日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

明治三十年代の印刷工場とその動力

犬丸義一校訂『職工事情』中篇(asin:4003810023)に、印刷職工事情の章がある。明治三十四年から三十五年にかけての調査が記されてゐて、徳永直や三谷幸吉が職人生活に入って間もない頃の状況を垣間見ることができる。
都道府県の状況を示す、明治三十二年現在の工場統計表が掲げられてゐるんだども、東京府においては「原動力を有する」工場が33戸(職工3333名)で「原動力を有しない」工場が12戸(職工512名)であるのに対して、徳永が修行を始めた熊本県の場合は「原動力を有する」工場が1戸(職工4名)で「原動力を有しない」工場が1戸(職工17名)、三谷の福井県は統計データが存在しないが富山県は「原動力を有する」工場が0戸で「原動力を有しない」工場が8戸(職工150名)、石川県が「原動力を有する」工場が0戸で「原動力を有しない」工場が2戸(職工36名)。
もうちょっと長いスパンで統計が取られてゐれば、色々と面白かっただらうにと、残念でならない。
ちなみに東京府の「原動力を有する」工場の場合、その「動力」について「蒸」「電」「瓦」「石」と略記されてゐる。「電気」「瓦斯」はいいとして、ここで言ふ「石」は「石炭」なんだらうけど、石炭に拠らない「蒸気」って、いったいどんな原動力なんだらう。薪でも燃やしたんだらうか。
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以下7月22日に追記
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上記の概要をつぶやいたところ、@koikekaishoさんから「石は石油じゃないか」とお教えいただいた
なるほど、確かに高知県統計書明治40年頃を見ると、新聞社が輪転機の動力に「石油発動機」を用いてゐる。
また、日本がDeveloping Countryであり電力供給が不安定だった頃の事情について、北海道浦河町の浦河百話の第四九話に、こんなエピソードが記されてゐた。

電気のない時代には、発動機を使って輪転機をまわしていた大針印刷でも、電気がついたということで電動機に切り換えたのだが、おかげで仕事は電気の使える夜のみとなり、停電のたびに中断せざるを得なかった。その不評ぶりは、しまいには口の悪い連中に、「こんなことなら停電のないランプの方がよっぽどましだ」といい出される始末だったという。

そんなわけで、「蒸」は(石炭)蒸気機関、「電」は電力網による電力使用、「瓦」は瓦斯、「石」は石油発動機と見るのが正しからうと判明。