日本語練習虫

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徳永直『光をかかぐる人々』続編あおぞラボ作業開始

徳永直は、昭和23年『世界文化』11月号から連載を始めた『光をかかぐる人々』の続編を、次のやうに書き出してゐる。

 昭和十八年三月のある日、私は“嘉平の活字”をさがすため、東京發鹿兒島行の急行に乘つていた。伴れがあつて、七歳になる甥と、その母親の弟嫁とが、むかいあつてこしかけているが、厚狹、小月あたりから、海岸線の防備をみせまいためか、窓をおろしてある車内も、ようやく白んできた。戰備で、すつかり形相のかわつた下關構内にはいつたころは、乘客たちも、洗面の水もない不自由さながら、それぞれに身づくろいして、朝らしく生きかえつた顏色になつている……。
 と、私はこの小説だか何だかわからない文章の冒頭をはじめるが、これを書いているのは昭和廿三年夏である。讀者のうちには、昭和十八年に出版した同題の、これの上卷を讀まれた方もあるかと思うが、私が「日本の活字」の歴史をさがしはじめたのは昭和十四年からだから、まもなく一と昔になろうとしているわけだ。歴史などいう仕事にとつては、十年という月日はちよつとも永くないものだと、素人の私にもちかごろわかつてきているが、それでも、鐵かぶとに卷ゲートルで、サイレンが鳴つても、空襲サイレンにならないうちは、これのノートや下書きをとる仕事をつゞけていたころとくらべると、いまは現實の角度がずいぶん變つてきている。

第2段落冒頭さ「と、私はこの小説だか何だかわからない文章の冒頭をはじめるが」とあるのは、先日「花田清輝が記した徳永直『光をかかぐる人々』評」の記事中で触れた、花田が過小人といふ筆名で一九四二年四月の『文化組織』第三巻第四号さ記した書評『綜合雑誌評』に、かう記されてゐたのを、徳永自身が目にし、意識してのことだらうと思ふ己。

おそらく、論文らしい論文のないのに絶望して、編集者は、論文の随筆化を企てているのかも知れん。
それなら、いっそのこと小説でも取上げた方がましだ。徳永直の『日本の活字』を読む。ところが、これが又、最初は小説の随筆化みたいなものだ。失望を感じながら読みすすんで行くと、後半に至り、俄然、精彩を放つ。日本の活字の発明者本木昌造の研究家が、臨終の床のなかで、後学に語る。
「遠慮いらんよ、歴史とか研究とかいうもんはネ、すべてそんなもんさ、ああ、やっと探しあてたら、相手は死にかかっているなンて、ぼくもそんなことを何度も経験したよ、こんどは俺の番というわけだ、なアに、たいしたこっちゃないさ」
死を鴻毛よりも軽く考え、一生を棒にふっていささかも悔いない研究家の姿は、それまでマクラばかり読みつづけてきたせいか、何か私を遣る瀬ない思いに駆りたてた。

さうしたあれやこれやを同好の皆さんと語りあふため、世界文化連載分も、あおぞラボっちゃうことにしました。
http://d.hatena.ne.jp/HikariwokakaguruHitobito/20091011
ただし、現時点では、「青空文庫」への登録申請をしてません。