準に作られてゐることが紹介されてゐた。
……
JHゴシックや公団ゴシック等と呼ばれる道路公団標準文字が誕生する過程については、山根一眞『変体少女文字の研究』(asin:4062020718)第六章「文字商人の元気」中の「命を守る文字」といふ節に、詳しく紹介されてゐる。

時速一〇〇キロで走行中、「京都」という標識を見てブレーキを踏み時速四〇キロに減速して出口に入るには、標識の文字が一二〇メートル手前で読めなければならないことが、まずわかった。文字の大きさは、ドイツのアウトバーンに習って高さ五〇センチに決めた。字体デザインにあたっては、どんな文字が使われることになるかを調べることから手をつけた。

これら拾いだした文字のデザインに入ったが、標識文字はペンキと筆で書くのではない。スコッチ・ライトというテープを貼って作るのである。

問題は線の太さと縦横の本数だった。細い線を使えば表現力は高まるが、『一』などは見にくくなる。太い線を使うと、複雑な文字は表現できなくなる。
「そこでいちばん細い字、『一』が読めるギリギリの太さをまず決めました。しかし、こうするとやはりむずかしい字が書けなくなります。『豊』などはその一例ですね」
やむを得ず、複雑な字については略字を作った。――引用者中略――一部の人から、「国が作る文字板にこういう字があっていいのか」という異議が発せられた。泉は、「ちゃんとした文字で書いたら、人が死にますよ。それでもいいんですか」と、居直った。

「力強さのある文字は、筆で書いた文字のようにふところが狭いんです」――引用者中略――「ところが高速道路標識では、ふところを狭くすると白が滲んで文字が読みにくくなるため、あえて広くしたんです。昼間見ると華奢で力がないように見えるのはそのためです。――引用者中略――形の美しさをもった文字と、どんなときでも読める文字とは別だということです」

公団ゴシックが修悦体などと同様「テープ書体」だったといふところに驚くんだども、それはさておき。
近頃流行のUD書体などもふところを広くといふのがテーマのひとつになってゐるわけなんだども、そこに節度といふか限度といふものがありはしないだらうか。
例へば、高速道路の標識を多数紹介なさっておいでの「かっち署」さんのサイトで、東北自動車道の上り線から山形自動車道へ進入する際の村田ジャンクションの標識と、山形自動車道から東北道へ戻る際の村田ジャンクションの標識で、「福島」「東京」と並ぶ地名を見てみよう。
村田ジャンクション上り
村田ジャンクション下り
かうして落ち着いてモニタ上で眺めると初見でも何の引っかかりもなく読み取れるかもしんねぇんだども、前者の「京」の字を高速道路上で初めて見た際、己は、今のはホントに「東京」って書いてあったのか? と何度も読み返してしまひ、危うく山形道に入り損ねるところだった。
初期の「公団ゴシック」は後者のデザインだった筈だ。前者の「京」は、「ふところを拡げる」ことにばかり気を取られた結果「どんなときでも《瞬時に》読める」という目標を逸脱しかかった異様な字体になってしまってゐないだらうか。
……
渡辺茂『漢字と図形』(NHKブックス264、一九七六年)第五章「漢字の図形特性」に、「瞬間認識特性」といふ節がある。約〇・一秒の間にヒトがどのように漢字一文字を同定するのかについて実験と考察が重ねられてゐる。
そこで見えてくるのは、「どんなときでも《瞬時に》読める」文字であるためには、全体の外形のプロポーションは常識から余り離れない方がよいといふ結論だ。
漢字の中心部分は、カスれて消えたりツブれて消えたりしても良いし、適宜間引かれてもよい。
http://twitpic.com/2s4xik で示されてゐるNEXCO中日本のチラシは、旧書体が「走行している車から見やすくわかりやすいように独自にデザインした文字」であると言ひつつ、新しく採用する書体(ヒラギノ角ゴW5)について「普段目にするなじみのある文字になり、遠くからでも文字が見やすくなります」と記してゐる。
実は、「走行している車から見やすくわかりやすいように」を目標に独自にデザインした文字だったが、スコッチテープ出力に限らない看板制作が可能になった現時点で追試してみたら「普段目にするなじみのある形態」が「どんなときでも《瞬時に》読める」性能に高く寄与してゐたといふわけだ。
……
ところで、NEXCO総研のサイトで公開されてゐる平成22年7月改訂*3の「標識標準図集」に書かれた「標識設置要領」には、「高速道路等の案内標識に用いる日本字はヒラギノW5の加工書体(角ゴシック体)、規制標識等は丸ゴシック体とする。アルファベットは、ビアログミディアムの加工書体、数字はフルティガー65ボールド、または、その加工書体とする。」とあり、「丸ゴシック」について具体的な書体名の指定が無い。
せっかくなので、プロポーションが常識的な姿に収めてありかつ略字も含まれる、視認性と製図性能に優れた丸ゴシック体であるJIS Z8903:1984「機械彫刻用標準書体(常用漢字)」を採用してはどうかと日記さ書いておく。
……
新しい標識の指定書体が、ヒラギノ角ゴシックW3やW6といった「Macがオマケについてくる」書体ではなくW5である所以は、高速道路上での比較試験をやってみたらW5が他よりもツブれにくくカスれにくい状態に見えるウエイトだったといふことなのだらう。