日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

河出書房『知性』に「現代日本の先覚」を書いた徳永直と渋川驍

先日(20100305)の記事さ、昭和十八年三月の“サンヤツ”広告に、かういふのがあると書いた。

徳永直
光をかかぐる人々
舶来第一を謳歌した文明開化の世、活字に心魂を砕き西洋心酔に憤激し、かの模倣にあきたらず日本独自の印刷技術の進歩向上に敢闘した先覚者達の胸にたぎる創造的精神と不屈の闘魂を描いたもの。下旬頃発売

浦西和彦編『人物書誌大系 1 徳永直』によると、徳永直は、昭和十八年三月、河出書房『知性』6巻3号に、「本木昌造と日本の活字―現代の先覚(5)―」といふ記事を書いてゐる。
昭和十七〜十八年の『知性』ば眺めに某近代文学館さ出かけてみて驚いた。
おそらくは金子博が「一見日本主義に参入するようなそぶり[♯「そぶり」に傍点]を見せながら」と記した「そぶり」で書かれる「本木昌造と日本の活字―現代の先覚(5)―」――最初の新聞広告展開と同じタイミングで、「前篇」の版元である河出書房が発行する雑誌の記事として書かれたことに注意!!――の二箇月後、昭和十八年五月号に、渋川驍が「前田正名―現代日本の先覚(七)―」といふ記事を書いてゐた。
さう、サツマ辞書の前田正名である。
己は読者諸氏が知つてゐようとゐまいと、じつは渋川驍が「現代の先覚」の執筆者であつた発見の感激を語りたいのだ。己は以前に渋川の随筆を読んだことがあるが、このことは書いてなかつた。
徳永直がサミュエル・ダイアの事跡を発見する手助けをした昭和十七年当時の東大図書館司書。その一人であった関敬吾と徳永直を橋渡しし得る人物である橋浦泰雄が出版従業員組合創立時からの徳永の古い知り合ひであったと判り、一方同じく東大図書館の司書だった渋川驍も作家同盟時代から徳永の知り合ひであった可能性がある上に大正文学研究会「志賀直哉研究」で直接の交渉を持った模様と判ったばかりのその渋川驍が、まるで河出書房および徳永直と示し合はせたかのやうに、前田正名の事跡をこのタイミングで書いてゐた……。