日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

印刷博物館ライブラリーのデータベースに登録されている『写研』について『QT』や『QT写研』が別名登録されて欲しい

近代出版研究 第3号』(皓星社、2024.4 https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774408200/)冒頭の座談会「「書物雑誌」と雑誌の「書物特集」」のうち、本来は2023年の第2号に掲載予定だったという分を読了。

創刊号の「明治期に活躍した出版社の近代性とは何か」に続いて、研究所員のお三方の濃さに圧倒されっぱなしで、〈雑誌の「書物特集」〉の「周辺」に含まれる話題として「印刷業関係の書物雑誌も」という項が立てられていてスゲーなと思ったことでした。

自分自身のため、「前田年昭さんに訊いた」として言及されていた「印刷業関係の書物雑誌」をリストアップしつつ、備忘録を追記しておきたいと思います。

* * * * *

  • 『図書設計』(日本図書設計家協会、1986~)〈――は、「本のガハ」だけを扱っているわけではないように思われる協会報、ですよね?〉

朝日堂活版製造所の朝日印ピンマークと㊹ピンマークが同じ面に刻印された初号フェイス42ptボディ活字

過日、大阪朝日堂活版製造所が鋳造した初号丸ゴシックフェイスで42ptボディの活字を入手しました。「秀英初号明朝フェイスの秀英舎(製文堂)製初号ボディ活字と42ptボディ活字」と同じ計り方で、縦3か所の平均が14.780mm(42.059pt)、横3か所の平均が14.743mm(41.956pt)。

青山進行堂のピンマーク入り初号丸ゴシックフェイス・推定築地初号ボディの漢数字「三」4本および青山進行堂のピンマーク入り初号丸ゴシックフェイス・推定42ptボディの漢数字「三」1本の計5本と同時に使われていたらしき活字セットの一部だったものです(青山進行堂が鋳造したの初号フェイス活字の実測寸法については「初号フェイスの大阪青山進行堂製初号ボディ活字・42ptボディ活字・15mmボディ活字」https://uakira.hateblo.jp/entry/2024/04/07/232401

大阪朝日堂活版製造所製ピンマーク入り初号フェイス活字(斜め方向)
大阪朝日堂活版製造所製ピンマーク入り初号フェイス活字(ピンマーク正面方向)

朝日堂活版製造所とその商標

大阪市東成区にあった大西貞三の朝日堂活版製造所。『日本商工録 昭和8年度』によると創業明治40年で、「活字製造並ニ各種印刷材料」を手がけていたようです(『日本商工録 昭和8年度』での屋号は「朝日堂」https://dl.ndl.go.jp/pid/1034250/1/17。『大日本帝国商工信用録 昭和7年阪神版』では創業大正10年となっていますからhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1030370/1/218、大西貞三が活字商売を始めたのが明治40年で何らかの形態で法人化したのが大正10年ということになるのでしょうか。

大日本帝国商工信用録 昭和7年阪神版』には、朝日をイメージしたシンプルな商標が掲載されています。

大日本帝国商工信用録 昭和7年阪神版』掲載商標

昭和14年7月26日付『官報』で昭和14年3月24日付での設立が公告された京阪神活字製造工業組合は、理事に青山督太郎、森川健市、岡本萬三、岩橋宗次郎、満田利一が名を連ねており、監事として田村由松と大西貞三の名がありますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2960260/1/42。4か月後の7月19日に理事と監事に改選があり、理事は森川健一、岩橋宗次郎、満田利一、岡本悦蔵、寺島福蔵、法兼磯吉の6名、監事が大西貞三、今井彦兵衛の2名となっています(10月12日付『官報』https://dl.ndl.go.jp/pid/2960327/1/33。森川健市「活版製造業のいまむかし(後半)」(『月刊印刷時報』 370号〈1975・3〉)に上げられている「昭和14年西日本活字工業組合員名簿」によると大阪市内の活字製造所が22軒、京都市3軒、兵庫県12件(うち神戸市8件)となっておりhttps://dl.ndl.go.jp/pid/11434833/1/60、また『名古屋印刷史』が記す昭和12年全国活字業者第一回大会の各地代表の中にも大西の名が見えていますからhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1115630/1/192、朝日堂は中堅あるいは大手と言ってよい存在だったのでしょう。

『関西模範産業大鑑 昭和10年版』を見ると朝日堂活版製造所の商標は上半分に下弦の旭日、下半分が所主である「大西」という図になっているのですがhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1232775/1/128、『全国印刷材料業者総攬』に掲載された大きく鮮明な図版だと「大西」の「大」の字に配している立体が実は活字を模していて、「下弦の旭日」がピンマーク風にあしらわれていますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1234542/1/23

左(白黒)『関西模範産業大鑑 昭和10年版』掲載商標/右(赤)『全国印刷材料業者総攬』掲載商標、国会図書館デジタルコレクションより

この『全国印刷材料業者総攬』掲載広告では活字を模したイラストも示されているのですが、残念ながら(秀英舎製文堂の「S」マークなどどは違って)ピンマークの記載はなく、単なる平面として処理されています。

『全国印刷材料業者総攬』掲載朝日堂活版製造所広告(国会図書館デジタルコレクションより)

㊹というピンマークについて

2023年1月21日に開催された印刷博物館のオンラインイベント「活字のブランド PIN MARK」の内容が、『印刷博物館ニュース vol.85』の特集2として記録されていますhttps://www.printing-museum.org/etc/pnews/08501.php。PDF版の図1に並べられているピンマーク入り活字の2段目に2つのマークが刻印された活字が見え、文字面側に製造元を示す「SB Co」(Stephenson and Blake社)のマーク、そして足側に活字サイズを示す「㊽」(48 american point)のマークがあると判ります。

日本で鋳造された活字で、このように製造元マークと活字サイズマークの2つが刻印された例が他にあったのかどうか、今は判りません。手元にある初号活字では、ピンマーク類未紹介のものも含め、この1本だけになります。

ところで、実測で42ptボディであるこの初号丸ゴシック活字に、なぜ「㊹」という44ptボディであることを示すようなピンマークが刻印されているのでしょうか。

明治31年10月14日付『官報』第4589号で告示された明治31年文部省告示第61号で「檢定出願ノ教科書圖書ノ文字印刷等ニ關シテハ明治三十二年四月一日以後左ノ標準ニ從フヘシ」として、検定教科書の活字サイズと文字組が定められましたhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2947878/1/1。活字サイズについては、次のように定められています。

尋常小学校第一學年前半期用ノモノ 凡明朝活字初號(四十四ポイント)ノ大サ以上
尋常小学校第一學年後半期用ノモノ 同    一號(二十八ポイント)ノ大サ以上
尋常小学校第二學年以上用ノモノ 同    二號(二十二ポイント)ノ大サ以上
師範學校尋常中學校用ノモノ 同    四號(十四ポイント)ノ大サ以上

師範学校尋常中學校教科書用圖書中ニ用フル註解例題參照若クハ之ニ類スルモノハ凡明朝活字五號(十一ポイント)ヲ用フルコトヲ得

板倉雅宣『号数活字サイズの謎』(朗文堂、2004)は、明治19年(1886:アメリカン・ポイント・システムの発表)と昭和7年(1932:築地活版による「活字規格に就て一言申し上げます」の発表)を和文活字のボディ・サイズに関する転換点とし、この間の半世紀ほどの期間を、上記明治31年文部省告示第61号に見られるような少なくとも建前上は「初号活字=44pt」とされる時期であると見ています。

大阪朝日堂のこの「㊹」活字も、大阪でポイント活字が本格的に使われていくようになりつつあった明治44年(「20世紀初頭の大阪活版印刷所で日本とイギリスの印刷史が交錯していた話」https://uakira.hateblo.jp/entry/2023/04/30/113632から昭和7年頃までの間に鋳造されたもの、ということになるでしょうか。

「明治期における裏表紙のパブリッシャーズ・マーク」を出版者軸と印刷者軸で読み直してみる

明治期における裏表紙のパブリッシャーズ・マークと活版(電気銅版)見本

神保町のオタさんから『近代出版研究 第3号』(皓星社、2024.4 https://www.libro-koseisha.co.jp/publishing/9784774408200/)をご恵贈いただきました。改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

以前twitterにて、顕道書院と積善館のパブリッシャーズマークが同じ鳳凰の絵柄であることについて、リボンを咥えた鷲の絵柄をアメリカの印刷会社がカタログに載せているような、共通の祖型があるのではないかという話をお返ししていました。

――というわけで、早速「明治期における裏表紙のパブリッシャーズ・マークに関する一考察」を拝読しました。例の鳳凰の絵柄を共有しているのが2社ではなく金刺芳流堂を加えた3社だったことが明らかにされるなど、2019年の「戦前期における裏表紙に刷られた出版社ロゴマークの美学」「裏表紙の社章から見た金港堂と博文館」以降、深く静かに掘り下げられていたのですね。

ちなみに、「共通の祖型」があり得たこととして念頭にあったのは、東京築地活版製造所『活版見本』(明治36年)にて電気銅版(ELECTRO-BLOCKS)として掲載されている、様々なコスチュームの人物がBillboardを掲げている図柄でした。電気銅版No.5111(ターバンを巻いた人物 https://dl.ndl.go.jp/pid/854017/1/202)が、明治22年4月25日付『時事新報』掲載自社広告に使われただけでなく、同年8月2日付『時事新報』で「中立社開業」広告に使われたという事例です。こういう濃い図柄が汎用のひながたとして使われ得たのです。

明治22年4月25日付『時事新報』東京築地活版製造所広告(復刻版より)
明治22年8月2日付『時事新報』中立社開業広告(復刻版より)

出版者軸と印刷者軸でパブリッシャーズ・マークを整理

読了後、これはやっぱり出版者軸と印刷者軸の2元で整理してみたら更に面白くなるんじゃないかと直感し、「例の鳳凰」に関係する印刷者の周囲を掘り拡げてみました。何と言っても、従来は「出版者(発行者)」しかキーワードに指定できなかった国立国会図書館デジタルコレクションの検索が、2022年12月アップデート時の全文検索機能によって大幅に強化され、かつて夢に見ることしかできなかった「印刷者名」でキーワード検索できるようになりましたからね!

以下に掲げるマークはすべて国立国会図書館デジタルコレクションのものを「100%」表示したスクリーンショットを元画像として「はてなフォトライフ」に登録し、この記事中では幅200px表示としたものです。マーク画像のリンクを辿ると、フォトライフでの元画像表示になります。

スマホ版サイトとして閲覧いただく場合に以下のマーク画像が表示されないようです。恐れ入りますがPC版サイトとしてご覧くださいますよう、お願いいたします。






顕道書院のパブリッシャーズ・マーク
顕道書院(オーナメント)

顕道書院(蓮囲み)

顕道書院(鳳凰)

顕道書院(オーナメント十字)

顕道書院(桜と何かの模様)





積善館のパブリッシャーズ・マーク
積善館(オーナメント)

積善館(鳳凰)

積善館(見返り孔雀)

積善館(見返り孔雀小型)


金刺芳流堂のパブリッシャーズ・マーク
金刺芳流堂(鳳凰)





偉業館(岡本偉業館)のパブリッシャーズ・マーク
偉業館(鶴リボン)

偉業館(鶴のみ)

偉業館(花に鳥〈名無し〉)

偉業館(蜻蛉)




大阪交盛館(武田交盛館)のパブリッシャーズ・マーク
交盛館(蜻蛉)

交盛館(花に鳥・名入り)

交盛館(印判風)

矢野松吉



開成舎のパブリッシャーズ・マーク
開成舎(花に鳥・名無し)

開成舎(花に鳥・名入り)





浜本明昇堂のパブリッシャーズ・マーク
明昇堂(鶴)

明昇堂(ライオン)

明昇堂(ライオン違い)

明昇堂(簡略版ライオン)


学友館のパブリッシャーズ・マーク
学友館


大阪島之内同盟館のパブリッシャーズ・マーク
同盟館

もし活字見本帖の類にパブリッシャーズ・マークと共通する電気銅版を見つけることがあれば、改めてご報告申し上げたいと思います。



2024年4月14日追記:

偉業館が発行した近藤延之助著『実地活用明治新用文』(https://dl.ndl.go.jp/pid/866533/1/124)と、交盛館が発行した木村定良編『掌中類題草野集 増訂 (歌学全集 ; 第8編)』(https://dl.ndl.go.jp/pid/873535/1/114)ほか、更に開成舎が発行した片桐猪三郎編『山内公武功伝』(https://dl.ndl.go.jp/pid/782134/1/59)や片桐仲雄編『土藩大定目』(https://dl.ndl.go.jp/pid/787028/1/81)ほかに共通する「リースに鳥」のマークですが、よく似た形状のものが秀英舎製文堂『活版見本帖』(明治36年)に掲載されていることに気がつきました(https://archive.org/details/seibundo1903specimen/page/n201/mode/2up)。

秀英舎製文堂『活版見本帖』電気銅版図形43番

また、交盛館発行で一覧表に掲載しなかった河合寿造著『日用料理の仕方』(https://dl.ndl.go.jp/pid/849124/1/82)の「玉飾り」も、よく似た形状のものが秀英舎製文堂『活版見本帖』(明治36年)に掲載されていることに気がつきました(https://archive.org/details/seibundo1903specimen/page/n203/mode/2up)。

左:河合『日用料理の仕方』の交盛館マーク/右:秀英舎製文堂『活版見本帖』電気銅版図形43番

どちらかが相手を模倣したものなのか、双方に共通する別の祖型があったものなのか、知りたいところです。

築地初号フェイスの東京築地活版製造所製初号ボディ活字・42ptボディ活字と15mmボディ規格による錯乱の跡

2023年12月の関西蚤の市で貴重なピンマーク入り活字を入手された書体賛歌さん(https://twitter.com/typeface_anthem/status/1730789514292101371)から、先日「盛功合資会社または合資会社盛功社活版製造部のものではないかと思われる「NAGOYA 青 SEIKOUSHA」ピンマーク入り初号明朝活字について」に記したものとは別に、東京築地活版製造所製と思われる活字をお譲りいただいていました。この場を借りて改めてお礼申し上げます。ありがとうございました。

今回は、そのうちの東京築地活版製造所製Ⓗピンマーク入り活字に関する覚書です。

東京築地活版製造所製Ⓗピンマーク入り初号活字(ピンマーク正面方向)
東京築地活版製造所製Ⓗピンマーク入り初号活字(斜め方向)

書体賛歌さんからお譲りいただいた「一」「○」「◆」の3本を含めて合計16本となった東京築地活版製造所製Ⓗピンマーク入り初号フェイス活字のボディサイズは変なところに外れ値らしきものが存在するため、「初号フェイスの大阪青山進行堂製初号ボディ活字・42ptボディ活字・15mmボディ活字」という補助線なしには扱いにくい、そういう資料群となっています。

まずは、「秀英初号明朝フェイスの秀英舎(製文堂)製初号ボディ活字と42ptボディ活字」の時と同じように測定値の一覧表を示しておきます。

文字 縦平均 横平均 ポイント換算縦 ポイント換算横
14.819mm 14.832mm 42.172pt 42.209pt
14.853mm 14.973mm 42.267pt 42.609pt
14.758mm 14.779mm 41.998pt 42.057pt
14.784mm 14.831mm 42.072pt 42.205pt
14.739mm 14.758mm 41.944pt 41.997pt
14.735mm 14.715mm 41.933pt 41.875pt
14.769mm 14.768mm 42.029pt 42.025pt
14.824mm 14.833mm 42.186pt 42.211pt
14.808mm 14.783mm 42.139pt 42.068pt
14.860mm 14.827mm 42.289pt 42.193pt
14.770mm 14.768mm 42.031pt 42.027pt
14.910mm 14.811mm 42.429pt 42.148pt
14.802mm 14.827mm 42.123pt 42.195pt
14.824mm 14.859mm 42.186pt 42.285pt
14.776mm 14.767mm 42.048pt 42.022pt
14.865mm 14.826mm 42.303pt 42.191pt

青山進行堂と同様に分布図を作成すると、外れ値の度外れ具合が分かります。

東京築地活版製造所が鋳造した初号フェイスの活字サイズ分布

参考に、青山進行堂の分布と築地活版の分布を重ね合わせた分布図も作成しました。

東京築地活版製造所と大阪青山進行堂が鋳造した初号フェイスの活字サイズ分布

「外れ値」と見做した活字の度外れ具合は非常に大きいのですが、その一方で、青山進行堂と比べてサンプル数が少ないからという理由だけか、本来の築地活版で許容される寸法の誤差(公差)が小さかったと見るべきか、築地初号ボディと42ptボディの寸法の分布は、比較的狭い範囲に収まっているように見受けられます。

さて、ここからは妄想に域になるのかもしれないのですが。

築地活版の「宮」は縦方向が「築地初号ボディ」の上限よりの寸法で、横方向が「15mmボディ」の許容範囲になっているようです。また「健」は縦方向が「築地初号ボディ」の上限を超えているものの「15mmボディ」までには至らない寸法で、横方向が「築地初号ボディ」の中央値よりやや小さい寸法になっているようです。

関東大震災で物的にも人的にも大きな損害を受けた東京築地活版製造所では、製品のQCに関するノウハウが十分に継承されない状態のまま経営陣が新しい活字規格(ミリメートルボディ)を打ち出したことによって現場レベルでの混乱の度合いが増し、良質な製品を製造する工場としての再起を図れなかったことから解散を選ばざるをえなかったのではないか。

――そんなことを想像させられる計測結果でした。

初号フェイスの大阪青山進行堂製初号ボディ活字・42ptボディ活字・15mmボディ活字

「近代和文活字書体史・活字史から19世紀印刷文字史・グローバル活字史へ」(日本デザイン学会『デザイン学研究特集号』30巻2号〈通巻108号〉所収)に記した通り、青山進行堂が鋳造した初号フェイスの活字ボディの大きさは、手元にあるものを観察した限りでは、築地系の初号ボディ(概ね42.2アメリカン・ポイント≒14.82mm角)、42アメリカン・ポイント(14.759mm角)、15mm角の3種類となるようです。

ちなみに以前「大阪青山進行堂のピンマーク6種と活字書体3種(付:青山督太郎の略歴と生没年――没年の典拠情報求む――)」に記した「雪形」活字は、「謹賀年」の3本が築地初号ボディで「新」が42ptボディであると判断しています。

その後、大阪青山進行堂が鋳造した初号フェイスの活字が少し増えて手元にあるものが150本余りとなったので、改めて活字サイズの分布図を作成してみました。

活字サイズは「秀英初号明朝フェイスの秀英舎(製文堂)製初号ボディ活字と42ptボディ活字」に記した通り、縦方向を3か所計測の平均値、横方向も3か所計測の平均値を採ったものです。

青山進行堂が鋳造した初号フェイスの活字サイズ分布

築地初号ボディも42ptボディも縦方向のばらつきは小さく、横方向のばらつきが大きくなっています。外れ値となっているように見える「エ」は縦方向が築地初号ボディ・横方向があやまって42ptボディの下限近くになってしまったもので、同じく「河」は縦方向が42ptボディで横方向が築地初号ボディの上限値近くになったものなのではないかと思われます。

縦方向が15mmボディの許容範囲かと思われる「導」は横方向が15mmボディの下限をおそらく下回って築地初号ボディの上限値近くになっており、「三」「院」は縦方向が築地初号ボディの上限を超えつつも15mmボディの下限に満たないサイズなのではないかと思うのですが、資機材の不足などの時代背景の影響でそのまま流通してしまったのではないかと想像しています。

縦方向と横方向の実際の許容範囲(寸法の公差)がどれくらいであったのかは判りません。



以下2024年4月8日追記:

昨日の記事では15mmボディも含めた分布図のみとしたので、築地初号ボディの下限付近と42ptボディの上限付近がわかりにくくなってしまいました。築地初号ボディと42ptボディのみの分布図を新たに作成したので、追記しておきます。

青山進行堂が鋳造した初号フェイスの活字サイズ分布(築地初号ボディと42ptボディのみ)

秀英舎・製文堂が鋳造した活字のピンマーク

大日本印刷の前身のひとつである秀英舎の名を刻んだ「東京秀英舎」ピンマーク入り活字と、秀英舎の初期の活字製造販売部門であった製文堂の名を刻んだ「東京製文堂」ピンマーク入り活字を入手し大きさと重さを計測してみた話を2023年3月に記していたわけですが(「秀英初号明朝フェイスの秀英舎(製文堂)製初号ボディ活字と42ptボディ活字」https://uakira.hateblo.jp/entry/2023/03/21/225239、その際にとても残念に思っていたのが、本と活字館がオープンし「秀英体活版印刷デジタルライブラリー」が公開されたのと入れ替わりに、秀英体に関係する話題が発信・記録されていた秀英体サイト(旧:https://www.dnp.co.jp/shueitai/)がひっそりと消え去ってしまったことでした。

実はついさっきまで気づいていなかったのですが、2023年11月27日付で、「秀英体活版印刷デジタルライブラリー」のコンテンツとして「リニューアル前の秀英体サイト」(https://archives.ichigaya-letterpress.jp/contents/shueitai/)が追加・公開されていたのですね!!!

リニューアル前の秀英体サイトで43回も続いていた不定期連載「秀英体のコネタ」の第12回「ピンマーク!ピンマーク!」(https://archives.ichigaya-letterpress.jp/contents/shueitai/koneta/koneta_050927.html)に、秀英舎・製文堂に関係する、「東京製文堂」を除くおそらく全ての形態のピンマークが見えていてとてもありがたいので、[archive.org]ではなく公式サイトで再び閲覧・言及できるようになった喜びを記しておきたいと思います。

ほんとうにありがとうございます。

というわけで「リニューアル前の秀英体サイト」が運営されていた時点で私が気づいていなかったことを2点ほどメモ。

1. 「生に丸」印のピンマーク

秀英体のコネタ」の第12回「ピンマーク!ピンマーク!」https://archives.ichigaya-letterpress.jp/contents/shueitai/koneta/koneta_050927.html冒頭に掲げられている「生に丸」印の解説文に「ひとつは秀英舎の社章、社名の反切から誕生した「生に丸」印です。」と記されています。

この「生に丸」印の社章あるいは商標について、明治40年版『株式会社秀英舎沿革誌』には特に何も記されていませんがhttps://dl.ndl.go.jp/pid/853985大正11年版『株式会社秀英舎沿革誌』には「社名及商標ノ由来」というコラムがあり「商標ノ字ハ秀英ノ反切ニシテ創業發起人保田久成ノ起案ニ係ル」と書かれていますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/970714/1/3昭和2年の『株式会社秀英舎創業五十年誌』では保田と並ぶ「創業發起者ノ一人」であった「大内青巒カ嘗テ識ストコロノ一文」として「抑モ此擧元來明教社ノ業務ト其經濟ヲ異ニシ予等四人ノ共同經營ニ過キサルヲ以テ別ニ舎名ヲ按シテ秀英舎ト稱シ又秀英ノ反切ナル生ノ字ヲ以テ記號ト爲シタルカ如キハ皆保田君ノ發案ニ係ル所ナリ」と記していますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1464094/1/26

「反切」というのは康煕字典正字通など古い漢字辞典において漢字の読みを示すものだったそうで、例えば内閣文庫本『正字通』では「秀」の反切が「息救」とありますがhttps://www.digital.archives.go.jp/img/4051513 の47/87コマ)、これは「秀」の「シュウ」という読みを①「息」の読みの子音(S)と②「救」(YU)の読みの母音で示す、というもの。

「生」(SEI)という字が①「秀(S)」+②「英(EI)」で示されるという関係なので、「生の字は秀+英を反切とする」という表現になるものと思っていいのかと思うのですが、どのような言い回しが適切なのか、よく分かりません。

商標として登録されたのが明治10年代末のうちなのか、20年代ということになるのか、そのあたりも全く分かりません。また、「大内青巒カ嘗テ識ストコロノ一文」のオリジナルも探し出すことが出来ていません。いつか見つけておきたいと思っています。

2. 丸にサンセリフ体で「S」の意匠

明治37年(1904)1月の『印刷雑誌』14巻1号掲載の広告で活字を立体的なイラストとして示したものhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1499065/1/20がおそらく初出で、14巻5号(]https://dl.ndl.go.jp/pid/1499069/1/18])以降少なくとも明治42年(1909)まで、活字を真横から見た図柄として表現している広告に「サンセリフのS」マークが示されているようです。

『最新欧文活字標本』(欧文略標本)ほか森川龍文堂が発行し「紀元二千六百年文化柱」に納められた活字見本類の刊行年と所在

2022年12月の国立国会図書館デジタルコレクション全文検索機能のアップデートと、2024年1月の国立国会図書館サーチのリニューアルを受けて、2015年に書いた「森川龍文堂の読みと『最新欧文活字標本』の刊行年」という記事について補足しておきたいと思います。

なお、もしこの記事をご覧いただいている方に、以下の図書資料の書誌データを扱える方がいらしたら、「龍文堂」についてほぼ全て「リュウブンドウ」という読みだけが採られているところに、別名として「リョウブンドウ」を加えていただければ幸いです。

「紀元二千六百年文化柱(文化塔)」に納められた森川龍文堂もりかわりょうぶんどうの活字見本類

長野県茅野市蓼科高原)に設置された「紀元二千六百年文化柱(文化塔)」https://maps.app.goo.gl/dQmFhMPK2eBPgRuJAに、1940年(昭和15)までに森川龍文堂が発行した活字見本類が11点収蔵されているらしいことを、NDL全文検索によって知りました。朝日新聞社編集部編『紀元二千六百年文化柱総目録』(昭和15年12月、朝日新聞社)の101ページhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1104999/1/86に掲げられた一覧を記します。

221 森川龍文堂 龍文堂活字清鑒 1 昭和十年発行
菊判146頁
222 新體明朝活字 1 同 95頁
223 最新龍宋活字 1 同 82頁
224 漢文正角楷書標本(ママ) 1 同 76頁
225 最新歐文活字標本 1 同 82頁
2597年版
226 四號明朝活字見本帳 1 同 44頁
227 最新假名付ケース張用紙 1
228 最新書體活字 1
229 森川龍文堂正楷書活字 1
230 カナモジカイノカナモジカツジ 1
231 森川龍文堂 カナモジウリダシ 1

なお、222番から226番までの「同」は恐らく判型が菊判であることのみを指しており、発行年がすべて昭和10年であるわけではないものと思われます。また227番から231番は1枚もの(チラシやポスターに類するもの)ではないかと予想しています。

以下、この『紀元二千六百年文化柱総目録』に掲載された森川龍文堂資料を軸にしつつ、国立国会図書館サーチなどの検索結果について、各々の刊行年と所在にかかわる覚書を記しておきたいと思います。

文化柱221『龍文堂活字清鑒』(1935.11)

森川龍文堂『龍文堂活字清鑒 邦文書体之標本』表紙(横浜市歴史博物館小宮山博史文庫蔵)

奥付の記載(昭和十年十一月一日印刷・昭和十年十一月五日発行)に基づいて、発行年月を「1935.11」としました。各館の書誌を見ると、書名の採りかたに方針の違いが出ています。

文化柱222『新體明朝活字』(推定1938.1)

森川龍文堂『新體明朝活字』表紙(福島県立図書館蔵)

冒頭に掲げられた「新體明朝活字の種類に就て」という文の2ページ目に「當所に於て是等の條件を具備し、美術印刷向活字として、昭和八年に着手彫刻補刻數年の後漸く發賣するに至りました」「是れに新體明朝活字と名けて、本文用六號五號四號と順次作成發賣致しまして、今日漸く九種の完成を見るに至りました」とあります。この九種というのは、初号、五号三倍、二号、四号、五号、9ポイント、8ポイント、六号、6ポイントの合計9サイズを指します。少なくとも福島県立図書館本には刊記がありませんでした。

三谷幸吉『手易く出来る活版印刷開業の栞』(印刷改造社、1936年)に綴じ込まれている森川龍文堂「邦文活字の書體及規格一覧表」に見えている新體明朝は、二号、四号、五号、9ポ、六号、6ポの6サイズです(https://dl.ndl.go.jp/pid/1056304/1/9)。これ以降の刊行と思っていいでしょう。

NDLサーチでは、大きく分けて書名を「新体明朝活字」とする群と「新体明朝活字標本」とする群の2つのグループがあるようです。

第二次『印刷雑誌』21巻1号(1938年1月)雑報欄に「森川龍文堂細形明朝成る」と題して《森川龍文堂は「新體明朝活字標本」菊判アート紙刷約百頁のカタログ一冊を發行した。》とする記事が次のように記されていますから(NDL館内限定:https://dl.ndl.go.jp/pid/3341163/1/146、少なくとも後半の4点はこの1938年1月に発行されたものと見て良いのではないでしょうか。


新體明朝活字に就て曰く「細型明朝活字が生れたのであります。細型活字は細線のが良いのでは御座いません。印刷面が全面的に良く揃つてゐる、字數が多い事、文字が鮮明であること、縮字轉字にしても、細線が切れずに良く字劃が判つきりしてゐる事等が揃つて居らねばなりません。當所に於て是等の條件を具備し、美術印刷向活字として、昭和八年に着手彫刻補刻數年の後漸く發賣するに至りました」とある。以て新體明朝活字の出現理由を知るに足る。収むる字種は初號三千三百字/*1五號三倍四千字、二号一萬二百字、四號八千五百十四字、五號八千八百字、九ポイント八千百字、八ポ七千五百字、六號八千ニ百字、六ポ六千ニ百字。

「収むる字種は」云々と書かれている内容は、福島県立図書館本の冒頭に掲げられた「新體明朝活字の種類に就て」という文の1ページ目に掲げられている字種一覧の引き写しであり、アート紙刷95ページの福島県立図書館本を見た限りでは、活字見本の本体部分に全サイズの全字種が掲載されているわけではありません。

2014年に実見した福島県立図書館本で「新体明朝活字標本」と記された箇所を目にした記憶がなく、前半4点と後半4点が同じ資料を示しているのか異なる資料なのか、別途確認しておきたいと思っています。三康図書館の書誌では書名として「新体明朝活字標本」と記されつつ「表紙別書名:新体明朝活字」という補足がありますから、わたくしが福島県立図書館本の何かを見落としてしまっている可能性があります。

文化柱223『最新龍宋活字』(推定1936)

森川龍文堂『最新龍宋活字』表紙と扉(福島県立図書館蔵)

印刷出版所『日本印刷需要家年鑑 昭和11年版』(1936)に森川龍文堂による龍宋活字の広告が綴じ込まれているほかhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1231434/1/501。第二次『印刷雑誌』19巻6号(1936年6月)にも、一種の名刺広告として「丸呉竹活字」「龍宋活字」「漢文正楷書」の三種が掲げられています(https://dl.ndl.go.jp/pid/3341144/1/47)。

文化柱224『漢文正角楷書標本(ママ)』(推定『漢文正楷書標本』1936)

大阪出版社編『印刷美術年鑑 昭和11年版』が、同年(1936)3月の出来事として大阪市《南区安堂寺町通一丁目森川龍文堂は「漢文正楷書標本」と題し同書體各號の綜合的見本帖を發行》と記していますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1684147/1/266。また第二次『印刷雑誌』19巻3号(1936年3月)に「森川龍文堂の漢文正楷書標本」という記事が出ています(NDL館内限定:https://dl.ndl.go.jp/pid/3341141/1/78。記事に曰く:


最近目醒しい活動を續けてゐる大阪市南區内安一森川龍文堂は又々、新刻漢文正楷書活字見本を滿載したカタログ「漢文正楷書標本」を發行した。初號、三十六、二十四ポ等大活字數十字、一號以下、二號、十八ポ、四號、五號/*2九ポ各七千餘字中より抜萃の文字を収め、特に本文用として代表的な十八ポは七千百三十四字の全部を収錄してゐる。

したがって『漢文正楷書標本』が正しい書名で、出版年が「1936.3」になるものと思います。

NDLサーチ、CiNiiブックス、Worldcatでは見当たらず、印刷図書館や印刷博物館にも所蔵されていないため、国内の図書館等では「紀元二千六百年文化柱(文化塔)」にしか残っていないかもしれません。

Googleブックスによると朝鮮総督府圖書館『新書部分類目錄』(昭和12年1月1日現在)453ページに、「森川龍文堂編『漢文正楷書標本 文字の精美新活字』昭和11」と記載されているのですが、これは現在も韓国の国立中央図書館に所蔵されているようです。

文化柱225『最新欧文活字標本』(1937)

森川龍文堂『最新欧文活字標本 2597』表紙と扉(福島県立図書館蔵)

2015年の記事「森川龍文堂の読みと『最新欧文活字標本』の刊行年」において、表紙の「2597」は「皇紀2597年」すなわち西暦1937年を表しているのではないかと記していたのですが、今回、NDL全文検索によって第二次『印刷雑誌』20巻7号(1937年7月)雑報欄の「新刊紹介」記事を見つけることができました。

曰く、「大阪、森川龍文堂の「最新歐文活字標本」が新製刊行された。菊判全アート紙八〇頁、略見本としては堂々たるものである。ジョッブフェースとしてはセンチュリー、セルテンハムなど美しい字體が揃つてゐるし、ゴヂツクでは新書體のバンハートが注目される」等とあり(NDL館内限定:https://dl.ndl.go.jp/pid/3341157/1/123、この概要は『最新欧文活字標本 2597』に符合しますから、表紙の「2597」は「皇紀2597年」すなわち西暦1937年の意味で間違いないでしょう。

この記事で扱う《「紀元二千六百年文化柱」に納めらた活字見本類》には含まれませんが、森川龍文堂『新聞活字』(1938刊、奥付無し、印刷図書館蔵〈Za400〉)もまた、表紙の書名が「新聞活字」のみで、扉には「新聞活字/2598」とあります。

私は『最新欧文活字標本』について、2014-2015年当時も2024年現在も福島県立図書館本と国立国会図書館本しか実見していない状態ですが、以下はすべて同じ資料ではないかと思います。

文化柱226『四號明朝活字見本帳』(推定1927-1937)

森川龍文堂『四號明朝活字見本帳』表紙(福島県立図書館蔵)

今までに実見したのは福島県立図書館蔵本だけなのですが、41ページに「普通形」平仮名(築地体後期四号書風)と「中形」平仮名(秀英四号書風)が掲げられています。仮名の活字セットとして、1933年(昭和8)の『活版総覧 : 和欧文活字と印刷機械』111ページhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1209922/1/60や、1935年の『龍文堂活字清鑒』128ページに掲載されているものと同じ内容であり、推定1937-38年『新體明朝活字』92ページの「新体四号明朝」(秀英四号ベースに独自化を試みたもの)にはなっていません。44ページに掲載されている「二分一平字」「二分一太ゴチック」「二分一太丸ゴチック」に「昭和」の字が含まれていますから、昭和2年以降の10年ほどの間に発行されたものと考えられます。

文化柱227『最新假名付ケース張用紙』

活字見本帖は印刷所が補充活字の注文などを行うために利用していた備品であるために、活字会社の廃業や活版印刷所の廃業と共に捨て去られてしまうことが多く、現在まで残っているものは極めて少ない状態です。この活字見本帖に比べても更に「実用品」度が高いため後世に残されにくいと見られるのが「活字ケース張用紙(活字ケース貼紙)」になります。

大日本印刷株式会社/市谷の杜 本と活字館「秀英体活版印刷デジタルライブラリー」で公開されている「明朝9ポイント活字棚全景」から任意の活字ケースを拡大していくと、スダレケースと呼ばれる形の活字ケースの1列1列に、どういう文字が収納されるべきか、見出しが示されていることがわかります。

大日本印刷株式会社/市谷の杜 本と活字館「秀英体活版印刷デジタルライブラリー」の「明朝9ポイント活字棚全景」より「出張ケース1」(部分)

森川龍文堂『最新假名付ケース張用紙』は、新聞・雑誌などの本文活字セットとして印刷所に提供する活字ケース張用紙――1段ごとに切り離す前のもの――ということになるのでしょう。下記が同じものなのではないかと予想します。

文化柱228『最新書體活字』

『印刷時報』172号(1940年1月号)に綴じ込まれた活字見本シートhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1499108/1/105 - https://dl.ndl.go.jp/pid/1499108/1/109の、綴じ込み前のものなのではないかと想像しています。2040年正月に予定されているという「紀元二千六百年文化柱(文化塔)」開扉時に確認してみたいものです。

文化柱229『森川龍文堂正楷書活字』

第二次『印刷雑誌』20巻3号(1937年3月)雑報欄(NDL館内限定:https://dl.ndl.go.jp/pid/3341153/1/79「森川龍文堂は提携して正楷書活字の全系列を完成されたので、この普及の爲め、本號広告欄の申込」

文化柱230カナモジカイノカナモジカツジ』

『印刷美術年鑑』昭和8年版(1933)綴じ込まれた活字見本シートhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1208644/1/73に類するものなのではないかと想像しています。2040年正月に予定されているという「紀元二千六百年文化柱(文化塔)」開扉時に確認してみたいものです。

文化柱231『カナモジウリダシ』

『印刷時報』180号(1940年9月号)に綴じ込まれた活字見本シートhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1499116/1/65の、綴じ込み前のものなのではないかと想像しています。2040年正月に予定されているという「紀元二千六百年文化柱(文化塔)」開扉時に確認してみたいものです。

*1:原文改行はのみで区切り符号無し

*2:原文改行はのみで区切り符号無し