日本語練習虫

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立野信之と徳永直による小林多喜二の第一印象

倉田稔『小林多喜二伝』(asin:4846004082)746頁に、やはり出所が明示されないで書かれてゐる、上京直後の多喜二の第一印象――

上京した多喜二に立野信之は、「お前は背のスラリとした貴公子かと思っていた」と言い、片岡鉄兵は「君が本当の小林君ですか」と聞いた。

――他にも書かれてゐるのかもしれねえんだども、当時ナップの機関誌『戦旗』の編集長をやってゐた立野信之が《昭和二十六年頃、『文芸』(河出書房発行)に「小林多喜二――その時代と人間の映像」と題して発表》*1し、後に『青春物語・その時代と人間像』(1962、河出書房新社)に収録された「小林多喜二の上京」の第一節さ、かう記されてゐた。

その頃、わたしは杉並の成宗に橋本英吉と背中あわせに、一戸を構えたばかりだった。そこへ上京早々の小林多喜二が訪ねてきたのだ。東京での小林の仮寓は、中野の知人宅ということであった。
実物の小林多喜二に会ってみて、その印象のチグハグなのに、わたしはおどろいた。まったく意外といっていいくらいであった。それまで小林の一字も消し跡のない原稿の端正な書体や、写真で見た面長の貴公子然たる風貌や、小樽高商出の銀行員というようなことなどから、わたしは長身で色白な美男子と想像していたのである。ところが実際の小林多喜二と名乗る男は、色こそ白いが痩せた小男で、出眼に近い眼がぬれて睫毛が固まっているように見え、やや厚めの唇を田舎者然とだらなくあけて、がさつな嗄れ声で話す。田舎弁まる出しである。それに高級銀行員で、銀行で小説を書いているようなゴシップまで伝わっていいほどなのに、そのご当人は古ぼけた焦茶の洋服をきて、股にツギのあたったズボンを穿いているのだった。何か一杯喰わされたような感じで、何もわざわざそんな恰好をして来なくともよさそうなものだ、とさえ思ったほどである。

さうして立野と橋本英吉が小林多喜二の「あまりにもささやかな歓待の宴」を設けた後のこと。

数日後に、徳永直が小林に会いに、わたしの家にやってきた。徳永はインバネスを脱ぐと、ドテラに羽織といういでたちだった。そしてそういう服装は、徳永そのものだった。
徳永は小林の『一九二八年三月十五日』や『蟹工船』よりも少しおくれて『太陽のない街』が「戦旗」に連載され、それが好評を得て一躍有名になり、小林とともにプロ文学の双璧という風にジャーナリズムから扱われていた。だから、小林にしろ、徳永にしろ、二人はともにひそかにライバル意識を燃やしていただろうことは想像に難くない。
小林は股にツギのあたった洋服をきて、あぐらをかき、股倉に両手を突込んでいた。
「小林君だよ」
わたしが徳永にそう紹介すると、徳永はジロジロと小林をみつめ、顔を上向き加減にポカンと口をあけていたが、やがてシパシパと眼をしばたいたと思うと、
「君は本物の小林君か」
と、大真面目にたずねた。
かたわらには『太陽のない街』で扱われた共同印刷争議以来の徳永の親友の橋本英吉も同席していて、笑いながら、
「本物だよ、おれが証明するよ」
と、口添えした。
「そうかねえ……君が小林君……?!」
徳永がまた口をポカンとあけ、感に堪えたような顔で小林をじっと見返したので、大笑いになった。
これで小林多喜二の初印象にまごついたのは、わたしひとりではないことが証明された訳だ。それほど多喜二の印象は、想像とはおよそチグハグなものだった。

ちなみに、片岡鉄兵は『青春物語』中、「小林多喜二上京」のひとつ前、「武装共産党」の節に登場する*2。立野が田中清玄と会う話である。
少なくとも『青春物語』中では、片岡と小林多喜二との初対面の場面は描かれてゐない。

*1:『青春物語』あとがきによる。

*2:おそらく、『青春物語』あとがきにある、《『小説新潮』(昭和三十六年四月―十二月)に「青春時代」と題して連載され》た部分の中のひとつ。