日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

平成二十三年中に投稿論文を二本書くつもり

①徳永直『光をかかぐる人々』の件

昨年十二月に日本近代文学館で昭和十五年から十九年までの徳永直宛来信を閲覧した結果、現時点で「H君」を特定する材料は無いといふことが再確認できた。
それを確認した段階で『光をかかぐる人々』に関する調査を一旦打ち切り、木村一信氏の「序説」に続く中間報告とするつもりだったんだども、同館で思ひがけず出会った貴司山治からの原稿用紙十一枚に及ぶ書翰を読んだため暫し順延。さしあたりこの書翰については、『光をかかぐる人々』初版と第二版の間にある、中野重治旧蔵本と並ぶ貴重資料とだけ記しておく。
仙台市青葉区子平町の町名由来になった林子平が仙台の人物であるため宮城県図書館貴司山治『海国兵談』が所蔵されてゐるってことや、昨秋『貴司山治全日記』(asin:9784835059853)(asin:9784835059860)(asin:9784835059877)(asin:9784835059884)(asin:9784835059891)が刊行されたこと*1など、まぁ己ンとこに追い風が吹いてるんだと思っておかう。
以前公共図書館間リクエストで「訂正と正誤」のコピーを手配してくださった京都府立図書館さんが現物をお貸しくださったのもまた、ありがたい話。
ともあれ、貴司山治書翰の件まで含めた作文で、印刷史研究の方面から徳永直を再評価すべきことについての提言を行ひつつ、徳永が書き継いでゐたといふ《後篇の続き》に関する情報提供を津田孝氏周辺に呼びかけたい。極力早く。
さういふ「手紙」を届けるためにこの作文は『日本近代文学』への投稿とするつもりなんだども、さて、日本近代文学会への入会に際して原則として必要とされる会員二名の推薦、どなたかから頂戴できるだらうか。

……
②仮称「博聞四号」仮名の件

id:koikekaisho さんとやってる変体仮名活字集成の過程で、ふと、仮称「博聞四号」にも変体仮名があったことを思ひ出した。
現在、先日改めて取得した印刷図書館所蔵資料の、紙幣局『活版見本』(明十)、印刷局『活字紋様見本』(明十八)、平野活版『活版様式』(明九)により、比較資料を作成中。自分で検討してみると、板倉雅宣『和様ひらかな活字』(asin:4947613610)とは若干字母の推定が違ふ部分があるぞと気づく。
昨夏埼玉県『小学生徒教草』を実見する機会に恵まれたことだし、ここらがまとめ時だらう。
歴史研究の手法に文献史と考古学のふたつがあるとすると、ここしばらく己がやってるのは近代日本語活字書体の考古学といふことになる。築地体後期五号仮名が明治三十一年にフルモデルチェンジした件の発見は、府川充男氏が近代日本語活字書体の考古学的資料を極めて広範囲に掘り返して来られた中で発見されてゐた問題をピンポイントでの大規模発掘調査で詳述したにすぎないが、最初期和文アンチック体活字に平仮名が存在したことの発見と、この博聞四号の発見は、近代日本語活字書体の成立期の考古学的資料(すなはち全ての印刷物)を精査し尽くすことで文献史的には全く未知の事柄の発見があり得ることを実例によって示す内容だ。
この「近代日本語活字書体の考古学」といふキーワードを想起することが出来たのは、私淑する小宮山博史氏の「和文活字書体史研究の現状と問題点」(『デザイン学研究』二〇一〇)の整理を自分なりに咀嚼した結果なので、よい師に出会へて感謝。
この件、この意味で日本デザイン学会『デザイン学研究』がいいのか、むしろ博聞社そのものの研究材料として稲岡勝氏に敬意を表しつつ日本出版学会『出版研究』がいいのかと悩んでゐる。
まだどちらの学会員でもないので、他に「博聞四号」の告知場所として好適なところがあれば、ご教示ください。